”人生は刺繍を裏から見るようなものね。
糸が交差しもつれ合い、結び玉があり混沌としている”
(月草さんの刺繍のお師匠さんの言葉)
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『 織りなす 』
胸の土 秋にかわかず 冬知らず 四時ゆたかなり 花うゑてみよ
与謝野晶子
私の胸は乾かない
みずみずしく美しい花をたくさん咲かせるわ・・・(月草さんの解説)
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人生は思うままになると思っていた学生時代
意地っ張りな私は 裏こそ美しく仕上げようと思いました。
しかし”Life is difficult.”
何て、物事がうまくいかなくて落ち込むことの多いことか
表に一幅の絵がおりなされるために
その絵が色彩よく精巧なものであるためには
それだけ裏面は複雑でなければならない
人生というものは、送っている間は少しも美しいとはおもえず
むしろまどい、疑い、苦しむことの多いものでしかない。
しかし実は それらがあってはじめて
その人しか織りなせない人生と
ユニークで美しい織ものは織られる
先生の言われた言葉が じんわりとよみがえってきます。
自分の分際を思い知り、本当にその通りだなぁと 実感しながら
それでも、それでも ”自分らしく”
”ユニークで美しい織物を織りたい”
まだまだ 織り続け、人生のレポートを書き続けなければなりません。
(月草さんの「木積」の人生のレポートをご紹介します、リンクの
をご覧になって・・ホット一休みして下さいね)
- 2006/04/30(日) 16:15:16|
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今日の出逢い いのうえ つとむ
葉桜が風に揺れていた。孟宗竹の竹林にかこまれた白い家が見えてきた。
「ここだよ」と車から降りると
「おくさーん、大森です」
「はーい」
「今日は芹を採りに来たよ」
「どうぞどうぞ、何でも採っていって下さい。筍も又出ていますよ!」
明るい声がして奥さんが窓を開けられた。見ると品の良い白人の外人さんだった。
「お声だけでは外人さんとは解りませんね。日本語が上手ですね」と大森さんに聞くと
「そうだよ、日本語はぺらぺらだからなー、一年に一度はドイツに帰られると聞いている」と笑いながら話してくれた。
芹を少し採ってから玄関に来て
「これが芹だよ」と大森さんは芹を見せながら,トラックの荷台の中の新鮮な野菜を一箱手渡していた。
「有り難う!」と返事をしながら奥さんが出てきて嬉しそうに野菜の箱を受け取っていた。
大森さんは自分で作った野菜を何時も今日のようにお届けしているのだな?と思った。
「ここにも野蒜があるよ、井上さんこれ採ってもいいよ」と玄関脇の草の中を教えてくれ、大森さんは筍が生えてきたという庭の奥ヘ行った。
しばらく野蒜を採っていると一台の車が玄関前に入ってきた。
車から降りられた方がここのご主人だな?と思ったので
「今日は」と挨拶をすると
「どちらさんでしょうか」といぶかしそうな顔をされていた。
それもそのはず、見知らぬ爺さんが自分の玄関先で草を採っていては、 不審に思うのが当然だ。
「あの・・大森さんと」と言うと、すかさず
「あ!そう」とにこりと笑われた。この返事の一言で、大森さんの人柄の良さが分かった。
大森さんと奥さんが玄関に戻られたので、芹の食べ方や野蒜の食べ方を教えながら「美味しいよ」と話して、採った芹と野蒜を渡そうとすると
「せっかく採ったのだから持って行ってくださいよ、まだいくらでもありますから」と僕に譲ってくれた。 凄く感じの良い方だなーと思った。
「インターネットされていますか」と、なんだかパソコンをしているような感がしたのでそれとなく聞いてみた。
「うん、少しだけれどね」
「ああ!良かった僕もブログ書いているんですよ!」
「へー・・凄いじゃん、見たいナー」
「詩とエッセイだけれど、昨年の五月から始めて300編ぐらいになりました。拙いものですが・・」
「ぜひ読みたい、教えて!」
「ヤフーで、でんどう三輪車で検索して下されば出ると思います」
「おーい、ケンチヤン、メモ持って来て!」
中から小学校の5年生ぐらいの子供さんがメモの紙とボールペンを持ってきてくれた。
でんどう三輪車と自分の住所、氏名、電話番号を書いて渡すと、ご主人も同じようにご自分のを書いて渡してくれた。
「車の中で食べて下さい」と帰り際、奥さんの作られたケーキをポケットに入れてくれた。
今まで大和撫子のカップルは良く見掛けたけれど、今日、素晴らしいご主人に会って、外国の女性に好かれる、魅力のある日本男児の方が居られるんだなーと、ツクヅク思った。日本の男性が魅力に欠けるので、外国の女性にもてないのだという、今までの偏った思いを考え直した。
「ここのご主人は、音楽家なんだよ。俺は演歌だけれど演歌ではないんだ。クラシックを演奏されているんだよ。上智大学を出られているんだ」と運転しながら大森さんが話してくれた。
あの品格と人柄を思うと、なるほどと思った。
しばらく畑の中の道を車が走り、芹が一面に生えている休耕田で芹を摘んだ。
それから大森さんの知り合いの葡萄園の農家に立ち寄った。
明るい話好きの奥さんが、いろいろな庭の花を案内して見せてくださり、ハーブのミントを植えるようにと、一束お土産にくれた。
車の中でもハーブの良い香りが漂っていた。
4月の月初めに、箱根の姫の湯で山に登った帰りに立ち寄ったという大森さんと温泉で知り合った。帰りは電車で茅ヶ崎まで帰られるという事なので帰りを共にして電車の中で話が弾んだ。
「少しばかり畑を作っていて、会社は55歳で退職し、今は朝2時には起きてね、牛乳配達の仕事をしているんだよ」と自己紹介してくれた。自分も今、メール便の配達と夕刊の配達をしていると話した。
「雨が降っても風が吹いても仕事があるからなー」と同じ苦労話が一致した。
「僕は芹が大好きなんだけれど、どこか芹の出ているところは無いかねー」と話をして、自分の名前と連絡先をメモして渡した。
先日、突然・・大森さんから電話が来て、
4月23日、買ったばかりの980円の長靴を履き、茅ヶ崎の駅で待合せて、芹を採りに連れて行ってくれた。
車は街から随分離れて山の中に入って行つた。走っている車の窓の外を見ているとタンポポが咲き、どの農家の屋敷も蕗が生えていて美味しそうに見えた。
それが今日の良い出逢いになった切っ掛けである。
帰りも大森さんに茅ヶ崎の駅まで送っていただき、大森さんと又姫の湯で会うことを約束して別れた。
時間があったので、箱根の姫の湯で疲れを取って、ゆっくり家路に着いた。
今日の一日は、良い出逢いがあり、人生の一ページを飾れたことに感謝の思いで一杯である。
(2006・4・23)
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- 2006/04/24(月) 16:40:48|
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そそり立つものより
うつむいてる人に
惹かれることもある
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絢爛と咲く花も美しいけれど
控えめなうつむき加減の花に
心を惹かれますね
人もまた同じように
どこか寂しさと憂いの影を潜めている
そんな姿に心を惹かれますね
所詮誰もが寂しいのですね
この雨ちやんの優しい心
胸に詰まります。
- 2006/04/17(月) 10:31:08|
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花冷え いのうえ つとむ
桜の花の蕾にも冷たい雨!
蕾が開かんとする時にも冷たい雨!
満開の桜にも冷たい雨!
散り行く桜の花にも追い討ちをかけるように
又冷たい雨が降り注いでいる。
桜にとって今年は試練の年のようである。
久しぶりに暖かい春の日差しを受けた枝垂桜を、先日妻と妻の友達と三人で見てきた。
其処は酒匂川の支流の中津川に沿った集落で「寄」と言う字の一文字で「やどりき」と読ませる珍しい地名である。
小田急の新松田の駅を降りてバスに乗ったのだが10時55分発ということで40分ほど駅前で暇をつぶした。
バスの案内所を訪ねたとき「寄に行くのには何処で乗るのですか」と聞いた。「3番のバス停です。今度は10時55分です」と教えてくれたので、バス停を確認していた。「桜を見に行くのですか、寄と聞かれたので」と親切にも案内所の受付の婦人が地図を持ってきてくれて道順を教えてくれた。
バスは時間どうり出発して新松田駅の街路を離れて、よく整備されたアスファルトの舗装道路の山道を登っていった。
山の道路が蛇行していて桜の花が思い出したように所々咲いていた。谷底は予想していたより深く「こんなに山奥だったのか」と思いながら窓の外の景色を眺めていた。
しばらくして山の谷間の少し開けたところに家が五・六軒見えたきた。
やがて家並みが揃い松田町「寄」の集落となって終点、寄のバス停に到着した。
バスの運転手さんに聞いたように、右に曲がり、左に曲がり、山のお茶畑を歩いて行った。お茶畑の向こう側に目当ての枝垂れ桜があるのか桜の木が見えないので、どれだけ登ると良いのか見当が付かない。下ってくる人に聞くと、「まだまだ先が長いよ」と言われてゆっくり坂道を歩いた。ゆっくり歩いたというよりも息が切れて足が進まないのだ。若い夫婦たちだろう。後から来て軽く追い越されると「年だなー」とつくづく思い知らされた。
畑の土手や道の畦を見るとタンポポが咲き、所々に野蒜が生えていて、「帰りに採って行こう」などと策をめぐらしながら急な上り坂を歩いた。
やがて眼下に一本の枝垂桜が農家の庭先に咲いているのが見えてきた。
急ごしらえの階段が畑の中に作られていて降りて行くと数人の人が桜の古木を囲んで記念写真を撮っていた。
農家の主人の話によると松田町の観光課が「土佐原の枝垂れ桜」と宣伝して桜を見に来る人が増えたという。樹齢150年と謳ってているのだが。切ることは出来ないので年輪を数えてみたのでは無く、本当のところは分からないと言っていた。あくまで推定だと話していた。農家の個人の好意で見せていただくもので、観光化されてい無い。自然のままだからこそ心の和む思いがした。
「茶畑で生計を立てているのですか」と聞くと「みんな兼業農家で横浜あたりまで勤めに行っていますよ」と主人の返事だった。この山村からの通勤では大変だなあと思った。農業だけでは生計が立てられないのだろう。
時計を見ると12時になっていた。スーパーで買ってきた弁当を広げて枝垂れ桜と山の見晴らしをご馳走にして昼食を食べた。
足元に生えていた3本ほどの野蒜を採ってその場で生で食べたがこれほど野趣に満ちた昼飯は外ではない。
また帰り際に野蒜とタンポポを採ってお土産にした。
箱根の近くまで、せっかく来たのだからと「姫の湯」の温泉に疲れを取りに立ち寄った。
温泉は空いていてゆっくり湯船に浸かりくつろげた。しばらくしてよく数えたのではないが15人から20人ほどの70歳の僕と同じ年恰好の人たちが狭い浴槽に代わる代わる入って満員になってきた。急に賑やかになったが礼儀正しく品の良い人たちだった。よく見ると目が不自由な人がほとんどで手を引いてもらいながら入ってきた。付き添いの人がこまめに世話をしていて楽しそうに温泉に浸かっていた。
熱めなお湯なのでそれが話題になり「この熱いのが良い」という人と「熱いのが苦手だ」という人がいて久しぶりの温泉のようで嬉しそうに温泉のお湯を堪能していた。
この団体さんが先に浴槽から出た後、しばらくしてから僕も出てソフアーに腰をかけて休んでいると、二階の休憩室の賑やかな談笑の声が聞こえてきた。
「さっきの目の不自由な方たちですか、賑やかで楽しそうですね」と管理人さんに聞くと「そうなんです、昨日連絡があり少しばかり割り引いて差し上げたんですよ。それがねえ・・何処も受け入れてくれなくて、困っていて、うちに来られたのですよ・・」それを聞いて「エエ!そうなんですか、あのハンセン病の人たちの差別と同じではないですか」とつい口に出した。
ニュースで聞いた元ハンセン病患者さんの差別の件もひどいもので、他のホテルでは自分のホテルでなくて好かったと密かに胸をなでおろしただろうと思った。
まだまだ体の不自由な人たちにとって日本という国は「花冷えの桜のように世間は冷たい」と思い知らされた。
(2006・4・12)
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- 2006/04/12(水) 01:16:23|
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変わること
綺麗になりたい
自分に自信がつくから
可愛くなりたい
少しでもあなたの視界に入りたいから
笑っていたい
そんな人生を歩んで行きたいから
変わりたい
今とは違う
そんな自分を見てみたいから
(この詩は、うちのおもい・ちえさんの詩です。爽やかな、ありのままの「飾らない詩」が心に響きます)
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ぴかぴかの一年生 いのうえ つとむ
菜の花黄色
ランドセルも黄色
チュウリップは赤い色
ランドセルも赤い色
「赤いランドセルが可愛いね」
「背中にかけて見せてごらん」
「違うよ!ピンク色」
「ビビットピンクというの」
バラの花ピンク
ランドセルもピンク
濃いピンク色のランドセル
濃いピンク色のビビットピンク
ぴかぴかの一年生
ぴかぴかの第一歩
(2006・4・4) NO・310
(この詩は、ちえさんの詩に寄せて・ちえさんと孫の美穂ちやんに贈
る)
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- 2006/04/03(月) 10:29:32|
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