※ 『・・生きた証し』
・・悲劇の証しではなく
・・平和で幸せな証しを永遠に残そう。
遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」で活動する
沖縄大学の4年生の比嘉幸一さんの言葉から。
ガマフヤーとは自然洞窟である「ガマ」と、
掘る人を意味する「フヤー」を合わせた沖縄の言葉。
沖縄戦没者の遺骨や遺品を掘り起こし、
遺族の元へ届けている。
「初めて見つけたのは、衣服のボタンでした。
身に着けていたのはどんな最期を迎えたのか、
想像するだけで、胸が苦しくなりました。
その時、『見つけてくれてありがとう』。
そんな無限の訴えを感じたのです。
ボタン一つも、人が生きた証なのです。」
「ありったけの地獄を集めた」と戦史に刻まれる沖縄戦。
日本で唯一の地上戦を強いられ、20万人の犠牲となった。
その数は沖縄県民の4人に1人といわれている。
未だ沖縄の地には300柱以上の戦没者の遺骨が
眠っているとされる。
(・・以下省略。創価学会・機関誌・大百蓮華8月号より)
僕は10歳で敗戦を迎えた。
豊川海軍工廠を的に猛爆撃を受けた。
爆風で腕が飛び散って垣根にかかっていたり、
我が家の田に爆弾が落ち
すり鉢状の大きな穴が掘られたり、
裏山の猿楽峠という低い峠の向こうにあった
火葬場におびただしい棺が並べられていたり、
思い出は昨日のようであるけれど
・・沖縄戦の悲劇は比較にはならないと思う。
(2015・8・14)
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- 2015/08/14(金) 14:36:09|
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