口笛を吹いて いのうえ つとむ
楽しいときも
寂しいときも
悲しいときも
よく口笛を吹いていた
一人で口笛を吹いていた
少年時代のことだった
風に乗って
口笛は消えていった
白い雲の中に消えていった
とんびが輪を描いて
ピンヒーヨ ロ ピンヒーヨ ロ
鳴いていた
楽しいときも
寂しいときも
悲しいときも
僕は孤独だった
一人ぼっちで口笛を吹いていた
けれど一人ぼっちでは無かった
とんびも聞いていて
ピンヒーヨ ロ ピンヒーヨ ロ
僕の口笛に答えてくれた
何処かで誰か
きっと誰かが
聞いてると思って
元気を出した
勇気を出した
(2005・7・31)
(この詩は16歳の貴女にに贈る)
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- 2005/07/31(日) 09:45:25|
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佳子ちゃんが来てくれたよ
夾竹桃が咲いていて、
蝉がみんみん鳴いていて、
今日も暑い日ですね。
あの日とまったく同じですね。
平成2年7月30日、
今日は陽子の命日です。
僕は陽子の分まで、
生きて、生きて、生き抜くよ。
(2005・7・30)でんどう三輪車
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- 2005/07/30(土) 12:02:47|
- 日々のできごと|
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泉の森の中へ いのうえ つとむ
森は樹が生い茂っていて
太陽の光は木の葉でさえぎられ
昼間というのに薄暗かった
黒い鳥がホバーリングしていて
小鳥の声も物憂く
遠くで聴こえた
その細い道を一人で登って行くと
谷間のところどころに泉があって
清水が懇々と湧いていた
あそこにも
ここにも泉があって
清水が懇々と湧いていた
それぞれの泉が僕を呼んでいた
ささやくような声でもあり
叫ぶようにも聴こえた
「私の話を聞いて」
「僕の願いを聞いて」と
湧き出る清水は何かを訴えていた
その辛い話を聞きながら
その苦しい話を聞きながら
両手ですくって見たが
泉の清水はどれも透明で
恐ろしいほど透明で
少しも濁っていなかった
湧き出るどの泉も
あまりにも純粋だった
ただ 昼間なのに
こもれ日も少なく
薄暗い森なのが気懸かりだ
木の枝を少し掃って
「太陽の光を浴びようよ」と
声を掛けたかったが
そっと泉の森を出た
そして何度も
足を運ぼうと決めた
(心象スケッチ・泉は心のことです)
(2005・7・30)
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- 2005/07/29(金) 22:06:45|
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風のように いのうえ つとむ
蝉がみんみん鳴いてます
「今日は何の日?」「丑の日よ」
「うなぎ食べる日」「丑の日だ」
子供等が話してた
塾の入り口で話してた
今日はホントに暑いです
蝉がみんみん鳴いてます
道路はムンムン照り返し
犬がワンワン吠え立てて
甲高く吠え立てて
隣の犬まで吠えてきて
今日はホントに暑いです
蝉がみんみん鳴いてます
カラスも羽を下げていて
だらり だらりと下げていて
近づく僕にも逃げません
僕はメール便の配達人
今日はホントに暑いです
蝉がみんみん鳴いてます
ちょうど良い木陰が見つかって
腰を下ろして一休み
ああ!なんて涼しい風でしょう
汗を拭き拭き一休み
今日はホントに暑いです
蝉がみんみん鳴いていて
涼しい風が吹いてきて
風のような人居りますね
爽やかな人居りますね
僕も風のように成れるかな
今日はホントに暑いです
(2005・7・29)
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- 2005/07/29(金) 14:27:30|
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自転車のパンク修理は簡単
あちらこちらにパンクして乗らなくなった自転車を見かけます。
修理してくれる自転車屋さんが大型店の安売り攻撃で廃業して無くなり、やむなく乗らないで放置しているのだと思います。
仕事柄、僕もパンクすると困るのです。パンクして困っているところを同じ階段の方が直してくれました。これなら自分で修理できると思いパンクセットを買ってきて修理しました。思ったより以外に簡単です。
自転車のパンク修理の仕方
用意するもの。 バケツに水を入れておく。トンカチ。小さな椅子。セットの中の物(タイヤを広げる棒。チュウブに張るゴム。ゴムボンド。紙やすり)
直し方。
リムとタイヤの間に棒を差し入れ。棒のカギの所をホークにかけて次々と繰り返し(3本ぐらい)タイヤの片面が離れたらチューブを出して空気を入れる。水に入れて泡の出る場所が穴。そこにペーパーヤスリを少しかけ、ゴムボンドをつけ、乾いたら、張り合わせたところをトンカチで叩くと良くつく。水に入れて確認。泡が出なければオッケー。元に戻す。タイヤを離すときと、収めるとき、ゴムが張るので、そのときだけ力が入ります。必ず棒(スプーンの柄に編み棒のようなホークを掛けるカギがついている)が必要。以上です。女性でも出来ます。
一度、修理するところを見るのが早道かな?
(2005・7・29)でんどう三輪車
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- 2005/07/29(金) 07:39:22|
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鮎の釣り友 いのうえ つとむ
この前の付知川(つけちがわ)の鮎釣のとき、バスの中で気の会う釣り友が出来た。7月28日(木曜)に、山梨の桂川がよく釣れるということで桂川に決定して、でんどう三輪車も一緒に連れて行ってもらう予定であった。それが台風の雨で川が増水して中止になった。僕は車の運転をしないので、一人で鮎釣りに行くときは、釣り道具一式をリュックに背負って電車で出かける。それがなかなか重く、駅の近くである事が必定条件で行動範囲が狭く、車で同行させて頂く事は願ってもない事である。
僕に鮎つりを教えてくれた青年は行方不明。鮎つりを始めた当時知り合った大山さんは、僕より5歳ぐらい年上の方で人柄の良い苦労人である。今は体調が悪く病院の入退院を繰り返していて釣りどころではないようだ。この方は在日韓国人で本当に苦労をされた方でした。韓国人というだけで仕事が無く、最初は奥さんとリヤカーを引いて、小田原の町を鉄屑などを集めて歩いたと運転しながら話してくれた。一番辛かったのは酒匂川の砂利運搬だッたようだ。山に入って炭焼きもしたそうだ。親戚から話があり、土木の仕事に就いた。少しずつ蓄えてきた資金で、土木を請け負うようになり会社を起こした。その苦労は日本人の僕には想像を絶するものだ。この人種差別は、差別する側の不用意な言動が、受ける側にとって、どんなに辛いものであったか大山さんの話を聞いて思い知った。大山さんは「名は体を現す」がごとく大きな心の方で豊かな人間性の持ち主である。次男の息子さんは富士山の大山といって世界的なカメラマンである。
一昨年、人工透析を受けるような体だけれど、どうしても鮎釣りがしたいと言うので、酒匂川に同行した。好きな鮎釣りに今年は行けるのだろうか、本当に善良な方で僕にとって忘れがたい釣り友である。
酒匂川の上流で意気投合した藤塚さんは、溶接の技術者で海釣りから渓流釣りのベテランで、今、鮎釣の魅力に魅せられている。多忙な中を工面して日曜日に川に行かれる。今年の春ヤマメ釣りに連れて行ってくれた。残念な事に午後になって僕が体調を崩して迷惑をかけてしまった。甲府の病院を探し治療してくれた。点滴を受け入院しなくても良かったが、深夜まで身内でも及ばないほどお世話になった。このような良い釣り友に恵まれて僕は幸せを感じる。
今度、河合さん、有山さんと、若い近藤さんの釣り友が新たに出来た。僕は鮎が釣れる事も願うが、よき釣り友に出会い我が人生に花を飾りたい。その麗しい人間関係があってこそ幸せを感じ、人間として生まれてきて良かったと感謝し、生きていて良かったと思うのである。
鮎の釣り人でもそんな良い人ばかりではない、大勢いる中でやっと会うことの出来た釣り友を大事にしたい。その絆が嬉しいのである。だから鮎釣りは止められない。
(2005・28)
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- 2005/07/28(木) 05:57:27|
- 渓流に鮎を求めて|
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百合の花 いのうえ つとむ
百合の花が咲いていた
大きな白い花だった
登山電車の窓から見えた
ごとん ごとん と音がして
ゆっくり ゆっくり 登る
箱根の登山電車です
百合の花を見ていたら
白い花を見ていたら
君の事を思い出す
貴女のことを思い出す
君のお顔は知りません
貴女のお顔も知りません
不思議な 不思議な
電波に乗ったお友達
顔が見えないから
「信用できない」と人は言う
お顔も確か見えません
お声も確か聞けません
けれど僕には 見えるのです
心の目で 見えるのです
君の心が見えるのです
貴女の心も見えるのです
この白百合の花のように
透明な偽りの無い純な心が・・・
だから僕も胸を開いて見せるのです
恥も汚れも見せるのです
飾らない 飾らない
ありのままの 君と貴女と僕と
電波で結ばれたお友達
新しい心のお友達
(2005・7・26)
この詩は真心の友人の皆さんに贈ります。
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- 2005/07/26(火) 19:43:56|
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晴れた日に いのうえ つとむ
ある日、平沢君という営業部員と仕事先の会社へ訪問した時だった。
彼は、駅を出るとき、精算をせず、サラリと改札を出てきた。まだ自動改札の無い時代の事、駅員が一人一人チェックしている時代である。
「あれ!ここの定期券を持っているの?」と僕が聞いた。彼はにやりと笑って「そんなの持つていないよ。どこでもこの定期券一つで行くんだよ」と得意そうに続けて話した。「悪いことをしていると思わなければ、顔に出ないよ。駅員は、定期券を見ているのでは無く、顔を見ているんだよ?。井上さんは良心がとがめて顔に出るから、やめときな。僕は悪いと思っていませんから」と、不正乗車の名人だった。
僕は彼のようなことは出来ないが、現場に出たときキセル乗車をした、現場から会社に帰るときである。要するに一番近い駅の安い運賃の切符を買い、改札を入り、電車に乗り、何時も使っている定期券で駅を出て会社へ帰るのである。キセルのタバコと吸い口までが空洞のパイプなのでこの名が付けられたようだ。皆がしているからと安易な気持ちでやった。一度味を占めると「これでコーヒーが一杯飲める」と快感を感じて、浅はかなもので一度が二度、三度・・・と続た。しばらくして心に痛みを感じ初めて悩んだ。こんなことではいけない。正直な人生を送らねばと思い悩んだ。ある時、意を決して悪魔の甘いささやきと、誘惑に負けず。キッパリ縁を切った。
心理学では深層心理のことだと思うが、仏教では業とか宿業といわれているようだ。心の奥深く命の奥深くが不正をした行いで薄す汚れて、やがて真っ黒に染まってしまうのである。良い行いをすれば反対に清らかな命に浄化されていく。それが「一寸の眼」に現れるというのである。眼は心の窓でその人の行動や思想が現れるのである。その人の心が、性格や、人生が眼に現れ、眼に集約されるのだ。幼児の眼の何と清々しく澄んでいることか。年と共に怒りや、恨みや、妬みや、憎しみが、いつか積み重なって眼が濁って来るのである。不正や悪事は論外であると思った。そう考えたからキッパリ止めることが出来た。
最近、読んだ話{心の癒し}の中で、ある学生が不正乗車をし悩んでいて次のような話を聴き心が晴れたというのである。
「君の心の安らかさを買うためにお金を支払うの。そのために切符を買うんだったら、もったいなくないでしょ?切符はおまけだよ」と。(メンタリヘルスRanking{心の癒し})
台風の去った後の晴れた日の空のような透明な心でありたい。
幼児のような清々しい澄んだ瞳でありたい。
どんな時でも晴れた日のようでありたい。
それが残された僕の人生の最高の宝であると思うから。
(2005・7・25)
(うつ・でない方も次のサイトを一読されることをお勧めします。私たちの人生にとって有意義だと思います。
(メンタリヘルスRanking{心の癒し})と(。(メンタリヘルスRanking{うつ病サラリーマンの復職日記)です。
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- 2005/07/25(月) 09:09:59|
- 小説・エッセイ|
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麦踏 いのうえ つとむ
北風が吹く
ビュウー ビュウー
北風が吹く
ビュウー ビュウー
麦畑は凍りつき
霜柱が立っていて
キュキュ ギシギシ
踏むと音がした
麦の芽は4・5センチ
青々と 青々と
小人の兵隊のように
行列で並んでいた
もんぺ姿の母さんが・・・
母さんが麦を踏んでいて
僕も並んで踏んでいた
双子の兄と並んで踏んでいた
母さんと一緒にいるのが
嬉しくて 嬉しくて
「麦踏しないと」
「弱い麦になっての」
「大きくなって」
「麦が大人になっての」
「倒れてしまうのさ」
「麦が実らないでのん」
母さんが話してくれたが
霜柱に浮いた麦のことだと思った
子供のときは人間も同じだとは
少しも思わなかった
「どんな出来事も 過去になり
向かい合えるようになれば
それは自分の糧になるということです」
まだ若い貴女の言葉です
悲しい辛い道を通ってきた人の言葉です
貴女のこの言葉を聞いて
貴女が益々好きになった
僕は母さんと麦踏したことを
・・・・・懐かしく思い出していた
(2005・7・24)
この詩は親愛なる「みぃ」さんに差し上げます
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- 2005/07/24(日) 08:55:32|
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清流の中で いのうえ つとむ
朝から空は曇っていた。山に囲まれた岐阜の付知川(つけちがわ)の清流で鮎を釣っていた。口に含みたくなるような綺麗な冷たい水の流れの中で鮎を釣っていた。見えないほどの細い釣り糸に付けた、オレンジ色、ピンク色、黄色の三色の蛍光色の目印が、木々の緑を背景に川面より浮き出て見える。囮鮎が動けば目印が動く。時間を忘れてその動きを見ていた。忘れてというより時間という観念はまったく遠のき、無くなっていた。身も心も自然の中に抱かれたような思いだった。目印は野鮎に追われる気配は少しも無く、さらさらと流れて行く水の流れに揺らいでいる。目印をじっとを見つめていた。
ふと、インターネットで知った鬱病の16歳の少女や心を病む若い人たちの事が僕の心をよぎった。そして僕の頭から離れなくなった。目まぐるしい動きの喧騒とした都会生活より自然の中の生活のほうが住み良いだろうな、と思ったりした。鬱病で悩む人を何人か知っていたが、皆、優しい心の持ち主で正直な人であった。小さなことでも胸に受け止めて、くよくよと思いつめるところがあった。受け流すとか、聞き流すとかが出来なく、要するに、誤魔化すことが出来ない、ずるさが無いのだと思った。或る青年は線路に入って命を捨た。彼も真面目で正直な青年だった。その前の日に我が家の縁側で普通に話をしいたのでショックだった。妹が勤めていた同じ刈谷の日本電装をしばらく休んでいたところだった。後から鬱病であることが分かった。
最近は、お年寄りを狙った悪徳商人が多い、俺・俺・詐欺が多い。目新しいところでは、インチキ・リホームで高齢者の住宅を狙う悪徳建築屋が出てきて、次から次と悪知恵を働かせてくる者が多い。鬱病で心を病む人たちとは正反対の人たちだが。心を病む人には、この悪人の多い社会の中でギヤーを合わせる事が、一体全体、無理なのかも知れない。
僕は上京して今の妻と結婚した。そのことは、そっと胸にしまって置きたい事だけれど・・・木村さんという妻の友人から話があった。木村さんも妻と同じように、ローア者であった。「牛久さんをどう思いますか?」「牛久さんは良い人だから結婚してください」「井上さんは私たちを助けるために、この佐田被服の縫製工場に来てくれたのですね。・・・だから結婚して下さい」と紙に書いての単刀直入の要望の筆談だった。これが運命の一枚の紙になった。
さすがに即答は出来なかつた。三日三晩考えた。牛久という彼女は20人ほどの女子寮の責任者であり、同じローア者の面倒をよく見ていた。目の綺麗な清純で優しい娘だった。縫製の技術は高度な技術者として120人ほどの縫製工場の特別班で指導的な仕事をしていた。紳士服の工場であったが、婦人服も、子供服も全部こなせると、友人の工場長の自慢の社員であった。耳が聴こえなく言葉が不自由で或るというだけで、親の援助も無く、一人で生活をしている。立派な社会人である。ローア者というだけで断ることは差別である。差別する事は出来ないと思た。
小学校5年生のとき、当時死の病と嫌われた肺結核になり、人から恐れられ嫌われた。担任の教師でさえ近寄らなかった。差別される眼も言葉も恐ろしかった。だから結婚の話を承諾した。親の反対は覚悟の事だつた。手紙を出したところ、案の定、猛反対してきた。「そういう娘さんは同じような人と結婚するのが一番幸せなのだ」「妹の結婚に差し支える」等々、ありとあらゆることを並べて反対をしてきた。「何もそ言う娘さんを寄りによって・・」と反対をされた。
彼女は、ローア者と結婚することは両親から反対されていたので、結婚はしないと決めていた。まさか健常者と結婚できるとは思いもよらなかった。親に手紙で報告した。両親も驚いたことだろう。コロンビヤ工場の元労働組合の委員長をしていたという親戚代表の人が、結婚詐欺では無いか?と不審に思い、僕を訪ねてきた。僕に直接あってそのような者ではないと親に伝えた。両親は喜んだ、特に母親は嬉しかったと思う。しかし僕を見に来た叔父さんが一言付け加えた。「そんなに喜んでいるが井上君のご両親は猛反対だから普通の嫁入りは出来ないよ、そのつもりで」と言われた、その一言が胸に突き刺さってしまった。喜びが大きかっただけに、心配も大きかつたのだろう。夜も眠れない日が続いたようだ。或る朝、鶴見川の土手を歩いて滑り落ちてしまった。「母、急病、すぐ帰れ」と彼女に知らせが届いた。翌日僕も病気見舞いのつもりで尋ねた。家の前を喪服を着た人たちが出入りしていた。変だなと思った。事情を知り驚いた。彼女が僕の膝に泣き崩れて来て涙を一杯流して泣いた。悲しい思い出である。桜木町駅の大きな電車事故のあった同じ日であったと記憶している。
もし話を聞いてあげる人がいて、胸に刺さった一言の「言葉の釘」を抜いてあげることが出来たら、一人思い悩んで川の土手を歩き回らなくてもよかつたのにと思った。話を聞いてくれて絡んだ糸を解いたり、突き刺さった釘を抜いてくれる人が大事だと思った。
今多くの人が、インターネットで心の病を訴えて、同病の人を求めている。「同病相哀れむ」と言うことか知れないけれど、僕は社会の人々に鬱病と言う心の病を知り、理解してほしいと言うサインだと思う。普通のサラリーマンであったり、学生であったり、外見では分からないから、何とか理解して欲しいのだと思いながら、川面を見つめていた。
川の流れは穏やかに流れていて、蛍光色の目印が囮鮎の動きに合わせて、緩やかに揺れていた。鮎は一向に釣れなかった。
(2005・7・22)
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- 2005/07/22(金) 02:36:31|
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岐阜の板取川ではなく、付知川でした。昨年の馬瀬川といい、山の中の清流です。
午前7時に川に入ったのですが、17度という水の冷たさ。午前中は曇り、インストラクターの小倉名人が心配されていたように、鮎が動かないのか、いないのか、キラ!キラ!と光らないし、一度も囮を追わなし、したがってアタリ無し、釣り上げることも無し。掛かったのはウグイでした。御身大切! 無理しない。
シマノさんにお借りしたのは40万円の竿ではなく20万円の竿でしたが、穂先が細く、ねばりがあっって、すこぶる感度のいい新製品の竿でした。
大雨で流されたのか、冷水病なのか、とにかく皆が釣れない。「こういうこともあるさ」と皆さん笑顔で川から上がる。見回りの漁業組合のおじさんが「すまない、すまない」と頭を下げておられた。
そんな悪条件の中でも、昨年、馬瀬川で、僕が10匹釣ったとき30匹以上釣っていた人や、ジャパンカップで決勝20位になつた青年は10匹吊り上げた。
「釣れる時は誰でも釣れる。釣れない時にいかに釣るかだ」
「釣れない時があるからやりがいがある。何時も釣れてばかりでは面白くないよ」と名人のお話でした。
鮎は釣れなかったが、また好い友達が出来ました。
鮎でなく、釣り友を連れて?きました。
(200・5・7・20)でんどう三輪車
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- 2005/07/21(木) 01:41:31|
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19日夜9時、相模屋釣り具店集合。夜中バスで、岐阜へ、夜明け、現地到着。20日午後2時終了。バスに揺られて朝4時か5時ごろ相模屋に到着。解散。昨年は新潟か富山を予定していたが、大雨で岐阜に変更、今年は富山の神通川を予定していたが、大雨でパー。
今年は板取川といっていたが、さて、釣れるかな?
竿はシマノの最高の竿を借りる予約だぞー・・・40万円する竿!
竿がよくても鮎がいなくては駄目?
腕?・・・それワ?・・・竿とつりあうさ!
先日まで痛い。痛いと行っていた人だーれ?
(2005・7・19)
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- 2005/07/19(火) 18:14:01|
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魔法の足で いのうえ つとむ
「この海を歩いて渡るには?・・どうしたら渡れるかって・?」
「・・・?」
「知ら無いな・・じゃあ・・教えてやろう」
「?????うん」
「右の足を出してな・・沈ないうちに・左の足を出す」
「左の足を出したら・沈まないうちに又続けてて繰り返す」
「そうすれば・・アメリカだって・どこでも往けるのさ」
「魔法の足だ???」
「あハははははは・・・」
子供の頃 おかしな・おじさんの話を面白がって聞いた
僕は「ドバイ連邦共和国?どこにあるか知らなんだ
アフリカなのかアラブなのか
まったく無知もはなはだしい
それを貴女が教えてくれた。
魔法の足を使つて 走りに走った
太平洋の荒波は辛かったけれど
赤道の太陽の真下は暑かったけれど
魔法の足で走りに走った
夢中で走った 海の上を
そしてあなたに100の質問をした
3回も繰り返して
そして見つけた
宝石を!幸福な宝石!
「一粒のダイヤモンド」
あなたにとっての宝物はなんですか? ・・・・「夫 」
(200・6・7・19)
この詩はドバイのRieさんにさしあげます
="_blan
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- 2005/07/19(火) 08:06:30|
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16歳の少女に いのうえ つとむ
頑張ろう!と言われれば・・・重荷になるでしょうね
希望を持とうよ!と言われても・・・何が希望だか分からないよね
16歳の貴女に 貴女の心の叫びに合っても・・僕は何も出来ない
貴女の暗い心のトンネルの前に立っても・・どうすることも出来ない
社会の回転が速すぎて ついて行けなくて・・ギシギシきしむ
自分の歯車に 社会を合わせようとすれば・・ギシギシきしむ
けれど、生きていくのが嫌だからといっても・・薬はいけないよ
14時間も眠り続けて 命をを断とうなんて・・もう止めようよ
どんなに辛いからといって 剃刀は危ないよ・・痛いもんな
僕は血を見るのは嫌いだ・・恐ろしいよ
貴女は学校に行けても行かなかった
僕は行きたくても行けなかった
だけれど貴女がどんなに苦しいか・・よく分かるよ
空の遠くへ 行ってしまった僕の娘も・・苦しんだから
かけがいの無い貴女の命・・大事にしよう
ご両親は時には口うるさいかも知れないが・・貴女を一番愛している
何でも心を開いて・・相談するといい
だから お母さんに 辛かったら辛いと・・話な
だから おとうさんに 思いっきり・・甘えな
世界の中で 貴女を一番・・愛しているのだから
(2005/7/18)
拍="_blan
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(ブログを見ていくと若い人たちが、うつ病で苦しんでいる。その多さに驚く、社会全体、みんなが心を開いて受け止めてあげないと、と思う。)
- 2005/07/18(月) 19:23:54|
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鶴になって いのうえ つとむ
鶴になって
大空を飛んでいった
朝日で赤く染まった
マッターホルンの頂を横目に
氷河の下の岩場に降りた
青い花が咲いていた
それは・エンティアンという花だそうです
誰かの青いサンダルが岩場にはさまれて
片足だけ忘れて行ったように
その色は原色のマリンブルーなのです。
氷河の冷たく厳しい風に煽られて
羽根が少し痛んだけれど
まだ飛べるだろう
もう どこにも寄らず飛んでいこう
アルプスの片田舎の畑で
貴女が作った
取れたてのトマトを
食べに行こう
故郷から遠く離れて暮らす
貴方の所へ
(2005・7・16)
この詩はアルプスのみんつさんに贈る
="_blan拍手喝采!・・パチパチ←ここをクリックみなさん応援してください!
- 2005/07/16(土) 14:21:33|
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SL蒸気機関車 いのうえ つとむ
明け方 蒸気機関車の汽笛が
ホー ホー ホー ホー と
遠くから鳴り響き
幼年時代に聞いた
その音が
今も心の奥で響いている
黒い煙を吐きながら鉄の車体が
汽笛一声
真っ白な蒸気を吹きつけ
大きな車輪がユックリ回転し
刃物のように光るのを見つめていた
少年時代
将来を夢見ながら汽車に乗った
前の座席に座っている
若い女性の顔を
まともに見られなかった
青年時代の
硬い椅子の感触
今 僕の心の中で
力強く 男らしい
あの蒸気機関車が
石炭の匂いを吐きながら
ユックリと動き出した
最後の力を振り絞つて
(2005・7・16)
="_blan
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- 2005/07/16(土) 01:52:18|
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野辺の花のように いのうえ つとむ
暖かな日差しを浴び
蘭の花に囲まれているのもいい
薔薇の花の中で物思いにふけるのもいい
白百合の香りに酔うのもいい
花を見ていると心身ともに洗われるから
僕は花が大好き
けれど やっぱり僕には
野辺の花がよく似合う
誰も気づかず通り過ぎて行ってしまうような
目立たなく小さな花たち
米粒ほどの花も もう少し大きな花も
地味だけれどそれぞれ綺麗
名も知らぬ 野辺の花よ
日照りにあえぎ
嵐の雨 に叩かれ
吹雪に耐え抜いてきて
虫の餌食にもならず
可憐に咲いている
ああ 僕も民衆の中の雑草だから
野辺の花がよく似合う
(2005・7・15)
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- 2005/07/15(金) 04:16:58|
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ランのお部屋 いのう えつとむ
花・花・花・ランの花
今僕は ランの花に囲まれて
キラ キラ キラ キラ 午前8時の朝日輝く
ランのホームに迷い込む
悩みも 苦労も 洗い流され
そうです 恨みも 妬みも 洗い流され
寂しさも 悲しさも 遠 く へ 放り投げ
痛い 痒いも 放り投げ
憂いなど無い
心配など無い
喚くことも無い
叫ぶことも無い
感激 感激 感激
嬉しさと 喜びでいっぱい
ランの花に囲まれて
花の妖精に囲まれて
爽やかな 風が心の中に吹いてきて
甘い香りが体の中に染みとおる
さあ みんなおいでよ
ランのホームへ
キラ キラ キラ キラ 午前8時の朝日輝く
ランの花に囲まれて
(200・5・14)
この詩の花束は、蘭のホーム、の chicchiさんに
差上げます
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- 2005/07/14(木) 07:18:23|
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三毛猫 ミー いのうえ つとむ
三河の田舎町の小高い山の裾にある僕の生まれ故郷は、温暖な蜜柑畑に囲まれたのどかな20軒余りの集落で、松が茂っていて「茂松」と呼ばれていた。元々僅かな田畑を耕していた小作農で、蜜柑と米と麦と野菜と蚕の飼育用の桑を耕作する平凡な農家だった。
終戦後マッカーサーの農地改革のおかげで、借りていた田畑が自分のものになった。祖父や父をはじめ、家族のその喜びようは譬えようが無い。何故かと言うと我が家の家系を遡れば、農地などまったく無い武士の端くれのようだった。井伊直弼が桜田門で襲われたとき、雪の降る江戸まで家族が消息を尋ねて行ったと子供の頃に聞かされた。明治になり、生活の糧にと水車小屋を創めて、玄米を精米にし、吉田の町まで荷車を引いて売りに行ったことを祖父からよく聞かされた。吉田といえば今の豊橋である。東海道線の駅、愛知御津、西小坂井、小坂井、そして豊橋と続く。およその距離は想像できると思う。
先祖を尋ねてみると、甚作、兵作、繁造、信久、そして僕となる。
水車小屋は兵作の代からだと思う。焼き鏝(ごて)が兵の字に山の形を乗せて「ヤマヒヨウ」と言う商漂であったからだ。
曽祖父の兵作は酒が好きで腰にひょうたんの酒ツボをぶら下げて、お喋りで、頓知がよく、ひょうきんな人だったようだ。そのひょうたんが残っていた。当時、「顎兵」と渾名され三河では有名な人物だったと伝え聞く。おかげで祖父の繁造は、子供のときから荷車を引いて働いた。わらじを何足も履き替えたという。祖父とお祭りなど親戚に行くとき、一緒について歩いていると「道を歩くときは下を向いて歩け、道には何か落ちている。釘1本でも役に立つからな。」と必ず言われた。質素な生活だった。
終戦後、父はしばらくしてから結核で倒れた。そのとき僕も父と枕を並べて療養した。叔父や叔母が帰ってきて次々と結核で倒れた。12人家族のうち5人が病に伏した。父はやがて田畑の耕作は祖父と父の弟に任せて 50羽の鶏を飼育した。療養をしながら卵で栄養を摂るためと養鶏で生活の目途を立てるためであった。当時、卵は高級品だった。食料が無く薩摩芋が主食代わりの時代だ。やがて50羽が100羽になり200羽になり300羽になった。300羽でも卵は高値でかなりの現金収入になったようだた。鶏の餌があるから鼠が多く鼠対策に猫を飼った。白黒の猫が多かった。
白黒の猫は「ぶち猫」と呼ばれ並みの猫とされていた。。白黒茶の三毛猫の雄は少なく、たまに三毛猫がいても雌だったりした。縁起を担ぐのか鼠をよく捕るのかは知らないが、雄の三毛猫が重宝がられた。ぶち猫が続いた後 、やっと雄の三毛猫が我が家の一員となった。早速「ミー」と名付けられた。ミーは頭もよく鼠獲りの名手だった。鼠を獲るときミーは物置や屋根裏でジット根気よく動かずに鼠の来るのを待ち伏せしていた。獲った鼠は得意になって家族の者に見せにきた。2年、3年と経つうちに成長して大きな猫になった。鼠では飽き足らず鶏を獲るようになった。味を覚えてしまい一度や二度ではすまなかった。隣近所の鶏も狙うようになった。さすがに父も我慢できずミーを処分しなければと言い出した。食糧難の時代なので犬でも猫でも肉屋に持って行けば買ってくれたが、殺すのは忍びないので豊橋を流れる豊川まで自転車に乗せて捨てに行った。
二ヶ月ほど過ぎた頃、聞きなれた猫の声がする。「あっ!ミーだ。ミーが帰って来た。」家族のものがあちらこちらで歓声を上げた。「よく帰ってきた」「よく帰ってきた」みんなで喜んだ。
犬が帰ってきたことは聞いているが猫が帰ってきたことは聞いたことが無いと近所でうわさになった。
しかし、このままにしておけば、前のように鶏を襲う。どうしたらいいものかと考えた挙句、犬のように鎖で繋ぐことにした。
鎖に繋られたミーは、鶏の飼料を撹拌している僕の足元に来て体をこすりつけていつも甘えていた。
(2005・7・)
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- 2005/07/13(水) 07:04:59|
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ナースそして真心 いのうえ つとむ
貴女はどうしてナースになったの?
もともと優しい心の持ち主なんですね。
{ ナースなんてやってると「 大変な仕事やねえ 」ってよく言われる。
でも本当に大変なのは闘病している患者さんとその家族たち。
休みなんてないんだもの。
私たちはその人たちが少しでもbetterになっていくお手伝いに
最善を尽くすだけ。 }
この優しい真心 ・・・きっと貴女のお母さんも優しい方。
{ 無力感 感じて自分の非力さで落ち込むこともたくさんある。
でも生命の神秘を目の当たりにすることだってある。
私に元気を与えてくれるのは他の誰でもない患者さんたち。 }
看病してきた「 戦友 」の 永久の旅たちは辛く悲しい・・・
でも貴女はナースが天職 ! 強くあれ !
{ 明日からもまた生命の神秘のドラマが始まる。
主人公の戦いを見守り、励まし、時にはバカ話もして一緒に
闘える仲間として接していこうと思う。 }
「 戦友 」 「 戦友 」 「 戦友 」 病魔と闘う何と優しい貴女・それが戦友!
{ 奇跡は起こるんじゃない、きっと起こすものだから。 }
貴女の「 楽笑 」の笑顔が
ナイチンゲールの笑顔が
どんなに生きる力を与えてきたか
「 深友 」 に希望を与えてきたか・・・
計り知れない。
「 こんなに素晴らしい人がいるんだよ 」と
あの空の遠くの扉の向こうにいる娘に教えたい。
陽子はナースになるのが夢だったから。
(2005・7・12)
この詩は「あきゅ日記」に感動して書きました。
{・・・}内は、「あきゅ日記」の原文のままです。
「あきゅさん」から戴き「あきゅさん」にお返しして差上げます。
なお、彼女は 「楽笑」「深友」『戦友』・・・等、造語つくりの名人です。
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- 2005/07/12(火) 06:19:13|
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若々しい苗木のように いのうえ つとむ
貴女は あなたの心の広場に
一本だけ若々しい苗木を植えましたね
パステルか水彩で書かれた挿絵を見ながら
この苗木が丈夫で大きく育つことを切に思う
ああ 貴女は「 末期的 」という暗いタイトルをつけられたね
いろいろ思い悩むのが・・・青春時代
「 この広い世界で僕は虫けらも同様な存在 」と
若いとき恋文の中に書いたことがありました
貴女も同じようなことを言っていますね
考えてみれば貴女も僕も小さな存在ですね
宇宙から 世界から
見れば本当に小さいですね
この小さな人間の心も身体も精密機械!
そこに命が・生命が輝いていますね!
その生命はあの広大な計り知れない宇宙と同一だと
宮沢賢治は法華経で知りました
この法華経は仏教の教えですが 今世界の人々が注目しています
それはSG I が広めたから・・・
「 生まれてくるために死ぬのか?」
「 死ぬために生まれてくるのか?」貴女は悩み書いていた
この生死の問題が一番難しい・・・そこに宗教が生まれ
仏教 キリスト教 イスラム教 その他数々・・・
人は誰でも幸せになりたい 幸福を願う
その過程で様々に苦悩する・・・昔も今も変わらない
悲しいことがあるから 嬉しいことが理解できる
人生辛いことがあって好いのだよ
樹の切り株には年輪がついてますね
厳しい冬は細かくて硬い 暖かい夏は柔らかい
厳しい冬を乗り越えているから
大風に遭っても倒れない
貴女の心の中の若々しい苗木が大きく成長して
どんな嵐にも絶えられる樹になってほしいと
大きな希望を持って若々しい苗木の将来を
僕は見つめていよう
(2005・7・11)
この詩は「音に染まる 感想」のフサミさんに贈る
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- 2005/07/11(月) 13:46:50|
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夕焼けの空の中に いのうえ つとむ
夕焼け空の
窓辺にたたずみ
あの人に逢いたいけれど
声をかけられない
胸がときめいて・・・
赤いセイターが
目に焼きついていて
いつもその面影を
夕焼けの空の雲の中に
求め 描いていた
ああ 少年の頃の
初恋の ときめきの心を
今も僕は残していたい
そしてその恋は
誰にも言えない
それはもう
叶えられないことだから
けれど
この ときめきの心は
いつまでも失いたくない
(2005・7・11)
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- 2005/07/11(月) 03:51:38|
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白い花の影 いのうえ つとむ
朝一番での あの優しい笑顔!
何度も何度も足を運んでくれる あの優しい笑顔!
深夜のベットの巡回でランプの中の あの優しい笑顔!
作り笑いじゃない
業務用の笑顔でもない
真心の笑顔だ
その真心の笑顔の中の奥には
患者の我儘だけではない
いろんな辛いことがあると思う
白い花にも影があるように
貴女たちナースにも
辛く悲しいことがあると思う
洗面所で独り涙を流すときもあると思う
眠れず枕を濡らすときもあると思う
だって女の職場だもの
白い花にも影があるように
ナースにも辛く悲しいことがあると思う
パジャマの薬のしみを見ていて思った
(2005・7・10)
( s病院・ナースに感謝の気持ちで )
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- 2005/07/10(日) 02:08:10|
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ホタル いのうえ つとむ
こぼれるように ホタルが
父の指から 僕の小さな掌にとまった
「この大きいのが源氏ホタル」「この小さいのが平家ホタル」
そう言って母が教えてくれた
天の川の空の下で星と輝きあって
小川の草むらが息をするように明るく輝いた
ああ 子供の頃母に教えてもらった言葉の数々
掌にホタルを乗せた子供の頃の心を
ホタルの光のような清らかな心を
今 取り戻したい
貴女は三歳で音を失ってから
今も少女の心を其のままずっと持ちつずけている
妬みや憎しみと言う汚れた心を
音を失ったときから幼い心に植えつけなかった
ああ 貴女の清らかな澄んだ心を
父からホタルを受け取ったときのように
僕の心の掌に受け取りたい
(200・5・7・9)
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- 2005/07/09(土) 05:07:24|
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ピ ア ニ ス ト の 指 先 の よ う に いのうえ つとむ
ピ ア ニ ス ト の 華 麗 に 動 く 指 先 の よ う に
貴 女 の 手 話 は 僕 に は と て も 早 く て つ い て い け ま せ ん
手 話 は 分 か ら な い け れ ど 貴 女 と 僕 の 心 は 通 じ て い る の ね
人 と 動 物 だ っ て 愛 と 信 頼 が あ れ ば
言 葉 は 無 く て も 心 は 通 じ る も の ね
あ あ ま し て や 僕 ら は 人 間 だ も の 心 を 通 わ せ る さ
嬉 し い と き も 悲 し い と き も 二 人 一 緒 に 歩 い て き た
晴 れ た 日 に は 手 を 取 り 合 っ て 雨 の 日 に は 相 合 傘 で
二 人 一 緒 に 歩 い て き た ね
僕 ら の 人 生って 不 思 議 が ら れ た け れ ど
他 の 人 と 少 し も 変 わ ら な い よ ね
あ あ 僕 ら の 人 生 っ て な ん と 素 晴 ら し い こ と だ ろ う
あ の 空 の 扉 の 向 こ う か ら あ の 子 も き っ と 見 て い る よ ね
7 月 遠 く へ 旅 立 っ た 月 だ も の き っ と 見 て い る よ ね
二 人 の 幸 せ な 姿 を
あ の 日 も 夾 竹 桃 の 花 が い っ ぱ い 咲 い て い た ね
(2005・7・9)
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- 2005/07/08(金) 21:46:06|
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白い花が咲いている いのうえ つとむ
ナース ナース
貴女は ナース
白百合
白菊
白いバラ
ナースステーションに咲く花は
みんな みんな 白い花
貴女は
白百合ですか 何ですか
白菊ですか 何ですか
それとも 白いバラですか
胸元揺らぐ聴診器
胸ポケットの体温計
「 血圧測ります 」と言うだけでなく
「 お熱ありますか 」と言うだけでなく
優しいい笑顔で
人の嫌がる下の世話まで
嫌な顔一つせず してくれましたね
ああ!貴女こそ
平成のナイチンゲール
貴女は
貴女と言う白い花
ナースと言う白い花
清らかな香りのする
美しい白い花ですね
(2005・7・8)
横浜s病院のナースに感謝して
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- 2005/07/08(金) 09:33:56|
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パジャマのしみ いのうえ つとむ
手術が終わり麻酔がきれて
深夜になってから痛みがひどくなった
咳一つが 雷が落ちたように傷口に響いた
寝返りなどとても打てない
少しでも動けば
痛みが走る
痛い !
激痛が走る !
なぜこんなに 僕は弱いのか
仰向けになり冷凍のマグロのように
身を硬くしているしかないのか
今・夜中なのか 何時だろう
痛め止めの座薬は
効いているのか
いないのか
痛い !
もう駄目だ
トイレに行きたくなった
ボタンを押してナースを呼んだ
「どうしましたか」とスピーカーの声
夜勤の看護婦さんが一人 すぐ来てくれた
「 尿瓶にする・トイレに行ける? 」
と優しく尋ねられたが困った
やはり尿瓶は嫌なので
「トイレに行ける」
と答えた
トイレに立つた
体を支えられながら
全身が痛みに痺れていた
手術着の裾を広げてくれたが
用を足すと体中冷や汗で
びっしょり濡れていた
僕は
ベットに腰掛て
体を拭いてもらつた
上半身そして下半身と
丁寧に・丁寧に拭いてくれた
「 風邪を引くからパジャマに着替えよう 」
と優しく言いながら着替えさせてくれた
点滴のチューブが袖を通っていて
途中の繋ぎではずれた
そのとき薬の液が
こぼれて
シーツとパジャマを少しだけ汚した
「 ごめんね 」「 ごめんね 」と
何度も何度も謝まられたが
パジャマなんか
いいんです
「 消したくない・真心の記念だ 」
心の中で僕はつぶやいた
嫌な顔一つせず
清純な
彼女の眼差しは
ナイチンゲールの精神そのもの
その優しい温かい真心に
傷の痛さより
痺れた
( 2005・7・7 )
( 横浜s病院・ナースに感謝の気持ちで )
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- 2005/07/07(木) 18:30:02|
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ご心配かけました。
切腹!あまりの痛さに、1日伸ばしてもらいました。
同室の患者さん。癌、腸閉塞、腸ねんてん、・・・
僕など病人ではないと思いました。
自宅で療養出来るんだから
早く、ベットを空けてあげなきやあァ!と思いました。
健康第一!
切腹の傷跡、約10センチ?かな?
すぐ直ります。ご安心を!
- 2005/07/06(水) 19:34:08|
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アルプスのパノラマで いのうえ つとむ
マッターホルンの
とんがり帽子は
その雪の山頂から
朝日に照らされ
赤く染まっていく・・・
そしてパノラマはゆっくりと
右にカメラの視線が動いて
モンテローザから再びマッターホルンへと
連なる雪の峰を次々と映し出し
冷たい氷河の顔も見せてくれた
ご夫婦の肩にそっと手を掛け
後ろから覗くように
素晴らしい景色を見せていただき
貴方がたお二人の幸せは
あの雪の山脈を乗り越え
冷たい氷河を渡って来たように
癌という病魔に打ち勝った
力強い幸せ
力強い幸せを
力強い愛を感じる
(2005・7・4)
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この詩は「巣林一林」の・よしたかさんレイコサンに捧げます。
- 2005/07/04(月) 06:26:07|
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今日、体にメスを入れる日
2005年7月4日・初めての手術
鼠径ヘルニア・・・脱腸
ああ・・・ダッチョウだねー
1日入院・・・5日退院
現代医学・・・凄いね!凄いね!
切腹するのにねー
(2005・7・4)でんどう三輪車
- 2005/07/03(日) 20:51:34|
- 日々のできごと|
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