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走れ!でんどう三輪車
齢70にしてブログなるものに挑戦!人生まだまだこれからですよね(^^)//。俳句や詩歌を趣味として又釣り人として、 、、、、、はたまた「でんどう三輪車」として、日々の出来事を綴ります。

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焼き芋・一句

焼き芋の蔓を手繰ればひもじき日
(やきいもの つるをたぐれば ひもじきひ)


焼き芋用の土鍋を購入して石焼き芋を自分で焼いた。
その美味しい事!。
・・羊羹や高級菓子よりもはるかに美味しい。

焼き芋を食べながら
・・想い出の蔓を手繰り寄せた。
戦中・戦後の食糧難の時は
日本人は薩摩芋で命をつないだ。
『ひもじい』時代だった。

当時の芋は・・『農林一号』と『護国』という芋だった。
『農林一号』は・・表面の皮は赤紫色をしていた。
『護国』は・・白い色をしていた。
いずれにしても食糧難の厳しい時代だ。
『葉柄』と言って薩摩芋の茎も食べた。
薩摩芋さえ食べることのできない人が多かった。

『鳴門金時』や『紅はるか』などブランドの甘い芋が出回る中
・・今は食べ物が無駄に捨てられる時代だ。
・・恐ろしいことだ。

ご訪問の皆さんに感謝して!。
有り難う!。

(2016・2・25)




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  1. 2016/02/25(木) 22:25:32|
  2. 私のうた|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:2

  

コメント

めぐるさんコメント有り難う

・・本当に食べ物が無く辛い時代でしたね。
戦争を知らない人には想像できないと思います。コンビニをしていた友達が毎日賞味期限一日前の弁当やパンなどを処分して3万円ほどの食べ物を捨てていた・・その後廃業しました。・・全国の食料の処分は凄い量だとも言っていました。戦中戦後の厳しい時代を考えると・・天罰があるのではないかと思います。いつも素晴らしいお写真を拝見し楽しんでいます。有り難う。
  1. 2016/02/26(金) 23:37:28 |
  2. URL |
  3. でんどう三輪車 #-
  4. [ 編集]

こんにちは

でんどう三輪車さんの句で子供の頃を懐かしく思い出しました。
まだ小学生にもなっていない頃、
すでに母が他界していましたが一回り歳上の姉が芋ズルを近所の畑でもらってきましたわ。
姉を手伝って芋ズルを食べれるようによくそうじをしたのです。
あくが手について真っ黒になるんですよね。
姉が藁灰とかであく抜きをして食べさせてくれたのですわ。

貧乏でしたから芋はたまにしか食べれなかったですが、
僅かなお米で水たっぷりに芋を切って芋粥にしたのです。
たしかに貧困でしたけど優しさのあった時代だったですから僕にはいい思い出です。
ありがとうございました。
  1. 2016/02/26(金) 12:37:11 |
  2. URL |
  3. めぐる #pJfCQZiE
  4. [ 編集]

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