心の歌 いのうえ つとむ
心とは 不思議なものですね
嬉しい時は 体が弾むよ
ラーン ら ラン
ラーン ら ラン
ステップ踏んで
ウサギさんが 跳ぶように
けれど どんな時でも
私は 私の道を行く
ああ・心とは不思議なものだよね
あなたと私の心
体の中にあるような
頭の中にあるような
そして 胸の中にあるような
もっと 深いところにあるような
心とは不思議なものですね
悲しいときは 頭が重いよ
バーン ば バン
バーン ば バン
足元見つめて
亀さんが 這うように
けれど どんな時でも
私は 私の道を行く
ああ・心とは不思議なものだよね
あなたと私の心
体の中にあるような
頭の中にあるような
そして 胸の中にあるような
もっと 深いところにあるような
心とは不思議なものですね
恋するときは 胸が痛いよ
チール ち チル
チ-ル ち チル
青空高く
ヒバリさんが囀るように
けれど どんな時でも
私は 私の道を行く
ああ・心とは不思議なものだよね
あなたと私の心
体の中にあるような
頭の中にあるような
そして 胸の中にあるような
もっと 深いところにあるような
(2005・5・31)
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- 2005/05/31(火) 21:40:33|
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老子の言葉
「知る者は言わず,言うものは知らず。」
「どの分野であれ、その核心部分について深く知っている人は、おのずと言葉を選び・慎重になる。知っていればいるほど、軽々に断じてしまうことを恐れる。得意げにまくし立てている人が知っていることは、たかだかである。知っている限りのことを吐き出しているだけのこと」
田舎に帰って92歳になる母と話しているとき、ふと、膝の上の中日新聞に目を落とすと「老子の言葉」が載っていた。番号が打ってあり毎日掲載されているようだった。
日常的には心得ていると思っていたが、母の話を聞きながら、ふと目にした新聞の「老子の言葉」がなぜか母の忠告のような気がして、話す・にしろ、書く・にしろ、座右の銘にしようと思った。
70歳になっても息子は息子。母はいつ会ったときも事細かにいろいろと忠告してくれる。有り難く思う。
(2005・5) でんどう三輪車
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- 2005/05/29(日) 06:03:32|
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桑イチゴは甘かった いのうえ つとむ
葦の中の柔らかい芹を摘んでいた
葦の中の芹は葦に囲まれて
真っ直ぐに伸びている
直射日光があまり当たらないので
五月のこの季節になっても
まだ柔らかい
ふと、頭上を見上げると 桑の実がなっている
桑の実は小粒だが いっぱいなっている
休耕田の荒地の この桑の樹は野生化して
桑の葉も桑イチゴも小さい
ところどころに 桑の樹が残っているのは
桑畑があったのだろう
濃い紫色の桑の実は 甘くて美味しい
小鳥になったような・・・錯覚で
小鳥になって・・・ 自然の中で食べるのは 特に美味しい
八百屋さんの店頭に並んでいる どの果物より美味しい
その美味しさは比較にならない
自然がいっぱい詰まっているから
甘い桑イチゴを食べていると
幼少の頃を思い出す
蚕棚に囲まれて
練炭の強い匂いの中で育った
ざわざわ ざわざわ ざわざわ
蚕が桑の葉を食べる音を聞いて育つた
小さな蚕が
だんだん大きくなり・・・やがて透明になり
口から生糸を吐き出し 真っ白な繭玉を作る
真っ白な繭玉の中から…
くず玉を取り出し・釜に入れて煮る
その匂いが・・・また・たまらない
繭の中から こげ茶色の蛹を取り出し
自家用の絹糸を作る
生糸を糸車に絡ませて 絹糸を作る
からころ からころ からころ
糸車を回す
母のお手伝いで 糸車を回す
桑イチゴは 甘く美味しい
八百屋さんの店頭に並んでいる
どの果物より美味しい
比較にならぬほど美味しい
自然がいっぱい詰まっているから
思い出がいっぱい詰まっているから
(2005・5)
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- 2005/05/28(土) 05:27:15|
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白い花の人工交配
雨上がりの朝だった。生まれ育った田舎の家の裏の畑でキュウイの白い花が咲いていた。花も葉も昨夜の雨で濡れていて畑には入れなかった。蜜柑の花のような肉厚な白い6枚の花びらだ。大きさはコスモスの花ぐらいだろう。
10時ごろになってやっと露が乾いてきたので、兄夫婦の仕事のお手伝いだ。キイュウイは梅や桜と違って、銀杏と同じように雄の樹と雌の樹があり、実の成る樹は雌の樹である。交配のため、ところどころに雄の樹を植えてある。雄の樹がないと実が付かないそうだ。
蜜柑や林檎や梨のような果実はほとんどの花が雌しべと雄しべが同一つ花にあると思う。
ミツバチだけで交配させる農家もあるそうだが、果実が小さく市場に出しても高値は付かないので、大きくて美味しキュウイを作るには手間と隙をかけて人工交配をしなければならないという。
脇花というか、余分な花を取り除くこれだけでも大変だ。花粉を採るには、雄の花を摘んでカッターの機械で細かくして、雄しべと花びらや余分な塵を選別して雄しべだけにし、それを乾燥させて花粉だけにして、その花粉に赤い色をつける。これだけでもなんと手間のかかることか。
さあ。これから人工交配だ!「花粉交配機」があって、昔、カメラ屋さんが・ゴムの袋を握ってシャッターを切った・あのようなゴムを握ると細いノズルから赤く染めた花粉が吹き出る。一度かけた花は赤く染まっているので二度かけることは無い。この日は三分咲きぐらいだろうか?一度に咲かないので助かるようだ。
こういう仕事はおしゃべりをしないと持たない。たまたま無農薬の話になった。「蜜柑の農薬で最初1000倍に薄めるよう支持があったので1000倍に薄めたが後になって1500倍だという。報告のときに正直に1000倍と書いて報告したら始末書を書かされた。
1500倍と嘘を書いたものと報告しなかった者はそのまま通った。
正直に書いたものだけが馬鹿を見る時代だよ。」・・・
「無農薬なんて信用しては駄目だよ・・・本当に無農薬なら虫食いだらけだよ。・・・嘘だと思ったら自分で作ればわかるよ・・・減農薬だってどれだけ減農薬か分からん。・・・町の人は無農薬だ!減農薬だ!と言えばすぐ飛びつくからなあー・・・」
今まで、値段ばかり高いの安いのと気にしていたが、農作物がこんなに手間隙のかかるものとわかった。無駄にはできないと思う。八百屋さんに虫食いだらけの野菜があったらいいな・・・せいぜい曲がったキュウリぐらいだもの・・・。
(2005・5) でんどう三輪車
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- 2005/05/26(木) 22:25:54|
- コラム「でんどう三輪車」|
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瞳 いのうえ つとむ
「しっかりしようね」と
柔らかな掌に
指で字を書いて話します
「うん」とにこりうなずきながら
僕を見つめるその瞳
空にはいっぱい
星が輝き
星が瞬く
赤いパンツ
赤いパンツをいつもはいている
宮本君に
秋田の美男子だと褒めてあげる
「役者になってもいい顔だ」と褒めてあげる
褒められると彼は喜ぶ
けれど彼の言葉は分からない
赤いパンツをいつもはいていて
喜んでいることしか分からない
明るくて
朗らかで
いつも目が輝いている
それがいいんだ
それがとってもいいんだ
わめき
いつも吠えているように喚く
けれど やっぱり
畑君も人間だ
何とか言おうとしている
・・・何とか分かろうとする
何が欲しいのか
何が言いたいのか
・・・さっぱり分からない
それでも
うん うん と
目と目を合わせ
お互いにうなずく
それで仲良し
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(1963)
- 2005/05/26(木) 05:23:20|
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白い杖 いのうえ つとむ
通いなれた
京浜急行の駅のホームだった
「 横浜に行くのはこちらでしょうか 」 と聞かれて
「 はい 」 と反射的に答えてしまった
その日は用事があって
僕は通勤とは反対のホームから降りてきた
考え事をしていて
うっかり 間違った返事をしてしまった
ハッと気が付いて 振り返ってみると
白い杖を持った人だった
他の人に教えてもらい
横浜行きのホームに戻っていかれた
このことが 30 年過ぎた今も
心の傷となっている
( 2001 )
- 2005/05/25(水) 00:20:30|
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同窓会
2005年5月22日、浜名湖のホテル白砂亭で小学校の同窓会があった。たしか卒業して56年になると思う。
最初は出席の返事を出し楽しみにしていたのだが、持病の喘息で昼間は良いのだが、夜になると・咳と痰に悩まされて同室になられた方に迷惑をかけるか?と思い、「 参加 」 を変更して 「 不参加 」 の連絡をした。「 もし体の具合が良くなったら来て下さい 」 と、幹事さんは言ってくれた。
それから同窓会の一週間程前に幹事さんから電話を受けたが、やはり咳と痰に悩まされていて、「 参加は無理 」 との返事をした。
幹事さんがツテを頼りに 「 節子さんに 連絡したところ、節子さんも参加してくれる、ツトム君の事をよく記憶していると言われていたので、電話番号を教えるから・・・電話をしてくれる? 」 と言われ、懐かしく思い、早速電話をした。
節子さんは事情があり、養女として来られて4年生の1年だけ田舎の学校にいたが、お母さん恋しさで、耐えられず豊橋の親元に帰つた。僕は5年生のときに胸を病み落第してしまい1級下のこのクラスに編入したので、節子さんとは机を並べて勉強していない。だが家が隣近所だったのでよく遊んだ。
子供の頃の懐かしい思い出を話し合った後 「 実は僕は喘息で
夜・咳と痰が出るので皆さんに迷惑をかけるから、参加しないんだよ 」と話したところ、彼女は 「 泊まらなければいいでしょう。私も用事があるので日帰りです。懐かしいからぜひ来て下さい。」 と言われて、僕も、「 泊まらなければ迷惑をかけずにすむ 」 そう思い直して参加することにした。
浜名湖は排気ガスの多い横浜とは違い、空気が良いのだろう。宴会中は幸い咳も痰も出なかった。抽選で席を決めたのだが、運良く節子さんが隣に座った。宴会の短い時間だったがいろいろ話が出来た。
節子さんが養女に来た事情というのは、養女になる家が村長をされた事のある・この地方の名士の家系で、電話はこの家に一軒しかなく僕の家もよくお世話になった家だ。この家の一人娘のセキちゃんが女学生のとき学徒動員されて、豊川海軍工廠に働きに出て、運悪く大空襲の爆撃に合い、一命を落とされた。( このときの爆撃はすさまじく何百人だたろうか?全滅に近かったと聞いている ) 多くの方が命を落とされた。ご家族の落胆ぶりは想像を絶する。とりわけ、お母さんのタキノさんはお気の毒だった。僕の母が親しかったので、母から何度もセキちゃんの話を聞いた。・・・戦争ほど恐ろしいものは無いとつくずく思う。
そういう家に節子さんは養女に来たのである。大事にされただろうが、実家に帰ったとき自分の生家が良くて二度と戻られなかった。
僕が不思議に思って聞いたのは、4年生の時、1年だけの短い期間でも、よく同窓会に参加されたことである。
節子さんは「 それは皆さんがとても優しく温かかった 」・・・「 けれど同級生の人はほとんど記憶にない・・・でも隣近所で、仲良く遊んだ泉さんと芳子さんに会えないのは残念ね。・・・泉さんはお母さんが早く亡くなられて可愛そうだった。妹さんのお守りをしておられた 」・・・「 会いたかったのに残念ね 」と二度ばかり繰り返された。・・・以前、空襲で豊橋も危なくなり、奥三河の村に母と子供だけ疎開をした。食べるものが無く辛かった 」・・・「 お金があっても村の人は分けてくれなかった。母が栄養失調になり、お腹がポンポンに腫れてしまい、もう少しで命を落とすところだった。幸い父が復員してきて・・・ これは大変だ・・・ と言い、奥三河から豊橋までおんぶして、病院に入れ、一命をとりとめたの 」・・・「 それに比べて皆さんは優しかった 」・・・「 私も母と背負子を背負い、よく山に薪を集めに入ったのよ 」と話してくれた。・・・食べるものが無く薩摩芋の葉をみんな食べた時代だ・・・この時代は、みんな同じような生活を経験していた。
まさか節子さんがこのような辛い体験をしているとは思いもよらなかった。大きな店と工場を持つ会社の令嬢で品がよく利口で・おまけに美人と来ている・・・どう見てもそんなふうには見えなかった。
人は見かけで判断できないと今さらながら思った。
同窓会に来られた節子さんも子供の時と同じように、品がよく
美しい花が咲いているように見えた。皆も同じように見えただろう。
でんどう三輪車 ( 2005・5・24 )
- 2005/05/24(火) 01:34:43|
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希望 いのうえ つとむ
丘いっぱいに
山羊が走る
真っ白な山羊が走る
緑が萌えて山羊が走る
空いっぱいに
雲が走る
真っ白な雲が走る
希望をのせて雲が走る
麗らかな あまりに麗らかな
春の一日
( 1 9 5 8 年 ・ 春 )
- 2005/05/23(月) 00:00:00|
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銀杏の樹
五月・銀杏の葉が若緑に萌えている
銀杏のエネルギーが発散され
街じゅうが若緑に萌えていて
街じゅうが新緑に包まれている
スカートの短い女子高生たちが
キャーキャー笑いながら横断歩道を渡って行き
若葉の影で小鳥が巣作りをして
せっせと子供に餌を運んでいる
自転車のタイヤがバンバンと跳ね上がり
銀杏並木の舗装道路が盛り上がり
静脈瘤のように根が盛り上がり
銀杏のその根は公園に向かって延びている
街路樹は限られた狭い場所に植えられて
舗装道路に無理やり並べて植えられて
必死に土を求め・水を求めて
根を伸ばしている
水が欲しいと叫んでも
咽喉が乾いたと叫んでも
自分ではどうすることも出来なくて
限られた環境と境遇のなかで 必死に生きている
それは人間も同じ
(2005・5) いのうえ つとむ
- 2005/05/22(日) 00:01:05|
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芹の香り
鶯が鳴いていた
メジロが囀っていた
朝6時に摘んできて
露にびっしょり濡れていて
透き通った朝日を浴びながら
爽やかな朝の空気を吸いながら
グサッと包丁を入れ切った感触が
とってもいいのです
この芹の香りが
脳を刺激し
神経細胞が
微妙に振動するのです
若々しくあれ ! と
( 2005・5・21 ) いのうえ つとむ
- 2005/05/21(土) 08:17:09|
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汽車の警笛
「 青木ヶ原の樹海に入って行く人が今年は多い 」 と新聞店のパートのおばさん達が話していた。樹海と言えば風穴洞に一度行った事がある。雪の富士山を背景にした七かまどの赤い実が目に浮かぶ。又このごろは人身事故で電車がよく不通になる。年の暮れは何故か事故が多いと話していた。
僕が幼少の頃、お爺さんやお母さんは畑仕事を終えて家にいた。父は戦地に行っていなかった。
ある日、僕より幼い子供を連れて婦人が尋ねてきた。我が家の隣の家が親戚なので頼ってきたが疫病神のように追い払われたと言う。「 主人が戦死して生活が出来ない 」 と泣いていた。
「 あいつは冷たいやつだなあ 」 と言いながらお婆さんがお米を袋に入れて渡していた。「 これで子供に白いお米が食べさせられる 」 と礼を言って婦人と子供は帰っていった。「 困ったらいつでも来るように 」 と激励して家族で見送った。日暮れの薄暗い道をとぼとぼと帰っていく母子の後姿が今も忘れられない。
その日の夜中になってホーホーホーと汽車の警笛が聞こえてきた。いつもより長いので 「 事故があったな 」と悪い予感がした。
朝になってお爺さんと歩いて駅に行ってみると、案の定・・・母親と子供が心中していた。綺麗に掃除されていたが踏み切りより50メートルるほど名古屋寄りに離れたところの線路に白いお米が散らばっていた。「 あの世に行っても子供にひもじい思いをさせたくないと思ったのだろう 」 とお爺さんはつぶやいていた。悲しくあまりに痛ましい思い出だ。
これは生きる気力を失った不幸の極限の生命状態で 「 地獄界 」 と言われる。他人事ではなく、誰にでもある生命状態だと言う。誰もが不幸の主人公に成りたくは無いと思う。だが人生、一瞬先は闇。行く先々どんなことがあるか分からない。いずれにしても何かあったとき相談できる人がある人は幸せだ。良い友達を持つことがどんなに大事かと思う。
調子の良いとき、景気の良いときは人は寄ってくるが、一転して苦境になると冷たいもので離れていく。そのとき初めて人の心は分かる。事があったとき人の心が分かる。
人生案内に身内との金銭トラブルの相談があった。とかく借金癖のある者は自分の生活のレベルは落とさずに他人の懐を当てにするきらいがある。僕の仕事先の若い店員でパートの人たちにお金を借りまくっていたのがいて、僕にも必ず返すからといって借りにきた。ヘビースモウカーなので「まず煙草を止めたら?」と言うと 「 止められない 」 と言う。パチンコはやるし呑み屋にも出入りしているようだ。ブラックリストに載っているというが、本当に困っているのではない。
本当に困っていても、きっぱり断ることが本人のためになる。
断らないのなら、とことん地獄の底まで付き合うしかないと思う。その場合どこまで借り方を信用できるかだとも思う。
人生、晴れた日もあれば、雨の日もある。曇りの日も、雪の日も、嵐の日もある。僕はいつも思うのだが1年365日、1日24時間、天文台から発せられる正確な時間は皆平等だ。この天文台の時間と身に感じる時間との相違である。同じ1時間でも病院での待ち時間は長く、デートのときは瞬く間に過ぎる。辛い仕事や嫌な仕事は長い。仕事に打ち込んでいるときは一瞬に過ぎる。どうやら心の豊かさと貧しさに関係がありそうだ。心とは不思議なものだ。お互いに充実した一生を送りたい。
子供の頃に聞いた、あの汽車の警笛が遠く聴こえてくる。
(2003) でんどう三輪車
- 2005/05/20(金) 04:51:33|
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雑草 いのうえ つとむ
雑草と言う名の草は無いんだね
新聞のコラムに 「 雑草と言う名の草は無い 」 と書いてあった。
今、僕は団地の坂道で休んでいて
土手に咲く小さな花を手にしている
米粒ほどの小さな・小さな花たち
白色 薄紫 ピンク色と小さな花がそれぞれ咲き
小さな星のような花が・ひっそりと咲き
( 花壇の花が華やかに咲いている時 )
雑草と言う名の草は無いんだね
みんなそれぞれ名前があって
それらを僕らが知らないだけ
名前がなければ新品種・・・
「 雑草のように強くなれ ! 」 と言われるけれど
僕らは民衆と呼ばれ 大衆と呼ばれ 庶民と呼ばれ
人民と呼ぶ国もある
雑草という名の草はないんだね
「 民衆 」 や 「 大衆 」 や 「 庶民 」と言う人の名もないんだね
一人一人には皆・名前がある
(2005・5)
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- 2005/05/19(木) 12:10:24|
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柱時計 いのうえ つとむ
古い柱時計がある
物置の中でじっとしている
その煤た顔は
おじいさんのようだ
新しい時計が晴れやかに
時を告げているとき
物置でじっとしている
古い柱時計よ
止まった針は
遠く・永い時間を告げている
深い悲しみに沈んでいるようで
それでいて いつも にこにこ笑い
丈夫な働き者の百姓のおじいさんのように
「もう俺の時代は過ぎたよ」と
容赦なく時の過ぎていくのを
告げている
古い柱時計よ
静かな 静かな その声を聴き
僕は本当の時間を知った
その声は誰にも聴こえない
(1959年)
テレビを見ていて「あれ!」と思った。「古い柱時計」という歌が美しい声で流れてきたとき、その歌詞の内容が自分の「柱時計」にあまりにも似ているように思えた。
俳句は五・七・五という短い詩なので、類似(類想)は多々見受けられる。
梅二輪背中合わせに咲く花も・・と、出来たぞ!写生俳句が出来た!と喜んで念のため俳句の歳時記を調べると、「背中合わせ」と出ているではないか。残念。無念。捨てなければならない。しかし有名な俳人と同じ境地で俳句が出来たことで、まずは・満足とした。
タイプラボの佐藤さんも新書体を作って発表したとき、偶然にも同じような書体が同時期に発売された。しかし相手の会社も善意で受け取ってくれてお互いにトラブルも無かった。と書かれていた。
所詮・人間の思いはそんなに離れていないのかもしれない。
- 2005/05/18(水) 13:15:26|
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メジロの巣はハンモック
小鳥の巣はおわん形が多いが、「メジロの巣はハンモックだよ」と聞いてはいた。が・見たことが無いので一度見たいと思った。
昨年の春のこと、長女の嫁ぎ先の庭木が二階の窓をふさぐほど成長せすぎて、庭師を頼んで手入れをした。そのときメジロの巣があった。「お父さんメジロの巣だよ」と言って見せてくれた。枝が二股に分かれているところに、まさしくハンモック形のメジロの巣であった。卵も雛も無かったことが幸いだった。メジロにしてはとんだ災難だったろう。気の毒なことをしたものだ。
工芸品とも思われるほど、くもの巣や草で巧みに出来ている。以前、俳句の仲間が「庭にメジロガ巣を作った」と言っていたが本当だつた。僕の田舎では山奥に行かなければヤマガラはもちろんメジロの巣は見られない。百舌や蛇の天敵が多いから本能的に人里近くでは巣を作らないのだろう。ホオジロや雲雀の巣はよく見られた。特に多いのが百舌の巣だった。
洋光台は小鳥が多い。百舌や蛇の天敵がいないから安心して巣作りが出来るのだろう。小鳥にとっては楽園だ。人間にとっても楽園だ。この平和な時代がいつまでもつずくことをを願う。
(2005・5) でんどう三輪車
- 2005/05/17(火) 18:47:35|
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暗い道 いのうえ つとむ
死よ 僕を誘わないでくれ
このくらい道を歩きたいのだ
淋しく悲しく泣きたいのだ
顔を両手で押さえ
涙をみんな流すのだ
死よ 僕の袖を引かないでくれ
家路
冬も近い
秋の夜である
星の無い 暗い夜である
ヒュウォー ヒュウォー
寒い風が頬を打ち
胸の中まで染みとおり
心の割れ目に染みとおり
ざわざわ
ざわざわ
ざわざわ
落ち葉が足元で騒ぎ立てる
暗くて悲しい
病院の帰り道
ただ自分の胸を
しっかり抱くように
ひたすら 家路を急いだ
いものめ
くれがたの
いもの あなぐら
さつまいもが かさねられ
さつまいもが かさねられ
くらく かびのにおい
ねずみの しようべん
こうろぎの しじゅうそう
へびは くびあげ あめあがり
ほそく しろく
かべ はいあがる いものめ かなし
やむひとの てのひら
あわされ
いのりしずかに
(昭和27年11月)
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- 2005/05/17(火) 03:30:13|
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一線を越した者と越せない者
夜中の1時ごろか2時ごろ・・・ふと目が覚めてテレビを見ると京都の街を歩いている黒い靴を履いた黒い服の尼さんが映っていた。よく見ると女優の夏木マリさんだった。どう見てもカツラではなかった。そうしたら舞台の役柄で髪を剃ったと解説された。美人は髪があっても無くても美しい。しっとりと京都の町に溶け込んでいて、なぜか秘められた色気さえ感じた。しかしたいした度胸だと思う。芸人の中の芸人だと思う。役とはいえ髪は女の命。そう簡単に落とせるものではない。
僕がいつも思うのは長髪に戦闘帽をかむった軍人の俳優だ。子供の時見た兵隊は将校もすべてイガグリ頭だった。その長髪を見ただけで興ざめしてしまう。それに反して夏木マリさんの芸に対する打ち込みには感心した。昔・「楢山節考」という映画があって、田中絹代が主演した。山に捨てられていく老婆を演じた。老婆を演じるのに前歯を全部抜いてしまった。それを聞いて一流の芸人の執念に驚いた。恐れ入った。だからこの映画は鮮明に記憶している。ある一線を越したものと越せないものの差はここにあるように思う。
僕は器用にこなせるが、何をしてもこの一線を越せないのはこの執念の無さだと思う。僕が始めて映画を見たのは、村祭りの神社の星空の下の野外上映だった。
お祭りと言えば毎年・田舎芝居だったが、村の青年たちがこの年は映画にした。題名は忘れたが新人俳優・三船敏郎だけは覚えている。地べたに筵を敷いて海苔巻きの寿司を食べながら見た。それからほど経ってから街に行き、「羅生門」と「無法松の一生」と「楢山節考」を見た記憶がある。近所の友達が名作だから見たほうがいいと教えてくれたので、それぞれ見に行った。 今思うと見ておいてよかったと思う。街まで出るのが面倒なので他に映画を見た記憶は無い。
最近はテレビをつければ簡単にドラマも映画も見られる。だが良い映画が無いのかすぐに忘れてしまう。いや・年のせいかもしれない。
(2004・1)でんどう三輪車
- 2005/05/16(月) 23:55:44|
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めじろの 夫婦
バードウイークにちなんで日本野鳥の会の山本浩伸さんが新聞のコラムに「シロハラの愛?」と題して小鳥の愛について書かれていた。概略を紹介すると「観察館の窓ガラスにシロハラが体当たりをして死んでしまった。鳥は非常に目のいい生き物で障害物を上手に避けて飛ぶが、窓ガラスは大の苦手。窓ガラスは景色が写り込んでいるので写った景色を勘違いしてぶつかり怪我をしたり死んでしまう。3ヶ月で9羽死んだ。この日もシロハラが1羽死んだ。そして相方ののシロハラが近くの樹の枝に止まって、まるで「どうしたの」と言っているかのように、しきりに覗き込んでいてしばらく離れようとしなかった。・・・科学的な捉え方は別にして鳥にも友情や愛情があるのでは」という意味のことを書かれていた。
そう言えば以前、ホテルの窓ガラスに小鳥が体当たりをしてきたことがあった。・・・僕の少年時代は病弱で学校にも行けなかったので、メジロを飼い裏山に鳥もちでメジロ捕りに行った。毎日裏山で小鳥と過ごした。当時は野鳥保護ということはあまり言われなかったので、罪悪感は無かった。むしろメジロが唯一の友達だった。
カスミ網で大量にツグミを捕獲する業者がいて、都会の居酒屋で焼き鳥となった時代である。小鳥屋には鶯や・メジロはもとより・ヤマガラ・コガラ・えなが・ほおじろ・ヒバリ・など野鳥が籠に入れられて売られていた。またお祭りにはどこの神社の境内でもヤマガラの・おみくじ引きがあった。今は小鳥にとっていい時代である。
メジロは雄が姿も声も美しく囀るので雄だけが重宝されて雄だけが捕らえられる。したがって雌が残されて、彼氏を求めて鳴きながらどこまででも飛び捜し求める。部屋に彼氏が捕らわれていれば部屋の中まで入ってくる。又いい雄がいると相方の雌をとらえれば、必ずその雄は捕らえられる。この愛情の深さには感心した。僕の観察では簡単に人間様のように浮気したり再婚したりしないように見えた。2年たっても3年たっても同じメジロが彼氏を求めて泣き(鳴き)ながら空を飛んでいるからである。そしてほかの小鳥も夫婦愛は強いと思う。
(2007・5) でんどう三輪車
- 2005/05/15(日) 10:26:03|
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こでまり草 いのうえ つとむ
白い花が咲いている
あふれるように咲いている
こぼれるように咲いている
こでまり草が咲いている
花壇ではご主人と奥さんが
お花の手入れ
「今日は」
「今日は」
メール便の配達で・顔なじみ
いろんな花が咲いている
色とりどりの花がの咲いている
こでまり草が
あふれるように咲いている
舗装道路の割れ目にも
小さな
小さな
こでまり草が咲いている
背丈・5センチほどの
小さな
小さな
こでまり草が咲いている
遠くから見たとき
「アッ・白いハンカチが落ちている」
・・・・・
(2007・5)
- 2005/05/15(日) 04:51:41|
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桃 いのうえ つとむ
六月の空は雲が薄く広がり
時々 カラットのっぞく強い日の光
桃畑は緑の葉をいっぱい膨らませ
活字の色あせた紙袋から
そっと空を覗く 桃 桃 桃
あどけない少女たちのように
ピンクに頬を染めている桃たち
少女たちの笑い声が
ときどき色あせた紙袋から
聴こえてくる
遠くの国から聴こえてくる
六月の空は雲が薄く広がり
時々 カラット覗く強い日の光
(昭和35年)
- 2005/05/14(土) 18:58:51|
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土 いのうえ つとむ
あるいても
あるいても
アスファルト
街の道路は舗装され
土の道ではありません
今、舗装道路を歩きながら
団地のポストに
夕刊配達
五階建ての団地の影で
バラの花が咲いていて
思わず踏み込む小さな花壇
柔らかな土壌の感触が・・・
靴の底から伝わってきます
どうして赤い花が土の中から
生まれてくるのかと
不思議に思いながら
黒い土を見つめていると
「人はいつか土に帰るのだ」と
友の言葉を思い出す
この黒い土から
赤、青、黄色の
色とりどりの花が咲き出て
この地球上を飾り
命、燦燦と輝いている
(2003)
- 2005/05/14(土) 05:26:00|
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いのち燦々 いのうえ つとむ
小川で遊んでいた
田んぼの畦道を走った
ホオジロがさえずっていて
メダカが群れて遊んでいた
風がそよぐと青田が波打っていた
池の水面には漣が立ち
白い雲がゆれながら映った。
おーい
少年は空を仰いで
雲の行方を追った
遠い日のことだった。
今日、メダカが生まれた
ピンセットで抜く棘のように小さく
銀色の目玉が光っていて
いのち燦々と輝いている
水槽の水に老人の顔が映っていて
じっと見つめるその瞳は
水槽の鏡に映っている
その瞳は
少年のよう。
(2000・1)
- 2005/05/13(金) 20:52:57|
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海 いのうえ つとむ
白い帆を傾けながらヨットが並んでいた
サーファーたちが波と遊んでいた
漁船が波にあおわれながら
沖に向かって横切っていった
岬の遠くに黒いタンカーが見えてきた
動いているのかな・と思われるほど
静かに ゆっくりと
進んでいるように見えた
灯台から少しずつ離れていくように見えた
僕の中に少年がいて
不思議に思った
どうして鉄の塊が浮かんでいるのか
不思議に思った
そんな時ジェット機が爆音を残して
空を二つに割っていった
まったく不思議なことばかり
わかっているようで
わからないことばかり
少年は21世紀の将来を夢見ながら
いつまでも海を見つめている
(1999)
- 2005/05/12(木) 19:51:04|
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見上げてごらん夜の星を・・・
子供は国の宝、人類共通の宝!!
伊豆の狩野川に鮎を釣りに行き、野宿をした。砂を撒き散らしたような星空を見上げると天の川が緩やかに流れていて、オリオン星座が瞬き、北斗七星が北を指していた。小さなテントの中に入り川の瀬音を聞きながら横になると、草や土の香りがして地球に抱かれている・・・そんな甘い感傷に耽って目を閉じた。
僕は科学的な知識は何も無い。辞典を紐解くと「地球は40億年前に誕生して、大気に覆われ、水を多量に保ち、人類をはじめ多様な生物が生存する」とある。
教育テレビの子供の時間で「ネアンデルタール人は絶滅した。ホモサビエンスと交わってもDNAが違うので子供が出来ないからネアンデルタール人は絶滅した」と言っていた。 ホモサビエンスだけが生き延びて現代の人類へと進化したという。黒人も白人も、また黄色人も、色や体形が違うが、環境の違いによるもので元をただせば化石現生人類ホモサビエンスで皆兄弟だという。
猿から類人猿となり、ネアンデルタール人からホモサビエンス、へと進化して現代に至ったと思っていたが違っていた。
夕刊を配達していると、ちびっ子たちが子供用の自転車で「でんどう三輪車」の後を追ってきて、時には体当たりをしてきたり、競争したりしたが、一家族がこの団地から越してしまうと、残された子がいつも寂しそうにしている。ともかくこの団地も子供が少ない。少子化時代だろうか、子供が少ない。どの子供でも子供は大切な宝だと思う。
集金のとき、ご夫婦とも夜・帰宅が遅く子供さんに新聞代を預けられた方がいて、僕がつり銭を子供に渡すのを忘れてしまった。自分では渡したと思い込んでいたが、留守番の子供の心を傷つけたと思うと土下座してもすまないことだと思った。月末で納金が迫り、階段の上り下りで疲れ切っていたとはいえ申し訳なく思った。ご両親が良い方だったので「子供がどんな思いをしたか、知ってほしい」と軽く言われただけなので尚更申し訳なく思った。
最近少年犯罪が多い、それも殺人事件が多い。ある大臣が「殺人を犯した少年の親の責任だから親を市中引き回しの上、首をきれ!」とずいぶん乱暴な発言をして問題になった。
子供たちは一歩・軌道を外れてしまうと、自分の子供でも手に負えなくなり悩んでいる人が大勢いる。おそらくこの大臣は何不自由なくエリートコースを歩いてきて庶民の心情を理解できないのだと思う。「子供を失った親にはなりたくないが・それ以上に殺人を犯した子の親にはなりたくない」と言う人が多いと事件後に報道されていた。
足の小指に菌が入って腫れてしまい10日ほど夕刊の配達が辛かった。そのとき体の不自由な人の辛さをしみじみ感じた。
自分が痛い思いをしないと他人の苦しみは分からないと思った。
10年一昔になるが平成2年7月30日に末の娘を交通事故で亡くした。辛かった。昨日のことのように思えて今でも辛い。けれど加害者を憎むことは無かった。人を憎むことは自分の命を害する。それで僕は救われた。憎むという心に縛られなかった。辛いながらも地獄のどん底に落ちなかった。そのとき加害者の親にもなりたくなかったから、憎むことは無かった。憎めなかった。
大臣は戯言を言っていないで、麻薬の撲滅を考えてほしい。ある国が国家資金源に麻薬を製造し密輸してそれを暴力団が売りさばいているのではないか?とマスコミは伝えている。人の不幸の上に富を築くものは許せない。これは大悪だ。この麻薬を根絶して毒牙から子供たちを守らなければならない。健全な青少年を育てていくのは大人の責任だと思う。政治の責任だと思う。
子供は国の宝、人類共通の宝だから!
見上げてごらん夜の星を!
夜空一面の星を都会の人は忘れている
オリオン星座を忘れている
北斗七星を忘れている
銀河宇宙の中の自分を忘れている
宇宙の中で生きていることを忘れている
今年は火星が最も大きく見えて
「子供たちは宇宙の宝だ」と瞬き教えてくれている
2003・10 でんどう三輪車
- 2005/05/11(水) 23:44:43|
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遠い遠い・話し声 いのうえ つとむ
駅に着いたら「定年です」
車掌に言われて・立ち止まり
年金切符を・ポケットに
別の電車に乗りました。
午前三時に目が覚めて
屋根裏部屋の天窓で
星と話が出来ました
それは小さな声ですが
星と話が出来ました。
「花の切符でもう一度
光の電車に乗り換えて
オリオン星座においでよ」と
何億光年というその声は
ひそひそ話で言いました。
遠い遠い・話し声・・・
銀河鉄道の話し声・・・
じっと夜空を見ていると
じっと夜空を見ていると
東の空が燃えてきて
東の空が燃えてきて
真っ赤な顔した太陽だ。
(1996・1)
先日「父が定年なので、久しぶりに両親と新潟方面へ旅行してきて今・帰りました」と若き女性の友人、M・Yさんからメールが入った。・・・「親孝行してきたね」と返信した。
定年・人生の大きな曲がり角?僕も「書道教室」という目標をもって新たな生活に進んだが、今ひとつ心の空白が埋めきれずに
相模川の上流の川原で、川仙人よろしく・よく野宿をした。その頃改築したばかりの家の三階の屋根裏部屋で、天窓から瞬いて見える星と話をする夜が多かった。
企業戦士と言われる人ほど・その落差が大きいようだ。銀行のエリートマンだった方が、今、痴呆症がひどく奥さんが大変苦労されておられる。・・・ジョギングをしている定年組みのなんと多いことか。
- 2005/05/11(水) 01:54:30|
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生涯青春・人生70歳から
新聞の集金に行くと時々年齢を聞かれる。63歳ぐらいなら36歳と反対に言って笑って済まされるが、68歳だと反対に言うわけにもいかず、「10年生まれです」と仕方なしに答える。
たまに「あら私と同じ・じゃない、でも50代に見えるよ」と言われると、そんなに若く見えるのかなーと少々嬉しく思う。
20代とは言わないが、何故か30代の心意気でいる。
・・・・・残念ながらまったく体が付いていかない。
そんなとき・・・「あと僅かで70歳だなー」と しみじみ思う。
・・・集金しているこの団地の人も僕と同じ年頃の方が多い。
「20歳までは正月が来るのが待ちどうしかったけれど、20歳を過ぎると年を食うのは早いね、まるで特急だね」なんて愚痴をこぼしあう。
そんな折、読売新聞の編集手帳の欄にプロスキーヤーの三浦雄一郎さんの記事が掲載されていて目にとまった。驚いた・・・
またテレビの対談を見て驚嘆したね!・・・
70歳でエベレストに挑み8848メートルの山を登ったという。フランスのモンブラン山郡の氷河をラッカサンぶら下げてスキーで滑降したとんでもない冒険おじさんだが、それにしても驚いたね。・・・
『一時仕事を休んでいたら、体がぶくぶく太りだし小高い丘も登れないほど体力が衰えて、「これはまずい」と思っているとき99歳になる父・敬三さんが現役でスキーを滑っている。これでは笑われると思い父親を「あっ!」と言わせるには何かせねばと考えたのがエベレストを登ること』だったそうだ。
それから5年間かけて体力を鍛えて資金づくりもしたという。
アナウンサーに言われてテレビ画面に靴を見せていたが
年々錘を重くして振り子のように歩くのだそうだ・交差点で途中で赤になると一番困るとも言っていた。思いついたらきちんと計画を立てて・・・実行する。やっぱり一流人は違うね。
待て待て、感心して終わりでは困る。一流人も人間、三流、四流の我も人間、自分なりに目標を立ててきちんと計画を実行する。ということで結ばないと?
「他人と比較するより昨日の自分と、今日の自分はどうか・が大事だ」、と人生の師匠の言葉がある。そして「希望を持つことが若さの秘訣である」とも・・・
さてさて、我輩は何をするべきか?・・・夕刊の配達と集金と契約。一見。団地の5階と8848メートルではそれこそ天地の違い。・・・だが内容が違うと思うよ!配達しながら集金しながら契約を頂きながら、団地の皆さんと語り合い、心の交流がある。生涯青春!共々に幸せでありたいと願う心の交流がある。
それが僕の希望であり生きがいである。
2003・9 でんどう三輪車
- 2005/05/10(火) 08:24:21|
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君の瞳は10000ボルト・地上に降りた最後の天使・・・
君の瞳は10000ボルト・・・ウレシイー
僕が永年働き、定年退職まで勤めた会社は葵ネオンというネオンサインを主体とした広告の会社で、ネオン看板からドアーの文字書きまで制作していた。主に資生堂の仕事をしていて、毎年銀座祭に街を練り歩く花車も制作していた。
20何年も前のこと、バスを改造してネオン管を張り巡らした車は約2000万円の制作費がかかり、連日突貫工事だった。最後の仕上げに音響調整でボリュムを目いっぱい上げてガンガン鳴らした。・・・君の瞳は10000ボルト・・・だけが何故か耳に焼き付いてしまった。花車のモデルさんたちの踊りの練習を見るのが又楽しみだった。
僕が読売新聞の夕刊配達を始めてまもなく集金もやることになった。これが大変だった。お金を扱うのも初めてで、つり銭に戸惑ったこともあるが、前の集金の方が女性の方だったのでなかなか信用してくれなかった。「嘘をつけ!読売だと言って00新聞だろう!」00新聞の拡張員が読売と嘘をついてドアーを開けさせたというのだ。運悪くそれが僕にそっくりだそうで、行くところ行くところ怒鳴られた。
子供に「ドアーを開けないで」と叫ぶお母さんの声も聞こえてきた。五階までの団地の階段の上り下りの足が重かったこと。
それが、今は自分の名前を名乗れば「新聞屋さん、ちょっとまっててね」と奥で声がして・まもなくドアーを開けてくれる。ほとんどの方が笑顔で迎えてくれる。その笑顔は宝石よりも美しく
高価で、僕に10000ボルトのエネルギーを充電してくれる。
・・・ウレシイー
2003/8 でんどう三輪車
- 2005/05/09(月) 15:59:05|
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糸電話 いのうえ つとむ
ミシン糸をピリピリふるわせ
セロハン紙をピリピリふるわせ
紙コップに響く声
・・・・・耳の鼓膜に響く声
糸電話の
その声を
胸ときめかせて聞いた
少年の日。
今、電波は雨のように
ふりそそぎ
ふりそそぎ
緑の樹にも降り注ぎ
花にも君の肩にも降り注ぎ
光となり色となり音となる。
テレビは青く美しい地球を放映し
崩れる高層ビルを放映し
逃げ惑う民衆が映し出され
戦場の兵士が映し出され
泣き叫ぶアフガンの子らが映し出され
ああ!マスメデヤに一喜一憂し
その変遷に翻弄し
一分一秒・変わりゆき
年と年とが変わりりゆき
人の心も変わりゆく。
今、電波の雨を浴びながら
体・全体に浴びながら
ビリビリビリビリ浴びながら
どの娘たちも携帯電話を頬にあて
話しながら歩いてくる
けれど
僕の心は糸電話
僕の心は糸電話
{2002年1・1}
機械音痴なのか?携帯電話を持つ気になれなかった。しかし妻が耳が不自由であり、メールで交信できることから二人で持つことにした。いざ・使用してみると・・ なかなか便利なものだ。そういえば聾唖者の人たちが、駅で向かいのホームと手話で会話をしている姿を見かけなくなった。又、仕事にも便利に重宝している。時代はどんどん進歩し、仙人ではいられない。
- 2005/05/09(月) 02:21:31|
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僕は鯉なのだ いのうえ つとむ
どしゃ降りの中を突っ走る
どしゃ降りの中を突っ走る
雨合羽を着て突っ走る
僕は鯉なのだ 鯉なのだ
せっせ せっせ せっせ
雨が降ろうが嵐になろうが
メール便と夕刊配達
「こんな雨の日はたいへんだね」
と声をかけられ
けれど僕は
楽しくて 楽しくて
楽しくて しょうがない
人生・雨天ばかりではありません
人生・晴天ばかりではありません
少年、70歳となりました
どしゃ降りの中を突っ走る
どしゃ降りの中を突っ走る
雨合羽を着て突っ走る
僕は鯉なのだ 鯉なのだ
今、大空を見上げると
欅の大木が聳え立つ
日照りの時はへなへな喘ぎ
台風にはもみくちゃにされ
吹雪にはピューピュ-泣き
それでも欅は聳え立つ
樹齢百年とも二百年とも
はたまた・三百年とも・・・
人生、雨天ばかりではありません
人生、晴天ばかりではありません
少年、70歳となりました
- 2005/05/08(日) 12:43:37|
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病室 いのうえ つとむ
僕には 幸福な部屋があった
それは狭い粗末な部屋のように
人間どもは言うが
僕にはそうは見えない
にぎやかで楽しく親切な部屋であった
どうしてと言うと
ベットは古い林檎箱が二つと
雨戸で作ったもので
しっかりと抱いてくれたし
それにとっても温かい
母の作ってくれた木綿の布団もある
隅のほうでは本箱や机が
いつも話しかけてくれたよ
朝ともなれば 小鳥や木の葉がやってきて
見舞いに来てくれたよだが人間どもはこの病室を見ると
病気がうつると言って
跳んで逃げて行ったよ
でもこの部屋は 僕にはやさしい部屋だ。
{昭和25年・中学2年}僕はこの頃、『健全なる身体に健全なる精神が宿る』という言葉が一番嫌いであった。体の不自由な者や病身の者には『健全なる精神』は宿らないのかと心の中で一人・反発した。長い間・床についていると体温で畳が体の形に腐ってくる。また畳の上に布団を敷いて寝ると埃を吸う。だから父と二人・雨戸のベットを作ってもらい、枕を並べて絶対安静の日々がつずいた。まだストレッフトマイシンのような特効薬が無かった。「生卵を胸の上に乗せていると思って安静するんだ」と・・父の口癖だった。安静しか治療する方法は無かった。
- 2005/05/07(土) 21:00:12|
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風 いのうえ つとむ
風よ 私の頬を障子の隙間から
そっとなぜてくれた 風
もう一度 ベットにもね
ベットは私を寝かしてくれるんだ
{昭和24年・中学一年} 小学校5年生の時、当時死の病と言われた結核になった。父をはじめ叔父も叔母も次々と病に倒れて、家族は「肺病がうつる」と言われて嫌われた。極度に病気の伝染を恐れた担任の先生の態度に人間不信になった。小さな胸を痛めて・生きるとゆうこと?なぜ病気になったのか?人はなぜ死ぬのか?ため息をつきながら考えた。あまりため息ばかりついているので父が心配した。 1年休学して落第した。少年の僕にとってつらい出来事だった。今までの同級生が先に卒業していくとき一人泣いた。
中学になっても、1学期2学期と休学した。担任の先生が見舞いにこられて「このままだと進級できないので遊びに来るつもりで良いから学校に来るように」と進められて、医者に相談して3学期から出席した。そのとき学校新聞に掲載された詩である。
- 2005/05/06(金) 21:27:17|
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