朧月夜はやはり春が一番よく似合う。満開の桜、桜吹雪の中の朧月夜、想像しただけでも得がたい趣を感じる。
そこへいくと夏は蚊に刺され、蒸し暑く明日の雨を予感してしまう。
秋は何故か寂しい、吹く風も襟元に寒さを感じ秋の夜は寂しい。
冬は寂しさを通り越して悲しみを覚える。
十代の頃父が読んだのか文学青年の叔父が読んだのか吉田絃二郎という詩人の書いた随筆が家にあって読んだ。悲しみを帯びた美しい文章であった。冬の朧月夜はこの詩人の筆になっても悲しいと言ったと思う。乾いた空気と背筋にジンと来る寒さと柔らかな朧月夜とが不似合いかもしれない。
貴女は「生きる」というより「生かされている」という思いがすると言われていた。考えてみるのに生まれてくること自体が自分の意思ではない。両親の快楽の賜物でこの世に生を受けた。人間として生まれてきたが自分の意思ではない。小さな虫も大きな象も雄と雌の交尾によって生まれる。何に生まれてくるか選択することは出来ない。親を選ぶことも出来ない。人間に生まれてきたことが不幸と感じるか、尊く幸福と捉えるかはその人の生まれてきた境遇によると思う。
太陽系そのものが宇宙全体から見ると小さな存在だと天文学は明かしている。巨大なエネルギーの宇宙がどうして在るのか不思議だ。少年の頃大空を見て自分が虫けらのように感じて友達に手紙を書いたことがあった。もしこの自分の生命が宇宙と隔絶したものであるならば虫けらと同じように虚しい。自分の生命が大宇宙と一体であると説かれ生命の本質を明快に解いている仏法哲学の深遠さに驚嘆する。生きることの喜びを感じる。生かされている大きな力(運命)から見れば自分でハンドルを操縦すること事態小さなことかもしれないが・・それでも喜びとして満足する。もう東の空が明るくなってきた。今日も元気によくぺタルを踏もう。
(2005・11・19)
〈雨さんと満月を見てくれた皆さんにおくる)
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- 2005/11/19(土) 05:34:02|
- 小説・エッセイ|
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