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走れ!でんどう三輪車
齢70にしてブログなるものに挑戦!人生まだまだこれからですよね(^^)//。俳句や詩歌を趣味として又釣り人として、 、、、、、はたまた「でんどう三輪車」として、日々の出来事を綴ります。

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今日という日

 今日という日  いのうえ つとむ

消えていった
今日という日

時計の秒針が
神経質に時を刻み

その静かな音は
規則正しく

空高くジャンボジェット機が
チョークで線を引いていくように

青い海洋にかもめが飛び交う
スクリユーの白い泡立ちのように

人生の航跡を残して
消えていった・今日一日

交わす笑顔はいつものように
交わす言葉もいつものように

その瞳は心の中の星となり
その声は心をを癒す妙音となり

記憶という日記を残して
消えていった

今日という日

(2006・2・28)



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  1. 2006/02/28(火) 02:24:02|
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萩原朔太郎について

でんちゃんさま⇒おはようございます!今日は晴れで風が強いです。

1935年の早春。,堀辰雄は街角の裏通りでばったりと朔太郎に会い,
小さな出版社へ誘われ,そこで出来たばかりの詩集「青猫」にサインしたのを貰ったそうです。朔太郎は,,その表紙の絵を
「自分で描いちゃったんだ」と可笑しそうに笑った,とも。
ちょうど今頃は
朔太郎を思うとマンドリンの音と猫の鳴き声が聴こえます。

Commented by before_rain at 2006-02-27 09:13
追記:
「青猫」の初版はこの↑10年くらい前だと思います。
朔太郎が描いた表紙絵は「猫の絵」で。
本を貰った時,堀辰雄は療養所から出て来たばかりだったそうです。
笑顔の朔太郎が見えるみたいです。




  1. 2006/02/27(月) 10:55:51|
  2. 日々のできごと|
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笑顔

 笑顔  いのうえ つとむ

お帰り!
ランドセルの子供達

道草を食いながら
追い越し 追い越されて

にっこり笑いながら
「ただいま」 と瞳を輝かせる

「おじさん乗せてよ」と
夕刊配達のでんどう三輪車の

ハンドルを握って
ペタるルを踏んでみた

少年の顔
少女の顔

嬉しそうなその笑顔は
はしゃぎまくるその顔は

少年の時代
遠き日の過ぎ去った日々

僕もこの笑顔をしていた
時には泣き笑いしながら

腕白していた
想いで

そして今も
この笑顔でいたい

(2006・2・27)


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  1. 2006/02/27(月) 05:37:44|
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虹の中の揺り籠

 虹の中の揺り籠    雨

湿った髪の匂い

煙草

陽だまりの枯れ草

海草のような息


淡い光の中で

リズミカルに

抱かれていた

遠い記憶


密やかで力強い動きに

合わせて


深い奈落に落ちてゆく

ゆりかごの歌


父は

そんな歌を

知っていただろうか


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

激しい雨の午後

父の腕の中で

まどろむ

夢を見ていた

(この詩は雨さんから贈られた詩です・・感謝の思いを込めて)

///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

 虹の中の揺り籠   いのうえ つとむ

雨上がりの空に
七色の虹がかかりました

ゆらり
ゆらり

ゆらり
ゆらり

東の大きな松ノ木と
西の大きな桜の木に

七色の虹はつながれて
ゆっくりゆれている

娘よ!
幼子に帰って

揺り籠にお入り
父さんが

揺らしてあげるから

(2006・2・26)
(雨さんに感謝して)



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  1. 2006/02/26(日) 14:31:41|
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ランタナさんの二つの詩から

 土の上には

土のうえには弱いものがいる。
ほそいみみずやむかでや蟹や
まだまだ弱いものがいる。
それは人間
 


 ある時

人の心の中には
ぽっかりと口をあけた
噴火口が
二つや三つはあるものだ



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  1. 2006/02/25(土) 21:44:02|
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ランタナさんの二つの詩から

 ある時
 
苦痛の時には
赤いとうがらしのようなものが
心の中にほしいと思う
真っ暗い心の底を覗くとき 
そんな強烈な色彩を
欲してくる


              
 これは、藤井敏夫著の『原点』という思想書みたいな詩集の中の一篇である。裏に昭和40年発行の自費出版限定本とある




  1. 2006/02/25(土) 21:40:35|
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ゴールドメダル

 ゴールドメダル  いのうえ つとむ

夕刊が遅れてきた
いつもの2倍ほどの厚さだ
一面に・荒川「金」と大きな見出し

フィギュアスケート
荒川静香が日本初めてのメダル
「金」

夕刊を配達していると
「日本を救いましたねー」と声がかかってきた

銀盤を優雅にすべる乙女は
雪山を飛翔する鶴でもない
菜の花を舞う蝶でもない

まさしく人間の舞だ
厳しい練習で磨かれた
尊い肉体と精神の結晶だ

精彩を欠き一度は引退さえ示唆したという
敗北の瞬間に「このままでは止められない」と
決意を新たにした

「金」

輝くゴールドメダルは
多くの人々に
勇気と希望を贈ってくれた

それぞれの人生には
我が人生のメダルがある

それは人生のゴールドメダル
我が人生のゴールドメダルだ

心の中で輝け!
君も 僕も!

(2006・2・25)


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  1. 2006/02/25(土) 11:12:04|
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自分への賛歌

 自分への賛歌  いのうえ つとむ

ゆっくり
ゆっくり
羽ばたこうよ

自分のペースで
あせることは無いよ

ゆっくり
ゆくつり
羽ばたこうよ

他人の人生と
比較しないで

人それぞれ
好いものを持っているのだから

昨日より
今日
そして明日へと

自分の素晴らしさを
日々発見して
歓喜の歌を歌いながら

この世の大空を
大きく鳶のように旋回しながら
おおらかに飛ぼうよ

 (2006・2・25)
(この詩は親愛なるプチさんに贈る)


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  1. 2006/02/25(土) 10:28:19|
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鶴のように

鶴のように  いのうえ つとむ

羽ばたけ!
大空へ大きく羽ばたけ!
高い木の梢の巣から

晴天の日
雨天の日 
そして嵐の日

大空は
時々刻々
激しく変化して

時として
泣くきたくなる
日もあろう

けれど
誰に頼ることもせず
自分の力を信じて

大きく翼を広げ
社会という大空を
幸せという気流に乗せて

ヒマラヤマ越へを
優雅に飛ぶ
鶴のように

悠々と羽ばたけ!

 (2006・2・23)
(大学卒業をお祝いして・成葉さんに贈る)


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  1. 2006/02/23(木) 00:15:36|
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つららの雫

 つららの雫  いのうえ つとむ

冬の風が
びゅう
びゅう吹いて
透き通った清水が
零下の寒さに震え
身動きも出来なく
硬い氷となってしまった

 
早春の風が
ふわわ
ふわわと
山の懐に入ると
木の枝も
芽を少しずつ
ほぐすようにふくらみ

透明な氷もほぐれて
つららの雫が
ポタリ 
ポタリと
落ちている

かたくなな
心がほぐれるように
いこじな
心がほぐれるように

(2006・2・22)
(この詩は・かぜくささんの「つららの雫」に寄せて・かぜくささんに 贈るる)


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  1. 2006/02/22(水) 02:23:33|
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茨城のり子の詩

 倚(よ)りかからず      茨木のり子

もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくはない



ながく生きて心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目

自分の二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある



倚りかかるとすれば

それは

 椅子の背もたれだけ






  1. 2006/02/22(水) 01:13:10|
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日暮れ

 日暮れ   いのうえ つとむ

そうと・・
闇夜が忍び寄り
まだ何処と無く
冷ややかな早春の風が
貴女の
柔らかな体を包む

日が暮れて
残照の
ほんわかとした
薄明かりの中に
田舎町の瓦屋根が
並んで浮かぶ

どの家も
まだ明かりはつかないけれど
そのうちに
オレンジ色の灯火がつくだろう
家族の団欒の声を交えて
夕餉の目玉焼きのように

(2006・2・21)
(この詩は雨さんの写真に寄せて・雨さんに贈る)


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  1. 2006/02/21(火) 22:59:46|
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牛の涙

 牛の涙   いのうえ つとむ

戦争が終わって何年経っただろうか。のどかな三河地方とはいえ終戦後の生活は誰もが厳しかった。物不足だった。とりわけ食料難で誰もが食べ物に餓えていた。
爆撃の傷後がそのままに残った場所がところどころあった。豊川海軍工廠の爆撃の時に僕の家の田んぼにも爆弾が落ちた。幸い家屋敷には被害はなかった。その爆撃で擂鉢状の大きな穴が掘られた。その田んぼでの出来事である。
昼ごはんを食べていた。中学校の同級生にはラジオドラマの「鐘の鳴る丘」と同じような「海の家」という孤児院があって戦災孤児も同級生に何人かいた。でも彼らより貧しい人がいた。
隣の席の小林君の弁当の中身がいつものように米粒がほとんど入っていなかった。南瓜と人参と薩摩芋の弁当である。僕は農家なので麦飯だけれどお米のご飯だった。彼は父が戦死してお母さんと妹さんと三人で親戚を頼りに疎開してきた人だった。あまり気の毒なので「半分ずつにしまいか」と話しかけた。小林君は「僕はこれでいいよ」と遠慮していた。弁当を机に置かず膝の上で隠すように食べていた。その時に「井上君、田んぼの方へ帰るように、家からお電話ですよ・・牛が倒れたんだって!」と女の先生の声がした。

早引きして急いで蓮華の花を踏みながら田んぼに帰って行くと、田んぼの真ん中に牛が倒れていて、父や叔父さんや近所の人が集まっていた。僕が世話をして育てた牛なので知らせてくれた。「これが最後かもしれないから会わせたかったのだ、お前に合わせずに連れて行ってはなー」と父が言ってくれた。
農業といえば牛の働きに頼っていた。牛の糞は堆肥にして貴重な肥料となり、牛がいなければ農業は成り立たなかった。
牛はほとんどが和牛で田畑の耕作に、運搬にと欠かせない大事な家畜であった。たまに乳牛のホルスタインを飼育している農家もあったが何軒も無かった。
戦時中に朝鮮牛といって赤毛のおとなしい牛が日本に入ってきて、この赤牛を和牛と同じように農耕に使い飼育する人もいたが珍しかった。
どの牛にしろ牛の働きが便りであった。
まだ耕運機も無かった。自動車は消防車と病院にあったぐらいで見かける事はまず無かった。オート三輪車が牛車に変わりつつあったが農家では誰も持つ人は無かった。お医者さんも自転車かスクーターで往診する先生が多かった。そういう時代なので牛は大切な家畜であった。
その大切な牛が倒れたのだ。
「今まで牛が倒れたことは一度も聞いたことが無かったなあー」
「朝から元気がなったからのう」
「仕事がきつかったかのん」
「鋤で土を耕すのが重荷だったかのう」
「すぐに疲れたのか、ハッハアー息をしていたのでのう」
「どうしたら良いかのん」
「チョットやソットでは動かんでのん」
そんな話をしている時に獣医さんが来て、診察をしてから
「もう治りそうも無いよ」と小声で言った。
「足は折れているかのん」と父が聞いた。
「折れてはいないと思うが、内臓から来ていると思うが」
獣医さんは足は折れていないと診断していた。
「熱も高いようだし、諦めたほうが良いかのん」
父は諦め切れないようだった
「肉にしても・・これじゃあ・・安くなるでのう」
「しかたがないかのう」
祖父も叔父さんも近所の人も同じようなことを口々にしていた。
「それでも、もう一度立たしてみまいか」
「立ってくれれば良いけれど、やってみようか・・」
「それ!」
「よいしょう!」
「ボウ・・ボウウ・・シッ・・シッ」
「ボウ・・ボウウ・・シッ・・シッ」
どんなに手綱を引いても一向に立ち上がろうとはしなかった。
「やっぱり駄目かのう」
「ソリを作って他の牛で道まで引いて出してみるかん」
「そうするしか無いで」
「ほう・・あんたんとこの赤牛を借してくれまいか」
「ああ・・良いよ・使っておくれんよ」
急ごしらえに板と丸太でソリを作った。ソリといっても簡単なものであった。牛をソリに乗せるのがまた一苦労であった。
僕は牛の頬や首をさすってやった。牛の目は熱に浮かされているようで、苦しそうな息使いだった。
綱を牛にかけてその綱を担い棒にくくりつけて4人の大人が担いで牛をソリに乗せた。
おとなしい赤毛の朝鮮牛を連れて来てソリを引かせた。代掻きの前なので田んぼには水を張っていなかった。水が少ないので滑べりが悪く農道まで出すのに手間がかかった。黒牛はソリに横むきのまま乗せられ、よだれをたらして苦しそうに喘いでいた。赤牛は振り返り、振り返り、何度も倒れた牛を見ながら急ごしらえのソリを引いていた。

やっとの思いで農道に出した。しばらくしてオート三輪車が到着した。
屠殺場の人が来ると、どの牛も敏感に察知して、畜生の感が働くのか、その時はほとんどの牛が少し暴れて抵抗したものだ。
この赤牛もやはり屠殺場の人を察知したのか、目に涙を流していた。
振り返り、振り返り、田んぼの中でソリを引いていた時も泣いていたであろう。
牛も人間と同じように悲しい時は涙を流すものだと思った。
やがて牛を乗せた三輪トラックは、タンポポや蓮華の花が咲く夕暮れの農道を去って行った。
萌える若緑の木立の中に三輪トラックが見えなくなるまで、みんなで見送った。母や居合わせた女の人達は涙を拭いていた。
僕はこの時の光景を忘れることは出来ない。

夜になって牛小屋の前にたたずみ、いなくなった牛のことを思い返していた。この牛は僕が世話をしてきた。朝早く刈ってきた草と稲藁の飼葉に少々の小麦や雑穀と糠を程よく混ぜて食べさせた。今日はまだ少し食べ残しがあった。新しい敷き藁と牛乳そのままの牛の匂いが漂っていた。

どの農家も子牛を買ってきて成牛に育て上げ農耕に使った。頃合を見て売り払い現金収入にして来た。だが今までの牛と違って、この牛は太ってはいたが何処と無く丈夫では無いように常々感じていた。おとなしい雌牛で僕になついていた。

牛は人をよく見る。人を見て言う事を聞くのである。こちらの目を見て服従するか、しないかの判断をするのだ。
牛は自分より強いと思えば服従し、弱いと思うと従はない。それどころか、頭を下げて角をサクり上げて攻撃して来る。それを人を間違えてやると「なめたまねをシャーがって」と鞭や棒で打たれるのだが、そういう時に僕は逃げてしまう。僕は気の強い牛は苦手だった。角を出してくるので、気の強い牛を僕は避けていた。
その僕の弱気を今迄のほとんどの牛はよく見徹していて、僕を甘くなめ切っていた。だから今まで牛には近寄らなかった。兄は農家の後継ぎの自覚があるのか平気で牛を使いこなした。しかしこの牛だけはおとなしく僕によくなついた。だから僕が世話をしたのだ。可愛がって育てた。いろいろ思いめぐらして何時間も時間を忘れ牛小屋の前で過ごした。
「牛は処分されて牛肉となっただろうか。牛の命は何処に行ったのだろうか」・・と思いながら夜空を見上げていると、スーと流れ星が一つ東の空から西の空に消えていった。
牛の命と関係は無いだろうが、何故か気になって仕方が無かった。

 (2006・2・15)


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  1. 2006/02/19(日) 23:41:16|
  2. 小説・エッセイ|
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美也子さんの「牛の涙」の感想

読ませていただきました。
このエッセイで1番素晴らしいのは、空襲の描写の生々しさです。
さすが、詩をお書きになるでんどうさんだけあって、情景が目に浮かぶような迫力があります。
が、そのインパクトが強すぎて、全体のまとまりがない印象。書きたいことを何もかも詰め込んだために、テーマが何なのか、わからなくなってしまっています。

1番拙いのは、牛の死と、それ以前に書き連ねられた戦争の悲惨さとの関連性が感じられないこと。つまり、牛は病死であって、戦死ではないのですから、前半と後半で話が繋がらないのです。
おそらく、こうした時代だから、農耕牛と人との結びつきも強かったと説明されたかったのだと思いますが、違うものが伝わってきてしまうんですよね。

ということで、前半は「別の話」として独立してまとめる前提で、後半を考えてみます。

後半の肝は、何度も振り返りながらそりを引く牛と、殺されるために引かれる牛。2匹とも事情を推察しているらしい、その憐れさ。さらにそれを見つめる人々の思い――だと思います。
それに焦点を当てるとすれば、盛り込むべきは、貧しい生活の中での人と牛とのふれあい。牛が単なる家畜ではなく、苦しい時代に力を合わせるパートナーであったことが、しみじみと伝わるようなエピソードでしょう。

もう1つ、井上君がわざわざ電話で学校から呼び出されたのは何故なのか。単に人手が欲しかったのか、それとも家族の臨終と同じような感覚だったのか。
呼び出しは「事件」であることがそれ以前の記載から伝わってきますので、読者は興味を持ちます。興味を引いたことはきっちり解明されないと、もやもやとした不満が残るものです。

ほのぼのとした牧歌的な情景の中で、胸を打つ作品に仕上げるほうが、まとめやすいと思いますので、まずその方向で。
その背後に戦争の影、時代の悲惨さや不気味さまで潜ませることに成功したら、これは第1級の作品になります。そのときのポイントは、あくまでも登場する家族の直接体験だけを書くこと。近所の娘さんの話、ではだめです。

厳しく書かせていただきましたが、テーマに沿ってエピソードを取捨選択し、掘り下げていくコツを感じていただければ、と思います。

――というのが私の意見ですが、違うご意見の方があればお願いします。
Posted by 美也子 at 2006年02月16日 09:45





  1. 2006/02/19(日) 15:49:46|
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That's life

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それが人生.That's life. (森下 あゆみ)

人生は色んなことがある.
辛いこともたくさんある.
考えようによっては,幸せな瞬間って,砂丘の中に金を見つけるようなことかも.
ラクじゃなくて,「楽しい」ことは,辛さも伴うしね.

思い通りにならないこと.
努力しても叶わないこと.
予想もしてなかった人生.

でも,それが人生.That's life.
人は死ぬまで生きていかなければならないから.

だから,「今後ずっと」とか,「一生」とか漠然と未来が固定されているような感じを持たないこと.

人生,振り子のようにね,
プラスに触れたら,マイナスに触れることもある.
ぐるぐる回っちゃうこともある.
振りの幅の小さな人がいれば,大きな人もいる.

だけど,プラスマイナス結局ゼロ.

必ず,マイナスがチャラになるように,プラスに戻るから.

だから,未来を固定したり,悲観しちゃダメよ.

悪いときには,目を伏せて,ふとんかぶってもいいから,振り子の触れが変わる瞬間を待つ.

触れは必ず変わる.

(精神科医森下あゆみ先生のお話から)

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 That's life   いのうえ つとむ

君は泣きながら生まれて来たね
僕も泣いて生まれて来たよ
辛いこと苦しいことが
待っていると知っていたのか
人はみんな生まれる時は
大きな声で泣いて来た

いつものように
お布団が日向ぼこ
おねしょをして
地図を描いて 
叱られた
人に見られて恥ずかしかった

「 思い通りにならないこと.
 努力しても叶わないこと.
 予想もしてなかった人生.

 でも,それが人生.That's life.
 人は死ぬまで生きていかなければならないから」

ああ!幸せは
幸せな瞬間って,砂丘の中の金かもね

「 人生,振り子のように
  プラスに触れたら,マイナスに触れることもある.
  ぐるぐる回っちゃうこともある.
  振りの幅の小さな人がいれば,大きな人もいる.」

でも必ずプラスにしよう
幸せな人生にしよう



君は泣きながら生まれて来たね
僕も泣いて生まれて来たよ
辛いこと苦しいことが
待っていると知っていたのか
人はみんな生まれる時は
大きな声で泣いて来た


いつものように
廊下に立ちんぼう
腕白して
女の子を泣かせて
叱られた
みんなに笑われて恥ずかしかった

「 思い通りにならないこと.
 努力しても叶わないこと.
 予想もしてなかった人生.

  でも,それが人生.That's life.
  人は死ぬまで生きていかなければならないから」

ああ!幸せは
幸せな瞬間って,砂丘の中の金かもね

「 人生,振り子のように
  プラスに触れたら,マイナスに触れることもある.
  ぐるぐる回っちゃうこともある.
  振りの幅の小さな人がいれば,大きな人もいる.」

でも必ずプラスにしよう
幸せな人生にしよう




君は泣きながら生まれて来たね
僕も泣いて生まれて来たよ
辛いこと苦しいことが
待っていると知っていたのか
人はみんな生まれる時は
大きな声で泣いて来た


いつものように
取るものも手に付かず
ドジ踏んで
大人になって 
叱られた
自分自身が恥ずかしかった

「 思い通りにならないこと.
 努力しても叶わないこと.
 予想もしてなかった人生.

 でも,それが人生.That's life.
 人は死ぬまで生きていかなければならないから」

ああ!幸せは
幸せな瞬間って,砂丘の中の金かもね

「 人生,振り子のように
  プラスに触れたら,マイナスに触れることもある.
  ぐるぐる回っちゃうこともある.
  振りの幅の小さな人がいれば,大きな人もいる.」

でも必ずプラスにしよう
幸せな人生にしよう

(2006・2・18)

(この詩は精神科医森下あゆみ先生のお言葉をお借りして・あゆみ先生に送る)


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  1. 2006/02/18(土) 18:55:05|
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口笛

どこまでも


淋しい現実以外は


みんな


嘘なんだ


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日の空には

口笛が

よく似合う


(雨さんの詩より・僕の心に何故かよく共鳴するのです・でんどう三輪車)

//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

 口笛  いのうえ つとむ



口笛を吹いた

銀座の雑踏の中で
東京の曇った空を見上げながら



口笛を吹いた

会社の窓の外を見ながら
仕事と葛藤している時に



口笛を吹いた

遠く・過ぎて消えていく
初恋を偲びながら



口笛を吹いた

青春の心と くたぶれた体と
噛み合わぬ時に


二月のまだ寒い林の中で
ひよどりが
口笛を吹いている
というより

悲しく叫んでいる

(2006・2・16)
(雨さんの詩に感動して・雨さんに贈る)


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  1. 2006/02/16(木) 00:38:52|
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牛の涙

 牛の涙  いのうえ つとむ

「牛の涙」は修正して、発表いたしました。お読み頂き、またコメントを頂き有り難うございました。きちんとまとめましたので、またご一読くださいね。


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  1. 2006/02/15(水) 10:58:38|
  2. 小説・エッセイ|
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早春

/////////////////////////////////////////////////////////////////

 呟き     雨


優しい嘘を


言ってご覧よ







風のように


受け止めてあげるさ



(なんて優しい言葉だろう・なんて優しい呟きだろう・と心の中で噛み締めている・でんどう三輪車)

/////////////////////////////////////////////////////////////////

  早春   いのうえ つとむ

桜の木の芽が
少しずつ
少しずつ
膨らんできて
初潮前の少女のようだ

青い空を
雲は駆け足
素通しの梢を
通り過ぎる風も
小枝を掻き分けて

ほんのり暖かく
頬をなぜてゆく

小鳥たちよ!
フルートを吹いて
虫たちよ!
ピッコロを吹いて
早春の歓喜を奏でて欲しい

雪と氷で
冷えた心よ!
菜の花の香りで包まれ
蝶のように
蝶のように

軽やかに・・舞ってみたい
嘘でも良いから

(2006・2・13)
(この詩は雨さんの詩に寄せて・雨さんに贈る)


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  1. 2006/02/14(火) 10:26:45|
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空は晴れて

 空は晴れて  いのうえ つとむ

電車が大磯の駅の近くに来て、窓の外を眺めると、いつもは青い海が松の梢越しに見えるのだが、あれ!と思うほど海は鉛を流したように暗く灰色に見えた。

空を見上げると空もまた灰色というか薄黒い雲に覆われていた。朝、家を出るときは快晴で昨日に続き暖かな日だと思っていたのに小田原で乗り換え箱根の湯元の駅に着いたときには雨が降ってきた。傘を用意してこなかったので、これは「しまった」と思った。

登山電車が登って行くにしたがい箱根の山は雪になっていた。少しだけ雪をかむった樹も女の人の薄化粧のように良いものだと山や樹に見とれていた。

駅で傘を借りて出てみると霙に近い重い雪が斜めに降っていて、ふわふわと雪の舞うのは見られなかった。肩に舞い降る「雪舞」ではなかった。

昨夜、夜中に足がつりコムラ返しになって痛いお思いを久しぶりにした。前々から疲れがひどいので11日か12日の休みには、日帰りの温泉に行くことに決めていたのだが、これでは仕事が出来ないので何としても今日は温泉に行きたかった。

12時15分ごろ行き付けの姫の湯について3時頃まで約3時間ほどゆっくりと体をほぐした。
温泉の窓からは、石崖と囲いで外の風景は見られないが僅かに空を覗くことが出来た。「少しでも青い空が見えると良いねえ」と地元の顔なじみのお年寄りと話していると、やがて雪も止んで空が明るくなった。
この温泉は体に合うのかすっかり疲れも取れ痛みも取れた。

大平台の小さな駅について傘を帰し、ベンチに座るとすでに20代後半か30歳そこそこの女性が一人座っていた。
「雪が上がってよかったね」と声をかけると「よかったわねえ」と返事を返してくれた。「帰りに干物の工場に寄って徳安の干物を買う予定だったので、晴れてよかった」と独り言のように話すと彼女も親しげに話してきた。
「私は座間から来たのですが時々ストレスがたまると安い旅館があっていつもその旅館に日帰りで温泉に入りに来るのよ」とその旅館を教えてくれた。
「奥さんとこられると良いわね、家族風呂で貸切だからね、小さくて綺麗な旅館ではないけれど日帰りで500円で入れますよ」
「何・・混浴なの?」
「そうよ、ほとんどお客さんは来ないからね、今日も私一人だった」
「そんな温泉があるの」
「細かいお金がなくてね1万円札を出したら、そこのおじさんが「今度で良いから」ってただで入って来たの」と笑っていた。
保育士をしいて25人ほど面倒を見ているのだが、結構大変だと話してくれた。
湯元の駅に着き新宿行きの小田急に乗り換える時
「私も干物工場に付いていって良いかしら」
「ああ、良いよ、ビックリするほど安いよ、市販されない・はみ出し物だけれど・・ほんとに安いよ」
「この切符は湯元なら途中下車が出来るのだけれど箱根板橋の駅で出来るかしら」
「ああ、駅員さんに聞いてみたら、小田急だから良いと思うよ」
「改札で思い切って話してみようかな」
そんな話をしているとまもなく駅に到着した。

「座間まで帰りたいのだけれど・・ここで一度降りても良いかしら」
「ああ、いいですよ、どうぞ」
駅員さんの気持ち好い返事が帰ってきた。

鯵とホッケの干物を干物工場から田舎に送ってもらい、自宅で食べる分を買った。
彼女はホッケの干物と特製の塩を買っていた。

僕は小田原の駅でJRに乗り換えた。
親戚か娘のように親しく話をしてきたが、別れるときも名前も聞かなかった。
「またいつか会えるかもね・・さようなら」
「そうですね、今日は有り難うございました。またお会いすることがあ るかもね、さようなら・・」

一期一会かも知れない、また再会することがあるかもしれない、それは解らない、名前も電話も聞けば教えてくれたと思うが、敢えてしなかった。
縁があればまた逢うだろうし・・老人にはその必要はなかった。

(2006・12)


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  1. 2006/02/13(月) 01:55:43|
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蒼い瞳

 蒼い瞳   いのうえ つとむ

シドニーの青い空
シドニーの青い海
そしてシドニーの蒼い湖
太陽の真下
二人の少女の笑顔が輝いて

空の青さ
海の青さ
そして湖の蒼さが
瞳の中に輝いて

少女達の笑顔よ!
無邪気に頬を寄せ合う
二人の笑顔よ!
平和な笑顔よ!

世界の子供達よ!
戦争という字を
戦争という事を
知らないで欲しい
永久に!

(2006・2・11)
(ドロシーさんのカメラと俳句に感動して・ドロシーさんに贈る)


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  1. 2006/02/11(土) 18:37:24|
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若く眩しく

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  午後のプラタナス  雨


眩し過ぎる

若さと





陰影を武器に


わたしに挑んで来る

ものたち


地上に溢れる

後ろめたさを


プレゼントしよう


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


およそ,芸術的なもの

自分にとって。,惹きこまれるものたちは


敵でもある。


魂を奪われ,。心乱され


その上


時間も失くす


 (雨さんの詩より・・心に深く残る詩です)

/////////////////////////////////////////////////////////////////


 若く眩しく  いのうえ つとむ

二月
太陽は

一日 一日と
春へと眩しく

枝先の木の芽は
いまだ小さく硬く

梅の花が丸く丸く
咲きほころび

小鳥の囀りも
何故か浮き立ち

啓蟄は近し
虫もまた夢枕を後にする

二月
太陽は

若く眩しく
・・春の始まり

遠き日の 
過ぎし日の

・・吾が若き日

(2006・2・11)
(この詩は雨さんの詩に感動して・親愛なる雨さんに贈る)


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  1. 2006/02/11(土) 16:06:43|
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パソコンの詩

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  Surf Rider☆   久保田 綾子

さよなら さよなら

こんにちは こんにちは

よろしく よろしく

私 を 渡し

記憶 を 記録

       メモリー メモリー

零 と 壱

諸悪 を 掌握

快楽 を 快諾


流れつく路地

   桃色の 栄華

     銀幕に移る灰

彼方より離れられよう

思考せずに嗜好する

眠りを忘れ
            波に載る


 (綾子さんがパソコンを初めて手にしたときの感動の詩です。
  なんと爽やかかな感覚!・・ここにご紹介いたします)


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パソコンの詩  いのうえ つとむ

子供の頃や
青春時代は
ふと 湧いてきた思いを
ノートに書きとめ
・・原稿用紙に清書した
・・詩

今 
パソコンに向かい
キーを叩いていると
泉の清水のように
滾々と言葉が湧いてきて
両手で泉の水を掬うように
言葉が並ぶ
・・詩

そして・・

Surf Rider
Surf Rider

打ち寄せる波のように
休むことなく

Surf Rider
Surf Rider

新たな言葉が
あふれ来る

・・詩の波

(2006・2・11)
(この詩は新人女優の綾子さんの詩に感動して・・綾子さんに贈る)



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  1. 2006/02/11(土) 14:19:41|
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坂道

 坂道  いのうえ つとむ

急な坂道が延々と続く
山を宅地にした住宅地

車で走ればなんでもないが
歩くと大変だ

子供を二人乗せた乳母車
女の子とその弟の男の子

若いお母さんが押していく
歯を食いしばって押していく

・・「この坂 大変だね」
・・「ええ 体力付きますわ」

途中に来てとうとう たまらず子供を降ろした
子供は自分で歩き出す

・・「えらいなーアンヨするんだね」
・・「うん バイバイ バイバイ」

雑草のような親子が大好き 
僕も雑草だから

 (2006・2・10)


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  1. 2006/02/10(金) 23:04:43|
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梅の花

 梅の花  いのうえ つとむ

ふっくらと
梅の花が咲いた
二月の柔らかな
・・日差しの中で

咲きかけの
梅の花は
穢れを知らない
幼い少女たちのように

メジロが枝から枝えと
忙しそうに
花の中に顔をいれ
甘い蜜を吸っている

梅の花をよく見ると
人間と同じように
・・何故か
背中合わせに咲く花も

眼と眼を合わせられない
犬猿の仲の人のよう
どいう生まれ逢わせか
同じ枝に咲いている

夫婦であっても
兄弟であっても
隣同士でも
職場の中でも

怒りや憎しみを
胸に抱いて
心を許しあえない
人の・・悲しさ

梅の花が
背中合わせに
咲いているからと
ただそれだけで

人間の業に
かこつけては
梅の花が可哀想
梅の花が清楚なだけに

梅の花の
甘い香りを
満喫しよう
・・心行くまで

 (2006・2・9)


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  1. 2006/02/10(金) 07:00:05|
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雪椿

  雪椿   いのうえ つとむ

相模川の曲がりくねった流れが銀色の帯のように、
雑木山の枝の間からぎらぎらと輝いて見えた。

川の上流は、川沿いに山の樹が覆い茂り、
小鳥のさえずりが心地よく、澄みきった空気を吸いながら細い山道を散歩した。

メジロ、鶯、ひよどり、山雀、四十雀、コガラ、啄木鳥と秋から冬、
そして春、夏と四季を通じて小鳥たちの合唱で飽きることはなかった。

冬になると木の葉が舞い上り
金色の小鳥が一斉に飛び立つような壮観な風景だった。

とりわけ真っ白な雪景色に心は奪われ、
雪道を立ち止まりながら歩いた。

濃い緑色の椿の葉が雪を背負っていて、
椿の花がそっと顔を覗かせていた。

椿の花は、白無垢の花嫁が恥らうように、
控えめに咲いていた。

時折風が吹いたり、ひよどりが来て枝を揺すると、
ばさ、ばさ、と音を立て、雪が落ちた。

ひよどりの叫ぶような声とその雪の落ちる音が、
・・聴こえて来る。

雪椿の
真っ赤な口紅を想い出しながら

 (2006・2・10)


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  1. 2006/02/10(金) 00:05:24|
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「季節」 雨ちゃんの詩

ふるさとを

思う気持ちと





人を恋うる心に

どれほどの

違いが

あるのだろうか


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

午後4時前の

空と木です。ひと頃に比べて随分,日が長く感じられます。

家に着いたら

雪が降り出しました。


春が来ると思うと

冬が恋しい

過ぎ行く日々を刻むように

日記を書けるといいですね。


今日はいい一日でした。ありがとう。




  1. 2006/02/09(木) 23:30:18|
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三人目の子供

 三人目の子供  いのうえ つとむ

寒い
寒い
凍える指をだましながら
夕刊を配達していた
「紀子さま御懐妊」
大きく写真入りのニュース
三人目のお子さんだという

先日若いお母さんが
赤ちゃんを
両手に抱えるようにして
歩いていた
一目見て双子とわかった

・・「双子ちゃんですか・可愛いね」
・・「はい・双子です」
・・「実は僕も双子なんですよ」
・・「ええ!そうなんですか」
・・「子供は宝!三人めが欲しいね」
・・「とても・とても・生活できません」
・・「今の生活が苦しくて・欲しいけれど無理です」

皇族の人と違って
庶民は生活が苦しいのです
少子化・少子化というけれど
生活が苦しくて
子供が欲しくても
・・作れないのです

人は生まれながらにして
どうして
・・境遇が違うのでしょうか

庶民の子供も
子供は宝
子供は宝なんですよね

(2006・2・8)


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  1. 2006/02/08(水) 22:33:56|
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禁じられた遊び

  禁じられた遊び   いのうえ つとむ

・・「僕・何処から生まれて来たの」と
幾つの時か記憶にないが、
母さんに聞くと笑いながら
「大川の橋の下から拾ってきたんだ」と教えてくれた
父さんにも聞いたが同じ返事だった
・・でも嘘っぽく思えた

少したって大きくなって
年上の女の子が教えてくれた
畑の隅の隠れた場所でパンツを脱がされた
「こうして子供は出来るのだよ」と教えてくれた
初めて女の子の体の柔らかなことを知った
「ままごと遊び」
動物も人間も同じだと教えてくれた
・・「お医者さんごっこ」は禁じられた遊びだと子供心に感じた
それっきり最初で最後だった


思春期になって性に関する言葉を見つけると
眼を輝かせて辞典を開いた
一つ一つ知っていく・・あの感動は
まだ心の奥に少しは残っているだろうか

性行為で人間の生まれることは知った
そして自分も親になった
だが「命」は
何処から生まれて来るのか
いまだはっきりと定かではない

宇宙が生命の源だと
理解しているつもりだが
あまりにもスケールが大きすぎて
手に取るように実感が今一つ無いのが・本音

この体は精密機械よりも尚精密だけれど
あまりにも自分が小さすぎて

 (2006・2・7)


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  1. 2006/02/07(火) 09:46:35|
  2. コラム「でんどう三輪車」|
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| 2005/11/28(月) 02:46:50| 私のうた| トラックバック(-)コメント:0

の・・「コメ ント:0 」をクリックするとコメントのページが出ます・・ぜひご感想を書き込んでください

大切なお時間を頂き・読んでいただくことを感謝して・・これからも
心を込めて頑張ります・・宜しくね。






  1. 2006/02/06(月) 21:36:14|
  2. 日々のできごと|
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サーカス

 サーカス 


ピアノ線の上を

綱渡りしてみると

解るのかもしれない

大切なものが


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


夢も野心も慈しみも

ちっぽけな下心も

見て見ぬふりをしてくれるかい


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「サーカス」の歌悲し。

薄闇を

飛び交う

蝙蝠

( 雨さんの詩より )


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 サーカス  いのうえ つとむ

テントの中から
サーカスの歌が聞こえてくる
それは「天然の美」
もの悲しく耳の奥から聞こえてくる

小人がいた
顔は大人の顔
大人のしぐさ
それが何故だか悲しかった

道化が笑わせた
その笑いの眼差しは
砂漠のように乾燥していた
それが何故だか悲しかった

馬が走った
女が乗り 鞭の音が響いた
同じところをぐるぐる回って
それが何故だか悲しかった

空中ブランコで
女は・・手を離した
一瞬・・男の手につながれていた
落ちるかと思ったのに

綱渡りをハラハラして見た
棒を持ってバランスをとっていた
細い綱を用心深く
・・見事に渡りきった

戦後の片田舎の
・・小さなサーカス
猛獣はいなかった
曲芸も上手ではなかった

けれど何故か心に残った
何処となく不安そうな顔が
心に残った
人生を教えられているようで

(2006・2・3)
(この詩は雨さんの詩に寄せて・雨さんに贈る)


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  1. 2006/02/03(金) 23:03:44|
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