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走れ!でんどう三輪車
齢70にしてブログなるものに挑戦!人生まだまだこれからですよね(^^)//。俳句や詩歌を趣味として又釣り人として、 、、、、、はたまた「でんどう三輪車」として、日々の出来事を綴ります。

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裸の出会い

  裸の出会い  いのうえ つとむ

箱根の姫の湯で30代後半かと思われる青年と二人で湯に浸かっていた。感じの良い青年だったので声をかけた。笑顔がまた爽やかな青年だった。名刺を頂いて見るとコンピューターのプロだった。家に帰って教えていただいたブログを開いて見ると全国の温泉めぐりをしていて「温泉リラックス」に自分の歩いた記録を書かれていた。まさに裸の出会いだった。

裸の出会いといえば、一人思い出す人がある。それはドリフターズの加藤茶んである。テレビに顔が映るたびに思い出した。
箱根の姫の湯に行く前にテレビを付けたら、加藤・茶んがドリフの特集に出ていて苦労話をしていた。その裏話を聞くと あの笑いの影にずいぶん苦労をしているなと思って見ていた。「ある日、仕事が終わって家に帰ってみると お袋の返事が無い。お袋!お袋!と何度呼んでも倒れていて返事をしなかった。救急車を呼んだがもう駄目だつた。高血圧で前にも具合が悪くなったことがあって、大丈夫だというのでそのままにしたのがいけなかった。あの時、気がついておればこんなことになら無かった。自分が殺したようなものだ、俺も死のうと心に決めた。葬式のときお坊さんが『あんた死ぬ気だね』と言われぎくりとした。誰にも言っていないのに どうして分かるのですかと聞くと『顔に出ている』と言われ、『お母さんはあなたには未練は無いんだよ何にも未練は残すことは無いから逝ったんだ、あなたは自分の使命を果たしなさい』と諭されて本気で仕事に打ち込んだ」と話し終わった。そして彼のお母さんの遺影が映し出された。妻にテレビを見るように床を叩いて合図を送ると懐かしそうに見ていた。もう40年ほど前のことが昨日のことのように思い出された。

彼はまだ若く下済み生活をしていた頃のこと、キャバレーなどでドラムを叩いていると聞いていた。鶴見のアパートの近くに住んでいて僕も30代最後の年だと思うが。彼のお母さんと妹さんはよく遊びに来てくれて、生まれたばかりの長男を抱いたりおんぶして「可愛いね、可愛いね」とあやしてくれた。妹さんが悪気は無いが「お母さんがオシの赤ちゃん」と言っていたのがいつまでも耳朶に残っている。銭湯のおばさんが洗い場の掃除をしている頃、僕がお湯に浸かっていると小柄な青年が入ってきた。「今晩は」と挨拶を交わすだけで一言も話すことも無く「感じは良いが無口な青年だな」と逢うたびに思った。それがやがてブラウン管を一人締めして「ちょっとだけよ」と笑いを振りまいた青年であろうとはその時は思ってもみなかった。

彼はお母さんと妹さんと三人暮らしで楽な生活ではなかったように思う。お母さんも妹さんも良い人で、親思い、子思いの家族だた。・・・僕がアパートを家主から空けて欲しいと言われている時だった。「今度東京に越すので今いるアパートが空くから家主に話しておくね」とお母さんがずいぶん力になってくれたが「子供のいる人には貸せない」と断られてしまった。どのアパートも部屋が汚れるからと子供連れは嫌われ断られて苦労した。

加藤茶ンが急に売れるようになり、一躍有名人になってからお母さんが亡くなられたと知人から聞いたが、彼が後追いして死のうと思ったのがよく理解できる。それほど息子を思う母親であったから。

  (2005・10・10)


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  1. 2005/10/10(月) 06:02:24|
  2. 小説・エッセイ|
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