僕は鮎釣りは まったく経験が無かった。
釣りといえば、子供の頃、小川で二度か三度ウナギ釣りをしたぐらいで、近くに水田用の溜め池があったが、その池の鮒つりも得意ではなかった。
相模川の上流の近くに長男の家があり、定年後、その家に書道教室の看板を出し、暇をもてあましながら川原で芹やクレソンを摘むのが日課であった。どこか心に大きな穴が開いていた頃だ。
美空ひばりの「川の流れのように」の声を耳に残しながら川面を見つめているのが好きだった。川の流れを見ていて過ぎ去った日々を思い出し時間の過ぎるのを忘れた。
そこで鮎の釣り人と親しくなり、「自分も鮎釣りをしてみたい」と一言いったら「教えるからやってみる?」と教わることになった。吉川君といった。車の事故が元で片足を引きずって歩いていた。元レーサーでレース中の事故だと言っていた。
川原でテントを張り彼は車で寝起きしていた。人それぞれいろいろな人生を歩んできていると思った。僕は、よくそのテントで野宿させてもらった。瀬音を聞きながら、星を見ながら眠った。
埼玉だか群馬に仕事に行くといって川を去ってから、二度ばかり電話があったが、今、この青年がどうしているのかわらない。
僕も相模原を引き払ったので連絡が途切れた。
六月になるとほとんどの川が鮎の解禁になる。だが解禁日には今だに釣りに行ったことが無い。釣り人で込むから避けている。都会の忌まわしい人間 関係をそのまま持ち込むから嫌いだ。
川にゴミを捨てる者、釣れていると見たら他人が釣っていようがその場所に、竿を入れてくる者、マナーの無さは数え切れない。10数万もする竿を盗られた人も何人もいる。おまけに車場荒らしもある。
だがそんな嫌な人ばかりではない。人さまざまだ。良い人に出会えるから鮎つりは止められない。どれほどお世話になったか計り知れない。体調を悪くして病院へ運んで貰った事もある。
何年か前、狩野川で鮎を入れる舟を流した。腰バンドに繋いでいたのだが、ふとした弾みで外れてしまい流してしまった。
川の流れは速くあっと言う間の一瞬のことだった。
流れの早い瀬があり足場が悪くて危ないので、あきらめて流れていく舟を見送った。下流で釣りをしている人たちに声をかけてみたが、竿の先を流れる舟を見送る人ばかりだった。
すっかり諦めているとき、対岸の人が自分の竿を置いて どんどん どんどん 川を下っていくのが見えた。茄子ぐらい小さく見えるほど下流に行ってから、舟を拾って持ち帰ってくれた。服装から地元の人のように見えた。
「馬鹿野郎!恥をかかせがやあって!ここまで取りに来い」対岸から怒鳴られた。「こんな瀬ぐらいなんでもない。渡って来い」又怒鳴られた。体力がが無いので必死な思いで瀬を渡った。
知らぬ顔をすれば済むものを、拾ってくれた感謝の気持ちで、転んだら終わりだ。そう思いながら必死で強い流れの瀬を渡った。
慎重に竿を杖にして渡った。正直恐ろしかった。
地元の人で口が悪かったが、良い人にめぐり合った。舟が帰ってきたこと以上に良い人にめぐり合ったことが何より嬉しかった。
派手な流行の釣り姿の人たちは、冷ややかに見送るばかりなのに拾いに行ってくれた。嬉しかったので、名前を聞いたが教えてくれなかった。
人は見かけによらないとつくずく思い知らされた。鮎のシーズンになると思い出す思い出の玉手箱である。
(2005・6・11)でんどう三輪車
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- 2005/06/11(土) 01:37:31|
- 渓流に鮎を求めて|
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