楠木 いのうえ つとむ
さわさわ さわさわ
さわさわ さわさわ
朝の爽やかな風吹く中で
楠木の葉が揺れている
クッククー クッククー
キジバトが葉の影から朝の挨拶
午前六時の朝日がきらきら光り
常緑樹の葉がきらきら光り
三階の窓から見上げるほど成長して
五階建てのコンクリートの箱より成長して
東の空を 「 ここは俺の空だ 」 とばかり欲張るから
朝日が差さないと苦情が出て
バサり バサり と両腕をもぎ取られ
ときどき痛い目にあうんだよ
さわさわ さわさわ
さわさわ さわさわ
朝の爽やかな風吹く中で
楠木の葉が揺れている
33年前・・・僕がこの地に越して来たとき
楠木も一緒に植えられた
僕が君を見てきたように
君もじっと僕を見ていただろう
子供が生まれたといって喜んでくれたね
孫が生まれたといって祝ってくれたね
交通事故の魔の手が伸びて
可愛い末の娘を さらって行った
あの空の遠くへ さらって行った
手の届かない所へ さらっていった
その時も一緒に泣いてくれた
自分のことのように泣いてくれた
せみが ミワン ミワン 騒ぎ立て
夾竹桃の花が赤く咲き乱れていた
真夏の暑い日が
あの時と同じ暑い日が 又やって来るね
さわさわ さわさわ
さわさわ さわさわ
朝の爽やかな風吹く中で
楠木の葉が揺れている
頑張れよと
ささやくように
(2005・6・28)
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- 2005/06/28(火) 05:39:56|
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風を食べては いのうえ つとむ
風を食べては生きていけません
仙人ではないのだから
ましてや子供を育てているのだから
現実世界は生々しく 枯れた木ではありません
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏界
この10界の生命が誰人とも内在していて
縁に触れて外に顕われる
それぞれの命が その時々の縁に触れて顕われる
相手がニコニコ笑顔でくれば こちらも笑顔
嬉しいときは天にも昇る・・気持ち これが天界
嫌なことをされれば 腹が立つ
怒ったり 泣いたり 喚いたり これが修羅界
西洋の十字架を背負ったポエムより
宮沢賢治の宇宙の詩の世界はずっと奥が深い
それは仏教の この法華経が根底にあるから
好いた 惚れた 別れた では無いのです
風を食べては生きていけません
風を食べては生きていけません
(2005・6・26)
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- 2005/06/26(日) 01:35:33|
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鳩の一生
夕刊の配達中のことであった
植木の根元に鳩の羽根が散っていた
小学生の女の子が「 可哀そう 」といって鳩の羽根を見ていた
「 おじさん可哀そうだね 」と涙ぐみ恐る恐る触っていた
団地はゴミの整理が進んで
カラスの食べ物が少なくなったのだろうか
以前カラスに攻撃されている鳩を見た事があった
駅のホームにも鳩の羽根が散っているのを見た
生まれて来たものは必ず受けなければならない この現実と・・
小学生の女の子は初めて直面した
僕もこの生死の問題を 横目で見過ごすような生き方をしてきた
真正面から見据えることを避けてきた
あと何年 いや あと幾日 生きられるのかと考えたら
遣る瀬無く 切ない そして恐ろしい
真剣に考えたら一日一日を無駄に出来ない
だが人生には無駄が付き物だ
僕の過去は無駄の連続だ
この無駄を惜しむ気持ちは一向に無い
「 一日一日を無駄に出来ない 」
いや「 無駄があってもいいんだ 」と
相反する考えに僕は今もって整理がつかない
まさしくハムレットの心境だ
生ある者 誰人も漏れる事なく行進している
それぞれ己の最後の日に向かって
目に見えないが それは確実
少女と残された鳩の羽根を見つめながら思った
いずれにしても生死を見据えて
日々健康に送りたい
(2005・6・20) でんどう三輪車
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- 2005/06/20(月) 00:28:34|
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くちなしの花
高台の家の垣根にくちなしの花が咲いていた
くちなしの花は香りというより匂いの強い花だ
あの強い匂いを嗅ぐと子供の頃を思い出す
小川の洗濯場の土手にくちなしの花が咲いていた
その小川で洗濯をする洗濯石があった
洗濯をする母の近くでよく遊んだ
蟹や小さな海老を捕らえてよく遊んだ
春から夏の小川の洗濯場は格好の遊び場だった
だが冬の洗濯場は母にとって辛い場所だったようだ
冬は井戸水が少なく涸れるのを恐れてか使えなかった
冬でも井戸水は暖かい だが井戸水では洗えなかった
木枯らしの日も雪の降る日も冷たい小川で洗った
子供のオムツや服を毎日冷たい小川で洗った
農作業の間の洗濯だ
それが母の時代の嫁の生活だったようだ
ちなみに 今は洗濯石はもう無い
気に入らなければ
「出て行け」の一言で終わり
体が弱くても 子供が出来なくても
「この家から出て行け」の一言で終わり
「あの家の娘はでもどり」と 世間のうわさ話が恐ろしいので
嫁入り先から帰りたいと言っても許されなかった
「二度と敷居をまたぐな」「帰ってくるな」と言われ
どんなに辛くても 世間体を憚り帰れない
母の時代は 嫁ぎ先で辛い事があっても
我慢に我慢を重ねて暮らすしかなかった
母が泣きながら僕の手を引き真夜中に家を出たことがある
それを父になだめられて連れ戻された
「嫁姑の中」と言われるように
この時代は それぞれの家庭にドラマがあったようだ
そう思うと今は時代が変わった
良くも悪くも変わった
若い世代の人には想像もつかない事かも知れないが
それだけ女性の地位が上がったのだろう
結婚しても燃えている時は分からないが
一旦冷めてしまうと 元々所詮は他人
自分の欠点はさておき 相手の欠点ばかり目に付く
それがこじれる原因だ
「 夫婦喧嘩は犬も食わぬ 」とはよく言ったもの
風呂敷包みを担いで我が家に駆け込んだ奥さんが昔いた
定年後 今は仲良く犬の散歩をされている
あの時 別れなくて良かったと思う
しかし離婚したから不幸だとは限らない
離婚して幸せをつかんだ人もいる
その人の生き方 価値観だと思う
歌の文句ではないが「人生いろいろ」
「男もいろいろ」「女もいろいろ」
自分の幸せは自分で築く・・・
家庭を築くのも人生
独身で身を立てるのも人生
いずれにしても人生とは 苦労がつきもの
苦労があるからこそ 幸福が実感できると思う
どんな苦労も どんな不幸も乗り越えて
毎日が 嬉しくて 嬉しくて 楽しくて 楽しくて
そんな生活が送りたい
そんな人生でありたい
(2005・6・17)でんどう三輪車
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- 2005/06/17(金) 13:54:02|
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一つまみの塩
夏みかんを食べた
田舎から送ってきた黒い斑点のある夏みかん
子供の頃 夏みかんもスイカやトマトと同じように
塩を付けて食べたことを思い出して耳掻き一杯のほどの塩をつけた
海からの贈り物・・・天然塩の奥深い味と溶け合って・その味は子供の頃を思いだす
ぐつくつ ぐつくつ 小豆を煮込み
砂糖を入れる そこに 母は 一つまみの塩を入れていた
「どうして塩を入れるの」
「塩を入れるとな・10倍も甘くなるんだよ」
この塩が無ければ生きていけないんだよ」
終戦後も 食塩は煙草と同じように専売公社独占の貴重な食物
海辺の家庭では暖簾のように荒縄をつるし海水をかけて自家用の塩を作っていた
スイカやトマトにつけた一つまみの塩
甘いお汁粉の中に入れた一つまみの塩
この一つまみの塩加減が 生活にも 作品にも大事だなと思う
「スイカにジャムをつけるなよ」と言いたくなることがある
一つまみの塩
この塩加減を生かしたい
(2005・6・17)(でんどう三輪車)
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- 2005/06/17(金) 06:38:26|
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鮎の友釣り
僕は鮎釣りは まったく経験が無かった。
釣りといえば、子供の頃、小川で二度か三度ウナギ釣りをしたぐらいで、近くに水田用の溜め池があったが、その池の鮒つりも得意ではなかった。
相模川の上流の近くに長男の家があり、定年後、その家に書道教室の看板を出し、暇をもてあましながら川原で芹やクレソンを摘むのが日課であった。どこか心に大きな穴が開いていた頃だ。
美空ひばりの「川の流れのように」の声を耳に残しながら川面を見つめているのが好きだった。川の流れを見ていて過ぎ去った日々を思い出し時間の過ぎるのを忘れた。
そこで鮎の釣り人と親しくなり、「自分も鮎釣りをしてみたい」と一言いったら「教えるからやってみる?」と教わることになった。吉川君といった。車の事故が元で片足を引きずって歩いていた。元レーサーでレース中の事故だと言っていた。
川原でテントを張り彼は車で寝起きしていた。人それぞれいろいろな人生を歩んできていると思った。僕は、よくそのテントで野宿させてもらった。瀬音を聞きながら、星を見ながら眠った。
埼玉だか群馬に仕事に行くといって川を去ってから、二度ばかり電話があったが、今、この青年がどうしているのかわらない。
僕も相模原を引き払ったので連絡が途切れた。
六月になるとほとんどの川が鮎の解禁になる。だが解禁日には今だに釣りに行ったことが無い。釣り人で込むから避けている。都会の忌まわしい人間 関係をそのまま持ち込むから嫌いだ。
川にゴミを捨てる者、釣れていると見たら他人が釣っていようがその場所に、竿を入れてくる者、マナーの無さは数え切れない。10数万もする竿を盗られた人も何人もいる。おまけに車場荒らしもある。
だがそんな嫌な人ばかりではない。人さまざまだ。良い人に出会えるから鮎つりは止められない。どれほどお世話になったか計り知れない。体調を悪くして病院へ運んで貰った事もある。
何年か前、狩野川で鮎を入れる舟を流した。腰バンドに繋いでいたのだが、ふとした弾みで外れてしまい流してしまった。
川の流れは速くあっと言う間の一瞬のことだった。
流れの早い瀬があり足場が悪くて危ないので、あきらめて流れていく舟を見送った。下流で釣りをしている人たちに声をかけてみたが、竿の先を流れる舟を見送る人ばかりだった。
すっかり諦めているとき、対岸の人が自分の竿を置いて どんどん どんどん 川を下っていくのが見えた。茄子ぐらい小さく見えるほど下流に行ってから、舟を拾って持ち帰ってくれた。服装から地元の人のように見えた。
「馬鹿野郎!恥をかかせがやあって!ここまで取りに来い」対岸から怒鳴られた。「こんな瀬ぐらいなんでもない。渡って来い」又怒鳴られた。体力がが無いので必死な思いで瀬を渡った。
知らぬ顔をすれば済むものを、拾ってくれた感謝の気持ちで、転んだら終わりだ。そう思いながら必死で強い流れの瀬を渡った。
慎重に竿を杖にして渡った。正直恐ろしかった。
地元の人で口が悪かったが、良い人にめぐり合った。舟が帰ってきたこと以上に良い人にめぐり合ったことが何より嬉しかった。
派手な流行の釣り姿の人たちは、冷ややかに見送るばかりなのに拾いに行ってくれた。嬉しかったので、名前を聞いたが教えてくれなかった。
人は見かけによらないとつくずく思い知らされた。鮎のシーズンになると思い出す思い出の玉手箱である。
(2005・6・11)でんどう三輪車
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- 2005/06/11(土) 01:37:31|
- 渓流に鮎を求めて|
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美人になりたい いのうえ つとむ
桑畑の細い畦道を歩いていた
六年生になる女の子が
泣きながら歩いていた
隠れるように細い畦道を歩いていた
少年時代のことだった
ある日 女の子のお母さんが話してくれた
「 いつも学校へ通うのに畑の畦道を通るんだよ 」
「 こんな醜い私を何故 生んだんだ・と泣いて怒るんだよ 」
背が少し低めかな?と思うくらいで むしろ 良い顔立ちだった
けれど いつも不機嫌だった
夕刊を配達していると学校帰りの子供たちに会う
「 今日は 」 と先に挨拶してくれる子もいれば
「 お帰り 」 といっても黙って素通りする子もいる
それぞれ みんな 気立ても 顔も違う・・・親が違うから
顔が違うのは当然・・・それぞれ違う遺伝子だもの
個性があって良い・・・それが素晴らしい
梅ノ木に桜が咲いたら・・・おかしいよね
蜜柑の木に林檎がなっても・・・おかしいよね
桜・梅・桃・李 といってそれぞれ 個性があり
それぞれが美しい花を咲かせると 古人の言葉
鼻の丸い女優さんもいるよ
口の大きい女優さんももいるよ
けれどみんな輝いている
違うといっても数ミリだよ 微妙だよ
3センチも違わないよ
「 お父さん お母さん 美人に生んでくれて有り難う 」 と
毎朝 毎朝 毎朝 鏡の前で言ってごらん
その感謝の心が 幸せを 運んでくるんだよ
明るい ふくよかな顔が
もっともっと もっと輝くよ
生き生きと 輝くよ
もともと 美人だもの
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(2005・6・8)
- 2005/06/07(火) 10:09:54|
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