「お名前は・・聞こえますか」
「どうしました」
救急隊員の声にやっと吾に返り気がつくと自分が倒れており、洋服にも顔にも床にも自分が嘔吐した食べたばかりの寿司が一面に散らばっていた。
「お名前は」
「お年はいくつですか」
おぼろげに聞こえてくる質問にやっと蚊の鳴くような弱い小さな声で答えて、周りを見ると救急隊員と駅員が立って自分を覗き込んでいた。
「お家の人に連絡したいのですが」と聞かれて
「妻は聾唖であり電話に出られないので近くに娘が住んでいますから娘に連絡して下さい。」
「鞄の中に携帯があります。」
「それから今日夕刊の配達があり配達が出来ませんので新聞販売店にも連絡して下さい。」
やっとそれだけ言えるようになり亦・・気分が悪くなって嘔吐してしまった。
「せいの」と掛け声と共に台車に乗せてもらった。
しばらくして階段を降りたのかエレベーターで降りたのか分らないまま救急車の中にいた。
かばんの中に病院の診察券があること、病院でMRIの検査をしてきた事、駅の構内にある立ち食い寿司店で寿司を食べた事を話た。友人の伊藤さんが救急車に同乗してくれた。
横浜栄共済病院に着くと救急隊員は医師に「大船の駅で倒れており、お客くさんから連絡があり、救急車が付くまで約5分掛かったのでそのくらい失神していたと思う」と今までの詳しい状況を話しくれた。話し終わると救急隊員は引き上げて行った。
本等に親切に処置をしてくれて「有り難うございました」と何べんもお礼を言った。
「どうされましたか」と若い女医さんに問診された。最初は女医さんか看護士さんなのか判断がつかなかった。
「ここは痛くありませんか」と腹や胸を掌で抑えて触診された。肛門にも指を入れて触診された。低血糖で意識不明になったと思ったが血糖値は160で低血糖で倒れたのではないという。
そして寝たまま胸と腹のレントゲン写真を撮った。
レントゲンを撮るとき食べたものがこみ上げてきて嘔吐した。
点滴をして血液の検査をして丁寧に診察をしてくれた。失神や嘔吐の原因は食中毒ではなく、心筋梗塞や脳梗塞でもないようだ。大腸のレントゲン写真を見て便秘の影響とあわせて最後の嘔吐の中に黒い血のようなものが混じっており、それが胃の中の小さな傷が原因かもしれない。だから胃の内視鏡の検査を後日するようにと言われた。
娘が車で病院に駆けつけてくれた。やがて妻も夕刊の配達を終えて来てくれた。
病院の近くに住まわれている伊藤さんは心配して何度も来てくれた。
今まで着ていた洋服が嘔吐の汚物が付いていて着る事が出来ないので妻が町に買いに行ってくれた。
気分が良くなり次第点滴の途中でも帰宅してよいと女医さんに言われて安心した。
一時半ごろから夕方の五時半過ぎまでベットに横たわっていたがいろいろなことが思い浮かんだ。
友達の美香さんが「東北の震災のボランテアに行ってきたよ」と報告された時には自分もボランテアに参加したいと軽々しく言ったが、このご老体で不健康ではかえって皆さんに迷惑を掛けるとつくづく思った。若く健康でありたいと思った。
それにしても午前中に検査したMRIで右脳の動脈血管がまったく写っていなくても何の不自由もないのが不思議だと思う。
12月5日MRIで脳の動脈血管撮影・・右脳の動脈血管はまったく写っておらず・・「3年か何年か分らないが少しずつ時間を掛けてこの状態になり生活に異常がないとしか考えられない・・急にこの様になったのなら大変です・・万一左の手や足に痺れが出た時はすぐ来てください」との脳外科の先生のお話でした。
12月15日胃の内視鏡検査・・ポリープ無し・・少し炎症あり・・後日悪性かどうか分る。
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- 2011/12/16(金) 00:36:44|
- 小説・エッセイ|
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