このエッセイで1番素晴らしいのは、空襲の描写の生々しさです。
さすが、詩をお書きになるでんどうさんだけあって、情景が目に浮かぶような迫力があります。
が、そのインパクトが強すぎて、全体のまとまりがない印象。書きたいことを何もかも詰め込んだために、テーマが何なのか、わからなくなってしまっています。
1番拙いのは、牛の死と、それ以前に書き連ねられた戦争の悲惨さとの関連性が感じられないこと。つまり、牛は病死であって、戦死ではないのですから、前半と後半で話が繋がらないのです。
おそらく、こうした時代だから、農耕牛と人との結びつきも強かったと説明されたかったのだと思いますが、違うものが伝わってきてしまうんですよね。
ということで、前半は「別の話」として独立してまとめる前提で、後半を考えてみます。
後半の肝は、何度も振り返りながらそりを引く牛と、殺されるために引かれる牛。2匹とも事情を推察しているらしい、その憐れさ。さらにそれを見つめる人々の思い――だと思います。
それに焦点を当てるとすれば、盛り込むべきは、貧しい生活の中での人と牛とのふれあい。牛が単なる家畜ではなく、苦しい時代に力を合わせるパートナーであったことが、しみじみと伝わるようなエピソードでしょう。
もう1つ、井上君がわざわざ電話で学校から呼び出されたのは何故なのか。単に人手が欲しかったのか、それとも家族の臨終と同じような感覚だったのか。
呼び出しは「事件」であることがそれ以前の記載から伝わってきますので、読者は興味を持ちます。興味を引いたことはきっちり解明されないと、もやもやとした不満が残るものです。
ほのぼのとした牧歌的な情景の中で、胸を打つ作品に仕上げるほうが、まとめやすいと思いますので、まずその方向で。
その背後に戦争の影、時代の悲惨さや不気味さまで潜ませることに成功したら、これは第1級の作品になります。そのときのポイントは、あくまでも登場する家族の直接体験だけを書くこと。近所の娘さんの話、ではだめです。
厳しく書かせていただきましたが、テーマに沿ってエピソードを取捨選択し、掘り下げていくコツを感じていただければ、と思います。
――というのが私の意見ですが、違うご意見の方があればお願いします。
Posted by 美也子 at 2006年02月16日 09:45
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- 2006/02/19(日) 15:49:46|
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