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走れ!でんどう三輪車
齢70にしてブログなるものに挑戦!人生まだまだこれからですよね(^^)//。俳句や詩歌を趣味として又釣り人として、 、、、、、はたまた「でんどう三輪車」として、日々の出来事を綴ります。

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清流の中で

  清流の中で   いのうえ つとむ

朝から空は曇っていた。山に囲まれた岐阜の付知川(つけちがわ)の清流で鮎を釣っていた。口に含みたくなるような綺麗な冷たい水の流れの中で鮎を釣っていた。見えないほどの細い釣り糸に付けた、オレンジ色、ピンク色、黄色の三色の蛍光色の目印が、木々の緑を背景に川面より浮き出て見える。囮鮎が動けば目印が動く。時間を忘れてその動きを見ていた。忘れてというより時間という観念はまったく遠のき、無くなっていた。身も心も自然の中に抱かれたような思いだった。目印は野鮎に追われる気配は少しも無く、さらさらと流れて行く水の流れに揺らいでいる。目印をじっとを見つめていた。

ふと、インターネットで知った鬱病の16歳の少女や心を病む若い人たちの事が僕の心をよぎった。そして僕の頭から離れなくなった。目まぐるしい動きの喧騒とした都会生活より自然の中の生活のほうが住み良いだろうな、と思ったりした。鬱病で悩む人を何人か知っていたが、皆、優しい心の持ち主で正直な人であった。小さなことでも胸に受け止めて、くよくよと思いつめるところがあった。受け流すとか、聞き流すとかが出来なく、要するに、誤魔化すことが出来ない、ずるさが無いのだと思った。或る青年は線路に入って命を捨た。彼も真面目で正直な青年だった。その前の日に我が家の縁側で普通に話をしいたのでショックだった。妹が勤めていた同じ刈谷の日本電装をしばらく休んでいたところだった。後から鬱病であることが分かった。

最近は、お年寄りを狙った悪徳商人が多い、俺・俺・詐欺が多い。目新しいところでは、インチキ・リホームで高齢者の住宅を狙う悪徳建築屋が出てきて、次から次と悪知恵を働かせてくる者が多い。鬱病で心を病む人たちとは正反対の人たちだが。心を病む人には、この悪人の多い社会の中でギヤーを合わせる事が、一体全体、無理なのかも知れない。

僕は上京して今の妻と結婚した。そのことは、そっと胸にしまって置きたい事だけれど・・・木村さんという妻の友人から話があった。木村さんも妻と同じように、ローア者であった。「牛久さんをどう思いますか?」「牛久さんは良い人だから結婚してください」「井上さんは私たちを助けるために、この佐田被服の縫製工場に来てくれたのですね。・・・だから結婚して下さい」と紙に書いての単刀直入の要望の筆談だった。これが運命の一枚の紙になった。

さすがに即答は出来なかつた。三日三晩考えた。牛久という彼女は20人ほどの女子寮の責任者であり、同じローア者の面倒をよく見ていた。目の綺麗な清純で優しい娘だった。縫製の技術は高度な技術者として120人ほどの縫製工場の特別班で指導的な仕事をしていた。紳士服の工場であったが、婦人服も、子供服も全部こなせると、友人の工場長の自慢の社員であった。耳が聴こえなく言葉が不自由で或るというだけで、親の援助も無く、一人で生活をしている。立派な社会人である。ローア者というだけで断ることは差別である。差別する事は出来ないと思た。

小学校5年生のとき、当時死の病と嫌われた肺結核になり、人から恐れられ嫌われた。担任の教師でさえ近寄らなかった。差別される眼も言葉も恐ろしかった。だから結婚の話を承諾した。親の反対は覚悟の事だつた。手紙を出したところ、案の定、猛反対してきた。「そういう娘さんは同じような人と結婚するのが一番幸せなのだ」「妹の結婚に差し支える」等々、ありとあらゆることを並べて反対をしてきた。「何もそ言う娘さんを寄りによって・・」と反対をされた。

彼女は、ローア者と結婚することは両親から反対されていたので、結婚はしないと決めていた。まさか健常者と結婚できるとは思いもよらなかった。親に手紙で報告した。両親も驚いたことだろう。コロンビヤ工場の元労働組合の委員長をしていたという親戚代表の人が、結婚詐欺では無いか?と不審に思い、僕を訪ねてきた。僕に直接あってそのような者ではないと親に伝えた。両親は喜んだ、特に母親は嬉しかったと思う。しかし僕を見に来た叔父さんが一言付け加えた。「そんなに喜んでいるが井上君のご両親は猛反対だから普通の嫁入りは出来ないよ、そのつもりで」と言われた、その一言が胸に突き刺さってしまった。喜びが大きかっただけに、心配も大きかつたのだろう。夜も眠れない日が続いたようだ。或る朝、鶴見川の土手を歩いて滑り落ちてしまった。「母、急病、すぐ帰れ」と彼女に知らせが届いた。翌日僕も病気見舞いのつもりで尋ねた。家の前を喪服を着た人たちが出入りしていた。変だなと思った。事情を知り驚いた。彼女が僕の膝に泣き崩れて来て涙を一杯流して泣いた。悲しい思い出である。桜木町駅の大きな電車事故のあった同じ日であったと記憶している。

もし話を聞いてあげる人がいて、胸に刺さった一言の「言葉の釘」を抜いてあげることが出来たら、一人思い悩んで川の土手を歩き回らなくてもよかつたのにと思った。話を聞いてくれて絡んだ糸を解いたり、突き刺さった釘を抜いてくれる人が大事だと思った。

今多くの人が、インターネットで心の病を訴えて、同病の人を求めている。「同病相哀れむ」と言うことか知れないけれど、僕は社会の人々に鬱病と言う心の病を知り、理解してほしいと言うサインだと思う。普通のサラリーマンであったり、学生であったり、外見では分からないから、何とか理解して欲しいのだと思いながら、川面を見つめていた。
川の流れは穏やかに流れていて、蛍光色の目印が囮鮎の動きに合わせて、緩やかに揺れていた。鮎は一向に釣れなかった。

                    (2005・7・22)


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  1. 2005/07/22(金) 02:36:31|
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