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走れ!でんどう三輪車
齢70にしてブログなるものに挑戦!人生まだまだこれからですよね(^^)//。俳句や詩歌を趣味として又釣り人として、 、、、、、はたまた「でんどう三輪車」として、日々の出来事を綴ります。

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真夜中の入浴

   真夜中の入浴  いのうえ つとむ
午前二時半の入浴は湯加減も良く体の芯まで温まり心地よい。
ゆったりと湯に浸かりながらテレビの映像を目に浮かべていた。
戦争中の学童疎開と戦後の浮浪児の記録写真でその体験者の取材である。
中でも戦後の浮浪児のことがことさら心から離れない。
戦争で両親を亡くし孤児となった子供たちだ。
駅裏や地下道で犬のように扱わられて生きて来た子供たちである。
 昭和10年生まれの僕と同じ世代の人たちだ。
僕は小学校の5年生の時肺結核になり病床で浮浪児のことをラジオで聞いた。
戦争で孤児となった浮浪児の事を連続ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』を聞き涙を流した。
残飯を食い泥棒をしてでも生き延びて来た人たちだ。
やがて『浮浪児狩り』と言って子供たちは捕らえられて施設に収容された。
・・ある人は施設を出て働きながら夜学に通いアメリカの大学を卒業しアメリカの中学校で教師をしてきた。
今、アメリカで日本語を教えている。
・・ある人は苦労を重ね成功して、幸運を呼び込み大富豪になった。
浮浪児の中で『俺が一番だ」』と成功を誇らしげに語っていた。
・・ある人は両眼を失明して施設から指圧の学校に行きマッサージ師となり
やがて幸せな家庭を築いた。
人生いろいろ。
とりわけマッサージ師の『生き様が』心に残る。
野良犬のように扱われて『社会を一生憎んでやる』と何度も口にしていた。
心から社会の人を恨んだと思う。
あるとき急に熱が出て頭が割れるように痛く苦しんだ。
『痛い痛い』と苦しんで居るときに背中をさすってくれた優しい友達がいた。
その友達がやがて塞ぐようになり、ある朝・電車に飛び込んで死んだ。
浮浪児の中には生きて行くのが辛く苦しく何人も電車に飛び込み死んだ。
『俺らは何も悪いことをしていないのにどうしてなんだ』と社会を恨んだ。
やがて両目が見えなくなった。
背中をさすってくれた友達が亡くなって間もなく『浮浪児狩り』があり施設に入った。
施設の先生にも徹底的に反抗した。その施設の先生が『銭湯に連れて行ってくれて
背中を洗ってくれた』。疥癬で(体中がものすごく痒い皮膚病)誰も触れてくれない。
だが先生は背中を流して洗ってくれた。
『嬉しかった・・心が開いた』。
それから先生の勧めで盲学校に通った。
結婚にも恵まれてマッサージ師として働いた.。今も働いている。
人間何が嬉しいかと言って『母親の様な温もり』が一番うれしい。
・・こんな私だが結婚して支えてくれた妻は寝たきり状態だ。
『妻への恩返しだ』と思い他人を頼らず自分で看病している。
眼が見えないのが辛いが頑張っている。
・・何より嬉しいのは『心の温もり、人の温かさだ』という
マッサージ師の言葉を噛み締めながら真夜中の湯に浸かった。
・・『リハビリテーション港南の樹』の皆さんの心の温もりを感じながら。

(2018・12・25)


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  1. 2018/12/25(火) 07:00:30|
  2. 小説・エッセイ|
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