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走れ!でんどう三輪車
齢70にしてブログなるものに挑戦!人生まだまだこれからですよね(^^)//。俳句や詩歌を趣味として又釣り人として、 、、、、、はたまた「でんどう三輪車」として、日々の出来事を綴ります。

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真夜中の入浴

   真夜中の入浴  いのうえ つとむ
午前二時半の入浴は湯加減も良く体の芯まで温まり心地よい。
ゆったりと湯に浸かりながらテレビの映像を目に浮かべていた。
戦争中の学童疎開と戦後の浮浪児の記録写真でその体験者の取材である。
中でも戦後の浮浪児のことがことさら心から離れない。
戦争で両親を亡くし孤児となった子供たちだ。
駅裏や地下道で犬のように扱わられて生きて来た子供たちである。
 昭和10年生まれの僕と同じ世代の人たちだ。
僕は小学校の5年生の時肺結核になり病床で浮浪児のことをラジオで聞いた。
戦争で孤児となった浮浪児の事を連続ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』を聞き涙を流した。
残飯を食い泥棒をしてでも生き延びて来た人たちだ。
やがて『浮浪児狩り』と言って子供たちは捕らえられて施設に収容された。
・・ある人は施設を出て働きながら夜学に通いアメリカの大学を卒業しアメリカの中学校で教師をしてきた。
今、アメリカで日本語を教えている。
・・ある人は苦労を重ね成功して、幸運を呼び込み大富豪になった。
浮浪児の中で『俺が一番だ」』と成功を誇らしげに語っていた。
・・ある人は両眼を失明して施設から指圧の学校に行きマッサージ師となり
やがて幸せな家庭を築いた。
人生いろいろ。
とりわけマッサージ師の『生き様が』心に残る。
野良犬のように扱われて『社会を一生憎んでやる』と何度も口にしていた。
心から社会の人を恨んだと思う。
あるとき急に熱が出て頭が割れるように痛く苦しんだ。
『痛い痛い』と苦しんで居るときに背中をさすってくれた優しい友達がいた。
その友達がやがて塞ぐようになり、ある朝・電車に飛び込んで死んだ。
浮浪児の中には生きて行くのが辛く苦しく何人も電車に飛び込み死んだ。
『俺らは何も悪いことをしていないのにどうしてなんだ』と社会を恨んだ。
やがて両目が見えなくなった。
背中をさすってくれた友達が亡くなって間もなく『浮浪児狩り』があり施設に入った。
施設の先生にも徹底的に反抗した。その施設の先生が『銭湯に連れて行ってくれて
背中を洗ってくれた』。疥癬で(体中がものすごく痒い皮膚病)誰も触れてくれない。
だが先生は背中を流して洗ってくれた。
『嬉しかった・・心が開いた』。
それから先生の勧めで盲学校に通った。
結婚にも恵まれてマッサージ師として働いた.。今も働いている。
人間何が嬉しいかと言って『母親の様な温もり』が一番うれしい。
・・こんな私だが結婚して支えてくれた妻は寝たきり状態だ。
『妻への恩返しだ』と思い他人を頼らず自分で看病している。
眼が見えないのが辛いが頑張っている。
・・何より嬉しいのは『心の温もり、人の温かさだ』という
マッサージ師の言葉を噛み締めながら真夜中の湯に浸かった。
・・『リハビリテーション港南の樹』の皆さんの心の温もりを感じながら。

(2018・12・25)




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  1. 2018/12/25(火) 07:00:30|
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黒いチューリップ(再)

黒いチューリップ    いのうえ つとむ

四月半ば,春といっても寒い日が続くこのごろ、今日も寒冷前線が空を覆っていて自転車のハンドルを握る手が冷たい。
メール便の配達コースで庭に花が咲き競う住宅地がある。今・流行のガーデニングというのだろう、三色すみれの鉢が並び枝垂れ桜も咲いている。四季を通じてそれぞれの花の競演で見飽きることは無い。
その住宅の通りに「いちご堂」という小さな看板がある。鍼灸院の看板で毎日のように配達する家である。
中年の婦人がチューリップを鋏で切っておられた。鍼灸院の先生である。「今日は、綺麗なチューリップですね」と挨拶して、メール便の封筒を手渡そうとすると
「郵便屋さんですか、お花を持っているので、手が離せないのよ・・ポストに入れてね」
「郵便屋ではありません、メール便です、じゃあ、ポストに入れときますね」
「そうして下さい」
「大きなチューリップですねえー」
「でも、すぐ散ってしまうの」
「この黄色の花は芯のところが黒いのですね」
「そうなの?・・私は見えないのよ、だけれど紫の濃いのと違う?」
「そういえば紫かもしれませんね」
前にも挨拶をしたことが一度あったが話をして初めて目が不事由だと知った。
普通の眼鏡をかけておられて目が見えないことが外見では分からなかった。
「こちらの赤いチューリップのほうが濃い黒い色に見えますね」
手に取って教えてあげると
「どれですか、これ?」
「そうですよ、よく見ると紫の濃い色ですね」
花に触れながら思慮深い顔をされて
「オランダはチューリップの国でしょ、黒いチューリップで戦争したと言うからね」
「黒いチューリップ・・そんな謂われがあるのですか?」
「私は事故で見えなくなったの、最初は黄色い色や赤い色から見えなくなったのよ、色盲ってあるでしょう・・ああゆう感じからね・・見えなくなったの」
「それは大変ですね」
「私は見えないけれどね、お客さんが喜ぶと思ってね、ガーデニングの専門の方にお願いしているのよ。ところで貴方のお名前は?」
「井上と言います」
「どちらにお住まいなの。洋光台?」
「はい、洋光台の五街区に住んでいます。うちの妻がローアなのですが、途中で失明されて大変ですね」
「いいえ、そうでもないわ。・・貴方手話されるの?」
「僕はしません、口話です」
「唇を見て話すのね。私もね、点字しないのよ。小説もテープがあって聞けますからね」
「ああ!僕の同級生の仲の良い名古屋の友達が、かれこれ20年ほどボランテアで小説など本の朗読をテープに入れていますよ・・夜中の2時ごろまで起きているとか」
「そう!有難いわね。人のためになることは良いことだわね。そのお友達・・良い人生ね」
「なかなか出来ない事ですよね」
「お宅の近くに、・・・大嶋さんというローアの方がいるでしょう」
「妻の友達です」
「一度来られたのよ。災難にあったときに連絡できる会を作って市と話を進めているのだけれど中々はかどらなくてね」
「そうなんですか」
「でも最近は好くなったわね。ここのところ市のほうも好意的で好くなったわ。皆が変わってきたわ・・先日も二人の方が道案内をしてくれたの。以前はね、石をぶつけられたからね」
「最近はテレビでも手話をやるし、社会の目が変わってきましたね」
「私たちは杖があるから外見で分かるから良いけれど、ローアの人は見た目で分からないから大変ね、知り合いが張り倒されたことがあったからね」
「以前はオシだのツンボなのと言われていたからね・・妻の身内も自分の子供が嫁にもいけなくなるからと・・遠い宇都宮の聾学校に入れたのですよ」
「そう・・私ね一度懲りたことがあるの。手話通訳が良くなくて誤解されてね。障害者同士でも意思の通じないことがあってね・・理解されるのが大変でしたよ」
「手話も難しいからね」
「私パソコンをやっているのよ!文字が音声に変わるの!」
「そう!凄いね!僕もブログで詩やエッセーを書いているのです」
「何人の人が読んでくれているの」
「一日150人ぐらいかなあー」
「凄いはねー・・読みたいわ。今度機会があったら読ませてもらうわ」
「ぜひ読んでくださいね」
「私ね、目が見えなくなってからお声で人柄が分かるのよ。今のほうが前より人生が充実しているのよ。見えるときは見逃していたことが・・よく見えるのよ」
「僕のように目が見えると表面だけしか見ていませんからね」
「外見で判断するのではないのよ。心の奥が見えるのね。私って・・怖いわよ!・・フフフ」
「・・・・・」
しばらく間をおいてから笑顔で
「貴方いい人だわね」
僕は礼を言って、お暇した。
赤いチューリップも黄色いチューリップも芯の周りが濃い紫色の黒い色に見えることを、このとき・・しみじみと見ることができた。
いつもは通り一遍の見方で・・ただ「綺麗だだなー」と眺めて見ていた花である。

(2006・4・16)

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  1. 2018/12/12(水) 16:07:02|
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キャベツの葉

  キャベツの葉  いのうえ つとむ

ポイ!
ポイ!
ポイ!

外側のキャベツの葉が
ポイ!
そしてまた
ポイ!
・・・・
奥さん
奥さん
キャベツの葉ッパが
泣いてます
スーパーのバスケットの中で
泣いてます

ポイ!
ポイ!
ポイ!

久しぶりに港南台のスーパーに行った。野菜売り場に来てみるとキャベツの葉が捨てられていた。もったいないなーと思いながら・・キャベツの葉を何枚か頂いて・・レジで「捨てられていたので」と言うとレジの女性はにっこり微笑んでくれた。(2015.4・2)





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  1. 2015/04/02(木) 19:26:01|
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黒いチューリップ(再)

2014年横浜球場で撮影黒いチューリップ 
  黒いチューリップ    いのうえ つとむ

四月半ば,春といっても寒い日が続くこのごろ、今日も寒冷前線が空を覆っていて自転車のハンドルを握る手が冷たい。
メール便の配達コースで庭に花が咲き競う住宅地がある。今・流行のガーデニングというのだろう、三色すみれの鉢が並び枝垂れ桜も咲いている。四季を通じてそれぞれの花の競演で見飽きることは無い。
その住宅の通りに「いちご堂」という小さな看板がある。鍼灸院の看板で毎日のように配達する家である。
中年の婦人がチューリップを鋏で切っておられた。鍼灸院の先生である。「今日は、綺麗なチューリップですね」と挨拶して、メール便の封筒を手渡そうとすると
「郵便屋さんですか、お花を持っているので、手が離せないのよ・・ポストに入れてね」
「郵便屋ではありません、メール便です、じゃあ、ポストに入れときますね」
「そうして下さい」
「大きなチューリップですねえー」
「でも、すぐ散ってしまうの」
「この黄色の花は芯のところが黒いのですね」
「そうなの?・・私は見えないのよ、だけれど紫の濃いのと違う?」
「そういえば紫かもしれませんね」
前にも挨拶をしたことが一度あったが話をして初めて目が不事由だと知った。
普通の眼鏡をかけておられて目が見えないことが外見では分からなかった。
「こちらの赤いチューリップのほうが濃い黒い色に見えますね」
手に取って教えてあげると
「どれですか、これ?」
「そうですよ、よく見ると紫の濃い色ですね」
花に触れながら思慮深い顔をされて
「オランダはチューリップの国でしょ、黒いチューリップで戦争したと言うからね」
「黒いチューリップ・・そんな謂われがあるのですか?」
「私は事故で見えなくなったの、最初は黄色い色や赤い色から見えなくなったのよ、色盲ってあるでしょう・・ああゆう感じからね・・見えなくなったの」
「それは大変ですね」
「私は見えないけれどね、お客さんが喜ぶと思ってね、ガーデニングの専門の方にお願いしているのよ。ところで貴方のお名前は?」
「井上と言います」
「どちらにお住まいなの。洋光台?」
「はい、洋光台の五街区に住んでいます。うちの妻がローアなのですが、途中で失明されて大変ですね」
「いいえ、そうでもないわ。・・貴方手話されるの?」
「僕はしません、口話です」
「唇を見て話すのね。私もね、点字しないのよ。小説もテープがあって聞けますからね」
「ああ!僕の同級生の仲の良い名古屋の友達が、かれこれ20年ほどボランテアで小説など本の朗読をテープに入れていますよ・・夜中の2時ごろまで起きているとか」
「そう!有難いわね。人のためになることは良いことだわね。そのお友達・・良い人生ね」
「なかなか出来ない事ですよね」
「お宅の近くに、・・・大嶋さんというローアの方がいるでしょう」
「妻の友達です」
「一度来られたのよ。災難にあったときに連絡できる会を作って市と話を進めているのだけれど中々はかどらなくてね」
「そうなんですか」
「でも最近は好くなったわね。ここのところ市のほうも好意的で好くなったわ。皆が変わってきたわ・・先日も二人の方が道案内をしてくれたの。以前はね、石をぶつけられたからね」
「最近はテレビでも手話をやるし、社会の目が変わってきましたね」
「私たちは杖があるから外見で分かるから良いけれど、ローアの人は見た目で分からないから大変ね、知り合いが張り倒されたことがあったからね」
「以前はオシだのツンボなのと言われていたからね・・妻の身内も自分の子供が嫁にもいけなくなるからと・・遠い宇都宮の聾学校に入れたのですよ」
「そう・・私ね一度懲りたことがあるの。手話通訳が良くなくて誤解されてね。障害者同士でも意思の通じないことがあってね・・理解されるのが大変でしたよ」
「手話も難しいからね」
「私パソコンをやっているのよ!文字が音声に変わるの!」
「そう!凄いね!僕もブログで詩やエッセーを書いているのです」
「何人の人が読んでくれているの」
「一日150人ぐらいかなあー」
「凄いはねー・・読みたいわ。今度機会があったら読ませてもらうわ」
「ぜひ読んでくださいね」
「私ね、目が見えなくなってからお声で人柄が分かるのよ。今のほうが前より人生が充実しているのよ。見えるときは見逃していたことが・・よく見えるのよ」
「僕のように目が見えると表面だけしか見ていませんからね」
「外見で判断するのではないのよ。心の奥が見えるのね。私って・・怖いわよ!・・フフフ」
「・・・・・」
しばらく間をおいてから笑顔で
「貴方いい人だわね」
僕は礼を言って、お暇した。
赤いチューリップも黄色いチューリップも芯の周りが濃い紫色の黒い色に見えることを、このとき・・しみじみと見ることができた。
いつもは通り一遍の見方で・・ただ「綺麗だだなー」と眺めて見ていた花である。

(2006・4・16)


この『黒いチューリップ』のエッセイを書いてから時のたつのは早いもので今年は2014年ということで8年にもなる。
仲の良い女性の友達から・・金銭のやり取りで・・この人が・まさか?と驚くことがあり「人が信じられなくなりました」と打ち明けてくれて・・この『黒いチューリップ』を思い出し、あらましを話した。そしてブログに再び乗せることにしました。(時の経つのは早いもので今年は2015年になった) 




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  1. 2015/01/08(木) 13:14:24|
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使命とは

『使命とは命を使うということ』
今年のノーベル平和賞が発表された.女性の誰もが教育を受ける権利を命を懸けて訴えた17歳のマララ・ユフフザイさんが受賞された。これこそ使命に生きる人だと誰もが思う。
人は皆・誰人も生まれてくることは選択できない・・これだけは絶対に選択できないのだ。
だが『使命』=『命を使う』ということは自由に選択できる。

進学にしても・・就職にしても・・結婚にしても・・自分の意志で選択ができる。だが生まれてくるということだけは選択できない。職業だけ見れば・・医療に携わる医師や看護師さんも病院のお掃除のおばさんも皆さんが人の命を預かるという使命をもって働いている。・・電車を動かす駅員さんしかり、人の命を預かる大切な使命だ。・・魚屋さんも八百屋さんもいろいろな人がそれぞれの職業に携わりながら、使命をもって働いている。
・・僕がお世話になっているパソコン教室の先生方も、親友の美香ちゃんも健康サロンの難波さんも使命をもって働いている。孫が幼稚園で保母さんをしている・・これもまた使命をもって楽しく働いている。職業が何であれ・・その職業が利益追求が主か又は使命が主か・・どちらに重きを置くかで・・それぞれの人生の値打ちが違うと思う。・・いろいろな条件があるにせよ自分の選択による。
どれだけ人のために生きることができるか・・どれだけ他者の幸せを願うことができるか・・それが社会に生きるということ・だと思う。・・残された僕の人生を・・どう命を使うことが出来るか、僕の課題だ。 
  








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  1. 2014/10/27(月) 15:18:35|
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夏の終わりに

蝉の大合唱が止み秋の虫の声が心地よい季節となった。
この夏は難病siadh分泌不適合症候群との戦いであった。
関節の激痛に苦しみながら妻や息子や娘やそして親友の
温かな愛情に包まれながらの闘病に明け暮れた夏であった。
寝たきり老人になるかと思ったが幸い歩けるようになった。
歩けるといっても15分、良い時で30分ほどであるが歩ける。
歩けるということの幸せをかみしめている。
有り難う!。
あの激痛が遠い思い出になることを願いながら。





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  1. 2014/09/02(火) 08:01:46|
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白い杖

 白い杖
ファイテンの店長さんの元気なパワーをもらって帰り道のことである。
横浜銀行の前の交差点を渡りきり、白い杖を壁に当ててから方角を確かめて左に曲がり歩いている後藤さんを見かけた。
杖を頼りに歩く人たちの苦労をこのとき垣間見た。
「後藤さん」・・「後藤さん」と後ろから声をかけて並んで歩いた。
「どうぞ」と言って左手を取ると
「私が・・有り難うございます」と言って後藤さんが僕の右肩に手をかけて並んで歩いた。
後藤さんは全幅の信頼で僕の目を頼りに人ごみの歩道を歩いた。
オリンピックのスーパーの前なのでとりわけ混んでいた。
子供が前方から自転車を飛ばしてきた。このときは・・杖と音を頼りに歩くことの危険さを感じた。
「井上さんお元気でしたか」
「最近退院したばかりです」
「前と同じ・・心臓ですか?」
「いいえ関節ですよ・・激痛で救急者で運んでいただきました」
「そうですか、それは大変でしたね」
「血液検査やあらゆる検査をしましたよ・・でも原因がわからないのです」
「いろいろな検査をしないと病院も経営が成り立たないからね」
「骨密度の検査もしてもらいました・・最低70%なければいけないのを68%しかないのです」
「骨が弱ると恐ろしいですよ・・体重で圧迫骨折しますからね」
「歩いて体力の回復を!と励んでいます」
「片足で立つだけでも骨密度をよくしますからね」
「それは簡単ですね」
「無理はしないでくださいね」
話ながら歩くのですが後藤さんの足が軽く早いので、病み上がりの僕には、後藤さんについて歩くのが少し辛かった。
後藤さんは蒲田の整形外科医に勤めている。
「出勤は早いのですか」
「はい混むと困りますから」
「・・6時過ぎには家を出るのですが、蒲田で乗り換えるときは8時になり・・ずいぶん混んできます」
「勤め先が近くだといいのにね」
「近場だといいけれど・・なかなかありませんね」
車の来ないのをよく見て道を横断した。階段を上り、後藤さんの住いの団地の入り口の前で別れた。
「ありがとうございました」
後藤さんの爽やかな明るい姿を見送り、目が見えること耳が聞こえることを改めて幸せに思った。






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  1. 2014/07/12(土) 10:25:02|
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老子の言葉(再)

  老子の言葉

「知る者は言わず,言うものは知らず。」

「どの分野であれ、その核心部分について深く知っている人は、おのずと言葉を選び・慎重になる。知っていればいるほど、軽々に断じてしまうことを恐れる。得意げにまくし立てている人が知っていることは、たかだかである。知っている限りのことを吐き出しているだけのこと」

田舎に帰って92歳になる母と話しているとき、ふと、膝の上の中日新聞に目を落とすと「老子の言葉」が載っていた。番号が打ってあり毎日掲載されているようだった。

日常的には心得ていると思っていたが、母の話を聞きながら、ふと目にした新聞の「老子の言葉」がなぜか母の忠告のような気がして、話す・にしろ、書く・にしろ、座右の銘にしようと思った。

70歳になっても息子は息子。母はいつ会ったときも事細かにいろいろと忠告してくれる。有り難く思う。





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    (2005・5) でんどう三輪車      



  1. 2014/05/06(火) 17:04:23|
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蟻の綱渡り

 蟻の綱渡り(再)   いのうえ つとむ

「ねーねー、今度回覧板の係りになったのよ」
そう言って親友のmちゃんが見せてくれたのは『団地の回覧板』であった。
其の回覧板の表紙に写真が二枚貼ってあって、一枚はミシンに上糸が張られていてその糸の上を小さな虫が這っていた。
もう一枚はそれを拡大した写真で蟻のように見えた。
「危険な道をわざわざ歩かなくても」というようなコメントが書き添えてあった。
ふとこのコメントに僕は人間の生き方を連想した。
人はわざわざ危険な道を選んで生きているのかもしれないとも思った。
他にもおばーちゃんに頂いたメロンを可愛いイラストにしてコメントが書添えてあるのもあった。
ほんの少しの心使いが団地の14軒の人たちの気持を和らげているのだろうと思った。。
それぞれの回覧板に写真やイラストやコメントを書き添えて階段の人に回しているのだという。

団地という所は「隣の人は何をする人ぞ?」というような所だ。

こちらが挨拶をしても知らぬ顔をして通り過ぎていく人もいるように寒々とした人間関係になりがちだ。

そういう団地で生活をしている若いOLさんのちょっとした気心がこの階段の人たちの心をどれほど豊かにしている事かと思った。
『至急』と書くと3日で戻ってくるのよ」と彼女は微笑んだ。
普通は何処かの家で止まってしまい一週間は戻ってこないものだ。
ほんの小さな心使いが世の中を変える・・人生を変えるのかもしれないと思った。

(2008・11・5)






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  1. 2014/05/06(火) 11:41:44|
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黒いチューリップ (再)

 黒いチューリップ (再)   いのうえ つとむ

四月半ば,春といっても寒い日が続くこのごろ、今日も寒冷前線が空を覆っていて自転車のハンドルを握る手が冷たい。
メール便の配達コースで庭に花が咲き競う住宅地がある。今・流行のガーデニングというのだろう、三色すみれの鉢が並び枝垂れ桜も咲いている。四季を通じてそれぞれの花の競演で見飽きることは無い。
その住宅の通りに「いちご堂」という小さな看板がある。鍼灸院の看板で毎日のように配達する家である。
中年の婦人がチューリップを鋏で切っておられた。鍼灸院の先生である。「今日は、綺麗なチューリップですね」と挨拶すして、メール便の封筒を手渡そうとすると
「郵便屋さんですか、お花を持っているので、手が離せないのよ・・ポストに入れてね」
「郵便屋ではありません、メール便です、じゃあ、ポストに入れときますね」
「そうして下さい」
「大きなチューリップですねえー」
「でも、すぐ散ってしまうの」
「この黄色の花は芯のところが黒いのですね」
「そうなの?・・私は見えないのよ、だけれど紫の濃いのと違う?」
「そういえば紫かもしれませんね」
前にも挨拶をしたことが一度あったが話をして初めて目が不事由だと知った。
普通の眼鏡をかけておられて目が見えないことが外見では分からなかった。
「こちらの赤いチューリップのほうが濃い黒い色に見えますね」
手に取って教えてあげると
「どれですか、これ?」
「そうですよ、よく見ると紫の濃い色ですね」
花に触れながら思慮深い顔をされて
「オランダはチューリップの国でしょ、黒いチューリップで戦争したと言うからね」
「黒いチューリップ・・そんな謂われがあるのですか?」
「私は事故で見えなくなったの、最初は黄色い色や赤い色から見えなくなったのよ、色盲ってあるでしょう・・ああゆう感じからね・・見えなくなったの」
「それは大変ですね」
「私は見えないけれどね、お客さんが喜ぶと思ってね、ガーデニングの専門の方にお願いしているのよ。ところで貴方のお名前は?」
「井上と言います」
「どちらにお住まいなの。洋光台?」
「はい、洋光台の五街区に住んでいます。うちの妻がローアなのですが、途中で失明されて大変ですね」
「いいえ、そうでもないわ。・・貴方手話されるの?」
「僕はしません、口話です」
「唇を見て話すのね。私もね、点字しないのよ。小説もテープがあって聞けますからね」
「ああ!僕の同級生の仲の良い名古屋の友達が、かれこれ20年ほどボランテアで小説など本の朗読をテープに入れていますよ・・夜中の2時ごろまで起きているとか」
「そう!有難いわね。人のためになることは良いことだわね。そのお友達・・良い人生ね」
「なかなか出来ない事ですよね」
「お宅の近くに、・・・大嶋さんというローアの方がいるでしょう」
「妻の友達です」
「一度来られたのよ。災難にあったときに連絡できる会を作って市と話を進めているのだけれど中々はかどらなくてね」
「そうなんですか」
「でも最近は好くなったわね。ここのところ市のほうも好意的で好くなったわ。皆が変わってきたわ・・先日も二人の方が道案内をしてくれたの。以前はね、石をぶつけられたからね」
「最近はテレビでも手話をやるし、社会の目が変わってきましたね」
「私たちは杖があるから外見で分かるから良いけれど、ローアの人は見た目で分からないから大変ね、知り合いが張り倒されたことがあったからね」
「以前はオシだのツンボなのと言われていたからね・・妻の身内も自分の子供が嫁にもいけなくなるからと・・遠い宇都宮の聾学校に入れたのですよ」
「そう・・私ね一度懲りたことがあるの。手話通訳が良くなくて誤解されてね。障害者同士でも意思の通じないことがあってね・・理解されるのが大変でしたよ」
「手話も難しいからね」
「私パソコンをやっているのよ!文字が音声に変わるの!」
「そう!凄いね!僕もブログで詩やエッセーを書いているのです」
「何人の人が読んでくれているの」
「一日150人ぐらいかなあー」
「凄いはねー・・読みたいわ。今度機会があったら読ませてもらうわ」
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「私ね、目が見えなくなってからお声で人柄が分かるのよ。今のほうが前より人生が充実しているのよ。見えるときは見逃していたことが・・よく見えるのよ」
「僕のように目が見えると表面だけしか見ていませんからね」
「外見で判断するのではないのよ。心の奥が見えるのね。私って・・怖いわよ!・・フフフ」
「・・・・・」
しばらく間をおいてから笑顔で
「貴方いい人だわね」
僕は礼を言って、お暇した。
赤いチューリップも黄色いチューリップも芯の周りが濃い紫色の黒い色に見えることを、このとき・・しみじみと見ることができた。
いつもは通り一遍の見方で・・ただ「綺麗だだなー」と眺めて見ていた花である。

(2006・4・16)


この『黒いチューリップ』のエッセイを書いてから時のたつのは早いもので今年は2014年ということで8年にもなる。
仲の良い女性の友達から・・金銭のやり取りで・・この人が・まさか?と驚くことがあり「人が信じられなくなりました」と打ち明けてくれて・・この『黒いチューリップ』を思い出し、あらましを話した。そしてブログに再び乗せることにしました









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  1. 2014/02/06(木) 00:18:34|
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洋光台の人

新設されたファイテンに店長さんの難波さんのトークが楽しみで通っている。サンメイデオンの椅子に座りながら其の器械の説明の間に話されたことは「洋光台の人は人柄がよい」ということだ。一つは「通ってこられたお客さんでパーキンソン病の老婦人がおられた。この店まで来られるまでに何度も転んだのか顔は傷だらけで心が痛んだ。坂道を下るときが大変で前のめりに転ぶしか止まる方法はないという。それから数日後、まったくこのお客さんとは関係のない人が手を引いて階段を登ったり、また店まで送って来た人がいて、何人もの人の心の優しさに心を打たれた・・今は器械を購入されて自宅で電気をかけられるようになり安心している」という。二つ目の話は「あるお客さんが道を歩いていると前方でそのお客さんと同じ年ぐらいの老婦人が倒れた。すぐ行って助けてあげようかと躊躇していると子供を抱いた若いお母さんが抱いている子供を下して老婦人を助けて立たせていた」というのだ。今の世の中は自分さえよければという利己的な人が多いのだが洋光台で店を開いて・・つくづくと洋光台の人の心の温かさに心を打たれたそうだ。でもこの街もそのような心の優しい人ばかりではないと思う・・しかし老人が目立つ街になった。若い店長さんに「洋光台に越してきなさいよ」というと「越してこようかしら」と笑っておられた。





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  1. 2013/04/26(金) 00:07:18|
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救急車

  救急車   いのうえ つとむ

「お名前は・・聞こえますか」
「どうしました」
救急隊員の声にやっと吾に返り気がつくと自分が倒れており、洋服にも顔にも床にも自分が嘔吐した食べたばかりの寿司が一面に散らばっていた。
「お名前は」
「お年はいくつですか」
おぼろげに聞こえてくる質問にやっと蚊の鳴くような弱い小さな声で答えて、周りを見ると救急隊員と駅員が立って自分を覗き込んでいた。
「お家の人に連絡したいのですが」と聞かれて
「妻は聾唖であり電話に出られないので近くに娘が住んでいますから娘に連絡して下さい。」
「鞄の中に携帯があります。」
「それから今日夕刊の配達があり配達が出来ませんので新聞販売店にも連絡して下さい。」
やっとそれだけ言えるようになり亦・・気分が悪くなって嘔吐してしまった。
「せいの」と掛け声と共に台車に乗せてもらった。
しばらくして階段を降りたのかエレベーターで降りたのか分らないまま救急車の中にいた。
かばんの中に病院の診察券があること、病院でMRIの検査をしてきた事、駅の構内にある立ち食い寿司店で寿司を食べた事を話た。友人の伊藤さんが救急車に同乗してくれた。
横浜栄共済病院に着くと救急隊員は医師に「大船の駅で倒れており、お客くさんから連絡があり、救急車が付くまで約5分掛かったのでそのくらい失神していたと思う」と今までの詳しい状況を話しくれた。話し終わると救急隊員は引き上げて行った。
本等に親切に処置をしてくれて「有り難うございました」と何べんもお礼を言った。

「どうされましたか」と若い女医さんに問診された。最初は女医さんか看護士さんなのか判断がつかなかった。
「ここは痛くありませんか」と腹や胸を掌で抑えて触診された。肛門にも指を入れて触診された。低血糖で意識不明になったと思ったが血糖値は160で低血糖で倒れたのではないという。
そして寝たまま胸と腹のレントゲン写真を撮った。
レントゲンを撮るとき食べたものがこみ上げてきて嘔吐した。
点滴をして血液の検査をして丁寧に診察をしてくれた。失神や嘔吐の原因は食中毒ではなく、心筋梗塞や脳梗塞でもないようだ。大腸のレントゲン写真を見て便秘の影響とあわせて最後の嘔吐の中に黒い血のようなものが混じっており、それが胃の中の小さな傷が原因かもしれない。だから胃の内視鏡の検査を後日するようにと言われた。
娘が車で病院に駆けつけてくれた。やがて妻も夕刊の配達を終えて来てくれた。
病院の近くに住まわれている伊藤さんは心配して何度も来てくれた。
今まで着ていた洋服が嘔吐の汚物が付いていて着る事が出来ないので妻が町に買いに行ってくれた。
気分が良くなり次第点滴の途中でも帰宅してよいと女医さんに言われて安心した。
一時半ごろから夕方の五時半過ぎまでベットに横たわっていたがいろいろなことが思い浮かんだ。
友達の美香さんが「東北の震災のボランテアに行ってきたよ」と報告された時には自分もボランテアに参加したいと軽々しく言ったが、このご老体で不健康ではかえって皆さんに迷惑を掛けるとつくづく思った。若く健康でありたいと思った。

それにしても午前中に検査したMRIで右脳の動脈血管がまったく写っていなくても何の不自由もないのが不思議だと思う。




12月5日MRIで脳の動脈血管撮影・・右脳の動脈血管はまったく写っておらず・・「3年か何年か分らないが少しずつ時間を掛けてこの状態になり生活に異常がないとしか考えられない・・急にこの様になったのなら大変です・・万一左の手や足に痺れが出た時はすぐ来てください」との脳外科の先生のお話でした。

12月15日胃の内視鏡検査・・ポリープ無し・・少し炎症あり・・後日悪性かどうか分る。









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  1. 2011/12/16(金) 00:36:44|
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再開

 再開  いのうえ つとむ

冷房の効いた店の中で懐かしい人に出会った。
今はその地域ではメール便を配達していないが以前配達していて・・花壇のお花を切り取って分けてくれた奥さんである。
配達と言う仕事は単純な仕事だけれど行き交う人と挨拶をし、可愛い子供づれには「可愛い子ですね」と褒めてあげ、お花の手入れをされていると「綺麗ですね」と声を掛けてきた。そのうちの一人である。
「お元気ですか」
「ああ・・あの時の・・最近配達にこられないので病気でもされたのかと心配していたのよ」
「今はお宅の区域は他の人が配達をしてくれるので僕はご無沙汰をしています。団地の楽なところを配達しています」
「そうですか・・お元気でよかった・・お会いできて嬉しい」
そして長い立ち話になった。
「実は2年ほど前に胃癌になってね、それが早期発見で内視鏡手術で痛くなかったんですよ」
「そうでしたの、そういえば・・お見かけしくなって2年ほどになりますねー」
「もう2年にもなるのですかねー」
「実はね、近所の人には話してはいないのですが私も癌の手術をしたの、悲しくて悲しくて泣き暮らしたわ」
「そうでしたか、近所の人に話しても話の種にされるばかりですから、話さなくて良かったですね」
「同じ癌で入院して知り合ったお友達と時々話し合って居るの」
「気心が判る人が良いですね」
「あ・・電話番号を教えてくれない・・暇があったら遊びに来てね」
「つい最近だけれどMRIで頭の検査をして左半部の動脈血管が写っていなくてね」
「エ!そうなの」
「先生の話だと2年だか3年だかいつか分らないけれど、少しずつなったのだそうです。」
「・・そうなの」
「人間の体は他の部分がそれを補うことがあるのだそうです、それでこのように普通に暮らしています」
僕はありあわせの小さな紙切れに電話番号と住所と名前を書いてお渡しした。
そして近いうちに遊びに行く事を約束した。
・・一見幸せそうに見えても人は悲しみを背負って生きているのだ。
癌と聞いて、悲しくて泣き暮らしたと奥さんは話された。癌と言えば死を連想してしまうほど恐れられている病だ。
生老病死・・その悩みと悲しみにどう立ち向かうか・・僕の人生はこれからだ。




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  1. 2011/07/08(金) 21:01:15|
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 瞳  いのうえ つとむ

団地の集合ポストに夕刊を配達していると突然3~4歳か?と思われる子供が階段を降りてきた。
僕を見上げて「おじいちゃん」と透き通る声で男の子は突然声を掛けてきた。
「今日は」と挨拶すると「おじいちゃん」と二度声を張り上げた。
「今日は・・でしょ」と若い母親は挨拶してから子供をたしなめるように言った。
最初「おじいちゃん」と言われた時は何故かこの子の顔が少しきつく感じられた。
この子の顔にも瞳にも小さな子が甘えるような人懐こしさを感じなかった。
ただ透き通る綺麗な瞳だなと感じた。
二度目に「おじいちゃん」と言われて、「あ!・・この子はダウン症?」とふと思った。
ダウン症といっても良く見ないと分らないほどであった。
次の階段の集合ポストに夕刊を入れに歩き出すと「おい待てー」とその子は走って来て僕を追い越しやがて母親の所に走って行った。
団地の殆んどの母子は顔見知りなのにこの母子は一度も見かけたことの無い初対面の親子であった。
「この若いお母さんも苦労をしているのだろうなー」と思いながら親子を見送った。
それにしても「おじいちやん」と知らない子供に言われて「おじいちゃんに見えるのかなー」と寂しく思った。
帽子を被り風邪気味でマスクをかけていて眼だけが見えるのに年寄りに見えたことが気に掛かった。
自分が子供の時はやはり60代の人は「おじいちゃん」に見えたことを思い返した。
75歳になって「おじいちゃん」と子供に声を掛けられて当然だなと思いなおした。
そして見上げる子供の澄みきった瞳がしばらく僕の瞼を占領した。
(20010・11・13)




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  1. 2010/11/14(日) 00:19:24|
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牛の涙 (再)

(でんちゃんの心の引き出し)

 牛の涙   いのうえ つとむ

戦争が終わって何年経っただろうか。のどかな三河地方とはいえ終戦後の生活は誰もが厳しかった。物不足だった。とりわけ食料難で誰もが食べ物に餓えていた。名古屋から食料を買出しに毎日のように来た。
豊橋の空襲と豊川の空襲で自分の家の周りにも爆撃の傷後がそのままに残っていた。先に豊橋が爆撃を受けた。豊橋市は焼夷弾で全焼して焼け野原になったが死傷者は少なかったと聞ていた。豊川市には海軍工廠がありこの工場を狙らわれ爆弾が落とされて多くの人が命を落とした。豊川の爆撃の時に僕の家の田んぼにも爆弾が落ちた。幸い家屋敷には被害はなかったがその爆撃で擂鉢状に大きな穴が掘られた。その田んぼでの出来事である。
昼ごはんを食べていた。中学校の同級生にはラジオドラマの「鐘の鳴る丘」と同じような「海の家」という孤児院があって戦災孤児も同級生に何人かいた。でも彼らより貧しい人がいた。
隣の席の小林君の弁当の中身がいつものように米粒がほとんど入っていなかった。南瓜と人参と薩摩芋の弁当である。僕は農家なので麦飯だけれどお米のご飯だった。彼は父が戦死してお母さんと妹さんと三人で親戚を頼りに疎開してきた人だった。あまり気の毒なので「半分ずつにしまいか」と話しかけた。小林君は「僕はこれでいいよ」と遠慮していた。弁当を机に置かず膝の上で隠すように食べていた。その時に「井上君、田んぼの方へ帰るように、家からお電話ですよ・・牛が倒れたんだって!」と女の先生の声がした。

早引きして急いで蓮華の花を踏みながら田んぼに帰って行くと、田んぼの真ん中に牛が倒れていて、父や叔父さんや近所の人が集まっていた。僕が世話をして育てた牛なので知らせてくれた。「これが最後かもしれないから会わせたかったのだ。お前に会わせずに連れて行ってはなー」と父が言ってくれた。
農業といえば牛の働きに頼っていた。牛の糞は堆肥にして貴重な肥料となり、牛がいなければ農業は成り立たなかった。
牛はほとんどが和牛で田畑の耕作に、運搬にと欠かせない大事な家畜であった。たまに乳牛のホルスタインを飼育している農家もあったが何軒も無かった。
戦時中に朝鮮牛といって赤毛のおとなしい牛が日本に入ってきて、この赤牛を和牛と同じように農耕に使い飼育する人もいたが珍しかった。
どの牛にしろ牛の働きが頼りであった。
まだ耕運機も無かった。自動車は消防車と病院にあったぐらいで見かける事はまず無かった。運送業では牛車がオート三輪車に変わりつつあった。だが農家では誰も高価なのでまだオート三輪車を持つ人は無かった。お医者さんも自転車かスクーターで往診する先生が多かった。そういう時代なので牛は大切な家畜であった。
その大切な牛が倒れたのだ。
「今まで牛が倒れたことは一度も聞いたことが無かったなあー」
「朝から元気がなかったからのう」
「仕事がきつかったかのん」
「鋤で土を耕すのが重荷だったかのう」
「すぐに疲れたのか、ハッハアー息をしていたのでのう」
「どうしたら良いかのん」
「チョットやソットでは動かんでのん」
そんな話をしている時に獣医さんが来て、診察をしてから
「もう治りそうも無いよ」と小声で言った。
「足は折れているかのん」と父が聞いた。
「折れてはいないと思うが、内臓から来ていると思うが」
獣医さんは足は折れていないと診断していた。
「熱も高いようだし、諦めたほうが良いかのん」
父は諦め切れないようだった
「肉にしても・・これじゃあ・・安くなるでのう」
「しかたがないかのう」
祖父も叔父さんも近所の人も同じようなことを口々にしていた。
「それでも、もう一度立たしてみまいか」
「立ってくれれば良いけれど、やってみようか・・」
「それ!」
「よいしょう!」
「ボウ・・ボウウ・・シッ・・シッ」
「ボウ・・ボウウ・・シッ・・シッ」
どんなに手綱を引いても一向に立ち上がろうとはしなかった。
「やっぱり駄目かのう」
「ソリを作って他の牛で道まで引いて出してみるかん」
「そうするしか無いで」
「ほう・・あんたんとこの赤牛を借してくれまいか」
「ああ・・良いよ・使っておくれんよ」
急ごしらえに板と丸太でソリを作った。ソリといっても簡単なものであった。牛をソリに乗せるのがまた一苦労であった。
僕は牛の頬や首をさすってやった。牛の目は熱に浮かされているようで、苦しそうな息使いだった。
綱を牛にかけてその綱を担い棒にくくりつけて4人の大人が担いで牛をソリに乗せた。
おとなしい赤毛の朝鮮牛を連れて来てソリを引かせた。代掻きの前なので田んぼには水を張っていなかった。水が少ないので滑べりが悪く農道まで出すのに手間がかかった。黒牛はソリに横むきのまま乗せられ、よだれをたらして苦しそうに喘いでいた。赤牛は振り返り、振り返り、何度も倒れた牛を見ながら急ごしらえのソリを引いていた。

やっとの思いで農道に出した。しばらくしてオート三輪車が到着した。
屠殺場の人が来ると、どの牛も敏感に察知して、畜生の感が働くのか、その時はほとんどの牛が少し暴れて抵抗したものだ。
この赤牛もやはり屠殺場の人を察知したのか、目に涙を流していた。
振り返り、振り返り、田んぼの中でソリを引いていた時も泣いていたであろう。
牛も人間と同じように悲しい時は涙を流すものだと思った。
やがて牛を乗せた三輪トラックは、タンポポや蓮華の花が咲く夕暮れの農道を去って行った。
萌える若緑の木立の中に三輪トラックが見えなくなるまで、みんなで見送った。母や居合わせた女の人達は涙を拭いていた。
僕はこの時の光景を忘れることは出来ない。

夜になって牛小屋の前にたたずみ、いなくなった牛のことを思い返していた。この牛は僕が世話をしてきた。朝早く刈ってきた草と稲藁の飼葉に少々の小麦や雑穀と糠を程よく混ぜて食べさせた。今日はまだ少し食べ残しがあった。新しい敷き藁と牛乳そのままの牛の匂いが漂っていた。

どの農家も子牛を買ってきて成牛に育て上げ農耕に使った。頃合を見て売り払い現金収入にして来た。だが今までの牛と違って、この牛は太ってはいたが何処と無く丈夫では無いように常々感じていた。おとなしい雌牛で僕になついていた。

牛は人をよく見る。人を見て言う事を聞くのである。こちらの目を見て服従するか、しないかの判断をするのだ。
牛は自分より強いと思えば服従し、弱いと思うと従はない。それどころか、頭を下げて角をサクり上げて攻撃して来る。人を間違えてそれをやると「なめたまねをシャーがって」と鞭や棒で打たれるのだ。牛が角を向けそうになると僕は逃げてしまう。僕は気の強い牛は苦手だった。近寄ると角を出してくるので、気の強い牛を僕は避けていた。
その僕の弱気を見透かして家で飼育していたほとんどの牛は僕を甘くなめ切っていた。だから今までなるべく牛には近寄らなかった。兄は農家の後継ぎの自覚があるのか平気で牛を使いこなした。兄はたいしたものだと感心していた。しかしこの牛だけはおとなしく僕によくなついた。だから僕が世話をしたのだ。可愛がって育てた。
いろいろ思いめぐらして何時間も時間を忘れ牛小屋の前で過ごした。
「牛は処分されて牛肉となっただろうか。牛の命は何処に行ったのだろうか」・・と思いながら夜空を見上げていると、スーと流れ星が一つ東の空から西の空に消えていった。
牛の命と関係は無いだろうが、何故か気になって仕方が無かった。

 (2006・2・15)

(以前書いたエッセイですが戦後の時代と三河弁で読み辛いかもしれません)




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  1. 2010/02/26(金) 22:47:00|
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心で見る心で聞く(再)

/////思い出のエッセー////////////////////////////////////////////

 黒いチューリップ  いのうえ つとむ

四月半ば,春といっても寒い日が続くこのごろ、今日も寒冷前線が空を覆っていて自転車のハンドルを握る手が冷たい。
メール便の配達コースで庭に花が咲き競う住宅地がある。今流行のガーデニングというのだろう、三色すみれの鉢が並び枝垂れ桜も咲いている。四季を通じてそれぞれの花の競演で見飽きることは無い。
その住宅の通りに「いちご堂」という小さな看板がある。鍼灸院の看板で毎日のように配達する家である。
中年の婦人がチューリップを鋏で切っておられた。鍼灸院の先生である。
「今日は、綺麗なチューリップですね」と挨拶して、メール便の封筒を手渡すと
「郵便やさんですか、お花をを持っているのでポストに入れて」
「メール便です、じゃあ、ポストに入れときますね」
「そうして下さい」
「大きなチューリップですね」
「でも、すぐ散ってしまうの」
「この黄色の花は芯のところが黒いのですね」
「そうなの?・・私は見えないのよ、だけれど紫の濃いのと違う?」
「そういえば紫かもしれませんね」
前にも挨拶をしたことが一度あったが初めて目が不事由だと知った。
普通の眼鏡をかけておられて外見では分からなかった。
「こちらの赤いチューリップのほうが濃い黒い色に見えますね」
「どれですか、これ?」
「よく見ると紫の濃い色ですね」
「オランダはチューリップの国でしょ、黒いチューリップで戦争したと言うからね」
「黒いチューリップ・・そんな謂われがあるのですか?」
「私は事故で見えなくなったの、最初は黄色い色や赤い色から見えなくなったのよ、色盲ってあるでしょう、ああゆう感じからね」
「大変ですね」
「私は見えないけれどね、お客さんが喜ぶと思ってね、ガーデニングの専門の方にお願いしているのよ。ところで貴方のお名前は?」
「井上と言います」
「どちらにお住まいなの。洋光台?」
「はい、五街区に住んでいます。うちの妻がローアなのですが、途中で失明されると大変ですね」
「いいえ、そうでもないわ。貴方手話されるの?」
「僕はしません、口話です」
「口を見て話すのね。私もね、点字しないのよ。小説もテープがあって聞けますからね」
「ああ!僕の同級生の仲の良い友達が、かれこれ20年ほどボランテアで小説など本の朗読をテープに入れていますよ・・夜中の2時ごろまで起きているとか」
「そう!有難いわね。人のためになることは良いことだわね。良い人生ね」
「なかなか出来ない事ですよね」
「お宅の近くに、・・・大嶋さんというローアの方がいるでしょう」
「妻の友達です」
「一度来られたのよ。災難にあったときに連絡できる会を作って市と話を進めているのだけれど中々はかどらなくてね」
「そうなんですか」
「でも最近は良くなったわね。ここのところ市のほうも良くなったわ。皆が変わってきたわ・・先日も二人の方が道案内をしてくれたの。以前は石をぶつけられたからね」
「今ははテレビでも手話をやるし社会の目が変わってきましたね」
「私たちは杖があるから外見で分かるから良いけれど、ローアの人は見た目では分からないから大変ね、以前の事だけれど張り倒されたことがあったと言うからね」
「以前はオシだのツンボなのと言われていたからね」
「私ね一度懲りたことがあるの。手話通訳が良くなくて誤解されてね。障害者同士でも意思の通じないことがあってね」
「手話も難しいからね」
「私パソコンをやっているのよ!文字が音声に変わるの!」
「そう!凄いね!僕もブログで詩やエッセーを書いているのです」
「何人の人が読んでくれているの」
「一日150人ぐらいかなあー」
「凄いはねー度読みたいわ。今度機会があったら読ませてもらうわ」
「ぜひ読んでくださいね」
「私ね、目が見えなくなってからお声で人柄が分かるのよ。今のほうが前より人生が充実しているのよ。見えるときは見逃していたことが見えるのよ」
「目が見えると表面だけしか見ていませんからね」
「外見で判断するのではないのよ。心の奥が見えるのね。怖いわよ!フフフ」
「・・・・・」
「貴方いい人だわね」
赤いチューリップも黄色いチューリップも芯の周りが濃い紫色の黒い色であることを、このとき・・しみじみと見ることができた。
いつもは通り一遍の見方でただ「綺麗だだなー」と見ていた花である。

(2006・4・16)

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 心で見る・心で聞く  いのうえ つとむ

今年は暖冬、暖かい日が続いて桜の開花も早いようだ。
気象庁も予報を間違えるほど暖かな日がしばらく続き、冬眠していた虫たちも早々と土から出て来たようだ。
しかしこの数日はまた寒さが寄りを戻して小寒い日が続いている。
桜の蕾も開花を目前にして足踏みしている。「寒いナー」といって首をすくめているようだ。
配達先の庭の「黒いチューリップ」も蕾を膨らせて開花の日をじっと待っている。

毎日、毎日慌ただしく生活していると、桜の蕾を見ても素通りしてしまう。
樹や花や虫たちの足音を心を澄まして「心で見て、心で聞く」ゆとりが今こそ欲しいと思う。・・春の暖かい風を頬に感じながら。

(2007・3・16)



最近この鍼灸院の先生が盲導犬に導かれて歩いておられるのをしばしば見かける・・盲導犬の落ち着いた品のある姿を見ると何故か心が和む。

( 2009・5・11)

(ぶくちゃん探すのが大変なので再びアップしました)




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  1. 2009/05/11(月) 23:48:00|
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蟻の綱渡り

 蟻の綱渡り  いのうえ つとむ

「ねーねー、今度回覧板の係りになったのよ」
そう言って親友のmちゃんが見せてくれたのは『団地の回覧板』であった。
其の回覧板の表紙に写真が二枚貼ってあって、一枚はミシンに上糸が張られていてその糸の上を小さな虫が這っていた。
もう一枚はそれを拡大した写真で蟻のように見えた。
「危険な道をわざわざ歩かなくても」というようなコメントが書き添えてあった。
ふとこのコメントに僕は人間の生き方を連想した。
人はわざわざ危険な道を選んで生きているのかもしれないとも思った。
他にもおばーちゃんに頂いたメロンを可愛いイラストにしてコメントが書添えてあるのもあった。
ほんの少しの心使いが14軒の人たちの気持を和らげているのだろうと思った。。
それぞれの回覧板に写真やイラストやコメントを書き添えて階段の人に回しているのだという。

団地という所は「隣の人は何をする人ぞ?」というような所だ。

こちらが挨拶をしても知らぬ顔をして通り過ぎていく人もいるように寒々とした人間関係になりがちだ。
そういう団地で生活をしている若いOLさんのちょっとした気心がこの階段の人たちの心をどれほど豊かにしている事かと思った。
『至急』と書くと3日で戻ってくるのよ」と彼女は微笑んだ。
普通は何処かの家で止まってしまい一週間は戻ってこないものだ。
ほんの小さな心使いが世の中を変える・・人生を変えるのかもしれないと思った。

(2008・11・5)



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  1. 2008/11/05(水) 18:13:56|
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江ノ島にて・そして母

  江ノ島にて  いのうえ つとむ
  
江ノ島の橋は初詣の人の行列が延々と続いていた。
空は晴れ渡っていたが風が強く少し寒かった。
橋の上は焼きとうもろこしや烏賊やおでんの屋台が並んでいて鳶が何十羽も頭の上を輪を描いて飛んでいた。
平成20年元旦の事である。
島の反対側は崖の下が波打つ海なので良いかと思ったが「江ノ島の高い石段を上るのが辛いから」と足を痛めている妻の事を考え又初詣で込み合う石段を登って行くのを避けて諦めた。
そこで橋を渡って右側に出てみたが風が向かい風で『母の散骨』には不向きだと思った。
そして今度は左側に行ってみた。
混雑するみやげ物の店の裏の民宿が並ぶ静かな細い道があった。
其処を足が疲れるほど歩いて行くとヨットハーバーがあり陸に沢山のヨットが揚げられて並んでいた。
又しばらく歩きヨットハーバーの横の広い駐車場に出た。
其の駐車場を横切り堤防に登ったのだが柵の下に大きなテトラポットが折り重なっていて波打ち際には程遠かった。
先を行けば海に出るかと歩き続けたが「危険」という看板があり行き止りになっていた。
仕方なく元の右側の波うち際に行くことにした。
歩いている途中に妻が「あそこはどうか」と小さな公園のような休憩所を指差すので行って見ると其の先に散骨にころあいの場所が見つかった。

母が亡くなったとき分骨してもらい富士山の裾の富士桜公園墓地に父と娘の陽子が眠る一緒の墓に納めた。
だが葬儀屋の友人に分けていただいた小さな骨壷に一握りほどどうしても入らなかったので箱に残したまま入れてあった。
母と一緒にいてもいいかと思って身近に置いていたが元旦の夜明け前に初夢を見た。
夢そのものは・・はっきり記憶にないほどのたわいのない夢であったが、生前母と話しているときに「海に散骨するのも自然に帰っていいよなー」と言っていた母の言葉を思い出し自然に返してあげようと思った。
・・・・さて海となると船で外海に出るか、何処がいいかと考えた末・・「江ノ島が近くていいから」と急遽・妻と江ノ島に出かけたのである。

江ノ島の冬の海は夏とは違い夕日に染まり綺麗な波打ち際で底の石が見えるほど透き通っていた。
最初妻がビニール袋から取り出して散骨した。
粉雪がさらさらと舞うようにも思えた。
そして「お母さん左様なら」とつぶやいて自分が交代して残りを海に返した。
寄せ来る波に沈んで消えていくのを
      ・・散る桜の花のように見送った。(2008・1・1)




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  1. 2008/01/02(水) 03:24:48|
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27日のアゴラ

小田原から大雄山線に乗ってバスに乗り継ぎ・・ブラリ杉の古木の山を散歩した。大きな寺があり杉の木の根元に三つ葉が生えていたので三つ葉を摘んだ。其の足で疲れを癒しに久しぶりの温泉「姫の湯」でくつろいだ。帰りの電車では隣に座っている娘さんが気持よさそうに眠っているので僕もつい誘われてうとうと眠ってしまい大船を通り過ぎてしまった。
家に返ったのは9時半を過ぎていただろうか。・・三つ葉のお土産を持って美香ちゃんの家に妻と手話の勉強。・・金曜日の復習をしたが忘れているほうが多かったかな。

アゴラのみんつさんを見るために、急いで家に帰って来たけれど時間に少し間に合わなかったので・・録画を拝見!・・アゴラが始まる前にいきなり冒頭からスイスの健康美人が紹介されて・・あ!・みんつさんだ!と初めてお顔拝見。

アゴラの番組の内容が紹介されて・・いよいよ本格的に始まり・・今夜のお客様・西田ひかるも歳取ったなーと思いながら見ていると・・ウクライナ・・イスラエルと続きウエイブカメラの生放送がスイスの堀川恵さんを紹介されました・・純日本風の美人で・・その隣にスキンシップの美男子が笑顔で黙って立っておられました・・胸に「笑門来福」と印刷されているのがよく目立ちましたね。
のどかなスイスのサルン村の風景・・牧畜の牛が映し出されて・・西田ひかるが「ミルクが美味しいのですねー・・よく食べますか?」と質問・・「よく食べますよ」とみんつさんが答えて居られました・・「氷の聖人」の話があり・・ボストンの人の映像に移りました。

それからアフリカの51人の黒人の赤ちゃんが映し出されて・・タマキさん?と言うクリスチャンの乳児院での活躍が映し出されました・・セネガルの乳児院に派遣されて25年になり3000人の赤ちゃんの世話をしてきたそうです。

次に今夜の話題「ことわざ」になりパネル座談会になりました。

*食べられないならかじるだけでも(ウクライナ)
・・美味しいものは他の人に食べられてしまうからかじっとけ・・見ていて日本では「唾をつける」に近いかな?と思いましたが「チヤンスを逃すな」と言う意味だそうです。

*小指を差し出すと腕まで持っていかれる
・・さあーこの国は何処ですかねー・・とクイズ形式で何処の国か当てるのですが・・「スイスだ!」とピンと来ましたよ・・いつも・・みんつさんからスイス人の気質を聞いていましたからね。

ご主人に「スイスの言葉で話してください」と注文がありぺらぺらとご主人が話されましたね。
・・むやみに他人にお世話をするとみんな取られてしまう・・と言う意味だそうです。

「堀川さん・そいう経験がありますか」と言う質問に「友達に大事なご主人を取られそうになりました」と話されていましたね。

*恥ずかしがり屋は何も学ばない(イスラエル)
*猫に生クリームを見張らせるな(イスラエル)
*豚に真珠(イスラエル)
・・イスラエルは「ことわざ」が多いのだそうです。

其のうちに睡魔に襲われて夢の中でみんつさんのサルン村に逢いに行きました。

・・それで楽しい一日が終わりました。(2007・5・27)




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  1. 2007/05/28(月) 06:10:53|
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愛ちゃんを読んだ

飯島愛の自伝を一気に読んだ。
中々筆が立つ・・いやらしさは何処にも感じない。
必死に生きてきた・・一人の女。
人生裏街道・・それは半端ではないが・・頭の良い女子だ。
思春期の娘さんを持つ親御さんは「一読あれ!」と進めたい。
遊びたい女の子・・結婚したい女の子にも「一読あれ!」と進めたい。

「愛ちゃん」と愛称され・・テレビに顔を出して・・売れ出した頃・・鮎釣を教えてくれた青年が「飯島愛のビデオを持っている」と誇らしげに言っていたのが思い出される・・アダルトビデオだと知った・・売れっ子のAV女優だとこのとき知った・・見せてはくれなかった。

どうして飯島愛の書いた本を手にしたかというと・・年代差があって若い娘さんの気持と大きくずれがあったからだ・・女の性・・女性の気持をあまりにも僕は知らないと思ったから。

ある大学教授の夫人に「どう思われますか」と聞かれて・・自分と同じ昭和10年生まれの夫人と意見が一致したが、30代の女性の友達とは考えが違っていて、「我々は古いのだなー」と痛感したからだ。

其の話とはこの大学教授の夫人の友達の娘さんのことだ・・生まれたときから可愛がってきた28歳になる其の娘さんがアメリカ留学を終えて夫人の会社で働いている・・あるとき焼肉屋で夫人と娘さんに男から声を掛けられた・・夫人は自分の営業がてら話に乗ったのだろう・・夫人は用事があるので先に別れたが・・其の足で娘さんは68歳になる男性と車で伊豆の下田の先の松崎の温泉に片道4時間かけて一泊してきたと言うのだ・・それを男が漏らして耳にしたので娘さんに問いただした所「何も無かった」と言うのだが・・自分の娘のように可愛がって見てきたのでショックで今後どうしたら良いのかと聞いてきた。

男には下心が見え見えだ・・「男には気をつけるように注意したら」というのが僕の意見だ・・でも若い僕の女友達は意見が違った。

「28歳になれば大人の女だよ・・相手の歳は関係ないと思う」・・「本人が遊びを期待して付いて行ったにしろ・・何も起こらないと男を信用して付いて行ったにしろ・・他人がとやかく言う事は無いと思うよ」と言われたので・・一瞬「あれ!」と思った。

「でも夫人は子供の時から世話をしてきた・・親御さんと同じ気持だと思う」と言ったら「其の気持は良くわかるわよ・・28歳は大人だよ・・親がとやかく言うのどうかな」と彼女の意見を聞いて「子離れしていない大人たちの・・心配だな」と歳の差を痛感したのだ。

二人で歩いての帰り道は・・やはり其の話になった・・「今はね貞操と言う事より(貞操云々は)それが追いつかないので避妊を教えている時代だよ」と彼女に諭された・・「ああー・・時代遅れだなー」若い人の性に関する思いを僕は知らなすぎる・・知りたくて数冊の「此れは?」と思う本と「飯島愛」の本を手にした次第である。


(2007・5・25)


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  1. 2007/05/25(金) 07:30:39|
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心で見る・心で聞く

/////思い出のエッセー////////////////////////////////////////////

 黒いチューリップ  いのうえ つとむ

四月半ば,春といっても寒い日が続くこのごろ、今日も寒冷前線が空を覆っていて自転車のハンドルを握る手が冷たい。
メール便の配達コースで庭に花が咲き競う住宅地がある。今流行のガーデニングというのだろう、三色すみれの鉢が並び枝垂れ桜も咲いている。四季を通じてそれぞれの花の競演で見飽きることは無い。
その住宅の通りに「いちご堂」という小さな看板がある。鍼灸院の看板で毎日のように配達する家である。
中年の婦人がチューリップを鋏で切っておられた。鍼灸院の先生である。「今日は、綺麗ななチューリップですね」と挨拶すして、メール便の封筒を手渡すと
「郵便やさんですか、お花をを持っているのでポストに入れて」
「メール便です、じゃあ、ポストに入れときますね」
「そうして下さい」
「大きなチューリップですね」
「でも、すぐ散ってしまうの」
「この黄色の花は芯のところが黒いのですね」
「そうなの?・・私は見えないのよ、だけれど紫の濃いのと違う?」
「そういえば紫かもしれませんね」
前にも挨拶をしたことが一度あったが初めて目が不事由だと知った。
普通の眼鏡をかけておられて外見では分からなかった。
「こちらの赤いチューリップのほうが濃い黒い色に見えますね」
「どれですか、これ?」
「よく見ると紫の濃い色ですね」
「オランダはチューリップの国でしょ、黒いチューリップで戦争したと言うからね」
「黒いチューリップ・・そんな謂われがあるのですか?」
「私は事故で見えなくなったの、最初は黄色い色や赤い色から見えなくなったのよ、色盲ってあるでしょう、ああゆう感じからね」
「大変ですね」
「私は見えないけれどね、お客さんが喜ぶと思ってね、ガーデニングの専門の方にお願いしているのよ。ところで貴方のお名前は?」
「井上と言います」
「どちらにお住まいなの。洋光台?」
「はい、五街区に住んでいます。うちの妻がローアなのですが、途中で失明されると大変ですね」
「いいえ、そうでもないわ。貴方手話されるの?」
「僕はしません、口話です」
「口を見て話すのね。私もね、点字しないのよ。小説もテープがあって聞けますからね」
「ああ!僕の同級生の仲の良い友達が、かれこれ20年ほどボランテアで小説など本の朗読をテープに入れていますよ・・夜中の2時ごろまで起きているとか」
「そう!有難いわね。人のためになることは良いことだわね。良い人生ね」
「なかなか出来ない事ですよね」
「お宅の近くに、・・・大嶋さんというローアの方がいるでしょう」
「妻の友達です」
「一度来られたのよ。災難にあったときに連絡できる会を作って市と話を進めているのだけれど中々はかどらなくてね」
「そうなんですか」
「でも最近は好くなったわね。ここのところ市のほうも好くなったわ。皆が変わってきたわ・・先日も二人の方が道案内をしてくれたの。以前は石をぶつけられたからね」
「今ははテレビでも手話をやるし社会の目が変わってきましたね」
「私たちは杖があるから外見で分かるから良いけれど、ローアの人は見た目で分からないから大変ね、張り倒されたことがあったと言うからね」
「以前はオシだのツンボなのと言われていたからね」
「私ね一度懲りたことがあるの。手話通訳が良くなくて誤解されてね。障害者同士でも意思の通じないことがあってね」
「手話も難しいからね」
「私パソコンをやっているのよ!文字が音声に変わるの!」
「そう!凄いね!僕もブログで詩やエッセーを書いているのです」
「何人の人が読んでくれているの」
「一日150人ぐらいかなあー」
「凄いはねー読みたいわ。今度機会があったら読ませてもらうわ」
「ぜひ読んでくださいね」
「私ね、目が見えなくなってからお声で人柄が分かるのよ。今のほうが前より人生が充実しているのよ。見えるときは見逃していたことが見えるのよ」
「目が見えると表面だけしか見ていませんからね」
「外見で判断するのではないのよ。心の奥が見えるのね。怖いわよ!フフフ」
「・・・・・」
「貴方いい人だわね」
赤いチューリップも黄色いチューリップも芯の周りが濃い紫色の黒い色であることを、このとき・・しみじみと見ることができた。
いつもは通り一遍の見方でただ「綺麗だだなー」と見ていた花である。

(2006・4・16)

/////////////////////////////////////////////////////////////////

 心で見る・心で聞く  いのうえ つとむ

今年は暖冬、暖かい日が続いて桜の開花も早いようだ。
気象庁も予報を間違えるほど暖かな日がしばらく続き、冬眠していた虫たちも早々と土から出て来たようだ。
しかしこの数日はまた寒さが寄りを戻して小寒い日が続いている。
桜の蕾も開花を目前にして足踏みしている。「寒いナー」といって首をすくめているようだ。
配達先の庭の「黒いチューリップ」も蕾を膨らせて開花の日をじっと待っている。

毎日、毎日慌ただしく生活していると、桜の蕾を見ても素通りしてしまう。
樹や花や虫たちの足音を心を澄まして「心で見て、心で聞く」ゆとりが今こそ欲しいと思う。・・春の暖かい風を頬に感じながら。

(2007・3・16)



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  1. 2007/03/16(金) 08:15:52|
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心の生計を立てる

/////心に響く言葉////////////////////////////////////////////////

心の生計を立てる


ある女性作家がメールマガジンにこんなことを
書いていた。「書くという作業」を生計を
立てるためと言うと少し、違和感が生じる、と。

長い間、もう40年以上そのことに
ついて自分なりの納得のいく
答が見つからなかった、と。

そしてこうも書いていた。
以下、抜粋

「ユーゴスラビアで素朴画を描いている
イワン・ラポジンという人を知った。
彼は画家として儲かる絵の描き方を
もちろん知っている。それなのに彼は
素朴画を描いている。そこには誰も
踏み込めない彼自身の世界があるようだ。
その彼が素朴画を描き続ける理由を
「心の生計を立てるために描く」

*:.。.:*・゜・*:.。.:*・゜・*:.。.:*・゜

彼女はこれでハタ!と膝を打った。
そうだ、そうだったんだ、と。

で。
ここで、私ゴトキがついでに書くのは
実におこがましいのは、ジュウジュウ承知の上で。

15年続けてきたインドの障害児への教育支援を
今月、一応、終わった。例会日にある団体で借りていた
ロッカーを整理、書き損じはがきを依頼していた各
交流館にもお礼の挨拶文を持参して訳を話し……。

これはもう3年前に話し合って決めていたこと。
何事も(仲間たちとやるということについて)
ず~っとは続かないし、不可能だ。

同じ力を持続することも不可能。それに、同じ
支援を続けることでの相手方が相手方の依存度を
高めるとこになったということがないとも限らない。

会を終えて、来月の例会日にはこれまで関わって
くれた人たちにも呼びかけて「打ち上げ」をしようと
いうことになった。

ボランティアなので、自分から持ち出すことは
あっても、交通費から、時間から何一つ支給された
ことは、ない。
(このボランティア詳しくHPに以前)

それが誇りでもあり、自負でもあり。
今、ふっと思う。
ああ、このボランティアは意思を同じくする
仲間との出会いにも恵まれてきたし。

ある意味では「心の生計を立てるため」って
いう意味も、少しはあったかな、と。

(ランタナさんの『徒然なるままに』から・・原文のままです)


/////////////////////////////////////////////////////////////////


心の生計を立てる


この言葉に・僕もハッタと膝を叩いた。

ブログで詩を書いていて、時々「お金になるの?」と聞かれる。

「お金にはならないけれど」と答えるが後の言葉が続かない。

漠然としていた霧の中のような気持が 『心の生計を立てる』 の一言

で、夕立の後の青空のようにすっきりした心持である。

野球などのスポーツ選手や芸能人が何千万、それどころか何十億の金銭

を手中に入れてマスコミを連日にぎわせている時代である。

ともすると経済価値だけが人間の価値のように思われがちだけれど、こ

の世の中にはボランテア活動のように無償で汗を流している人も少なく

は無い。

無償ではなくても少ない報酬で己の生きがいに誇りを持って働き生きて

いる人がいるいると思う。

人間の価値観を経済的価値だけで選別すると言う事は何故か寂しい。

確かに経済的安定は幸福な人生を送るのに欠かせないことであるけれ

ど、戦後の貧乏生活の六畳一間の生活の中に幸せな家庭の温もりがあっ

たはずだ。

今はお金さえあれば何でも欲しい物が手に入る。子供の自殺、親子兄弟

そして夫婦間での殺人、目を覆うばかりの心の貧しい時代であるある。

もう一度、貧乏生活の中の心の豊かさを見直したい。

(快くご承諾していただいたランタナさんに感謝して)   でんどう三輪車

(20027・2・28)



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  1. 2007/02/28(水) 02:01:00|
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心の生計を立てる

/////心に響く言葉////////////////////////////////////////////////

心の生計を立てる


ある女性作家がメールマガジンにこんなことを
書いていた。「書くという作業」を生計を
立てるためと言うと少し、違和感が生じる、と。

長い間、もう40年以上そのことに
ついて自分なりの納得のいく
答が見つからなかった、と。

そしてこうも書いていた。
以下、抜粋

「ユーゴスラビアで素朴画を描いている
イワン・ラポジンという人を知った。
彼は画家として儲かる絵の描き方を
もちろん知っている。それなのに彼は
素朴画を描いている。そこには誰も
踏み込めない彼自身の世界があるようだ。
その彼が素朴画を描き続ける理由を
「心の生計を立てるために描く」

*:.。.:*・゜・*:.。.:*・゜・*:.。.:*・゜

彼女はこれでハタ!と膝を打った。
そうだ、そうだったんだ、と。

で。
ここで、私ゴトキがついでに書くのは
実におこがましいのは、ジュウジュウ承知の上で。

15年続けてきたインドの障害児への教育支援を
今月、一応、終わった。例会日にある団体で借りていた
ロッカーを整理、書き損じはがきを依頼していた各
交流館にもお礼の挨拶文を持参して訳を話し……。

これはもう3年前に話し合って決めていたこと。
何事も(仲間たちとやるということについて)
ず~っとは続かないし、不可能だ。

同じ力を持続することも不可能。それに、同じ
支援を続けることでの相手方が相手方の依存度を
高めるとこになったということがないとも限らない。

会を終えて、来月の例会日にはこれまで関わって
くれた人たちにも呼びかけて「打ち上げ」をしようと
いうことになった。

ボランティアなので、自分から持ち出すことは
あっても、交通費から、時間から何一つ支給された
ことは、ない。
(このボランティア詳しくHPに以前)

それが誇りでもあり、自負でもあり。
今、ふっと思う。
ああ、このボランティアは意思を同じくする
仲間との出会いにも恵まれてきたし。

ある意味では「心の生計を立てるため」って
いう意味も、少しはあったかな、と。

(ランタナさんの『徒然なるままに』から・・原文のままです)


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心の生計を立てる


この言葉に・僕もハッタと膝を叩いた。

ブログで詩を書いていて、時々「お金になるの?」と聞かれる。

「お金にはならないけれど」と答えるけれど後の言葉が続かない。

漠然としていた霧の中のような気持が『心の生計を立てる』の一言で、

夕立の後の青空のようにすっきりした心持である。

野球などのスポーツ選手や芸能人が何千万、それどころか何十億の金銭

を手中に入れてマスコミを連日にぎわせている時代である。

ともすると経済価値だけが人間の価値のように思われがちだけれど、こ

の世の中にはボランテア活動のように無償で汗を流している人も少なく

は無い。無償ではなくても少ない報酬で己の生きがいに誇りを持って働

き生きている人がいるいると思う。

人間の価値観を経済価値だけで選別すると言う事は何故か寂しい。

確かに経済的安定は幸福な人生を送るのに欠かせないことであるけれ

ど、戦後の貧乏生活の六畳一間の生活の中に幸せな家庭の温もりがあっ

たはずだ。お金さえあれば何でも欲しい物が手に入る次代、子供の自

殺、親子兄弟での殺人、目を覆うばかりの心の貧しい時代であるある。

もう一度、貧乏生活の中の心の豊かさを見直したい。

(20027・2・28)

(快くご承諾していただいたランタナ産に感謝して)









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  1. 2007/02/25(日) 10:17:42|
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桜の枝に小鳥の家族

1月14日、新年も明けてもう月半ば、日の経つのは早い事、早い事。
疲れがひどく、左の膝も痛むので、たまらず箱根の姫の湯の温泉に足を運んだ。日曜だと満員だが割合に登山電車も空いて合席で座らしてもらい座る場所があった。

前の座席の若夫婦は最初中国人かと思ったが小声で奥さんが話し出して関西の人だなと思った。
リュックから土産のお菓子を出して頬張っていて、餡が一杯入った美味しそうなお菓子だった。三分の一ほど口をつけ残りを旦那さんの口に運んだ。「美味しいね」と言いながら旦那のほうも一口食べてまた奥さんに返していた。「ほんとに美味しいね・・甘さがひつこくないやろ」と言って奥さんは美味しそうに最後の一口を食べていた。一杯餡の入った夫婦愛の入った[お菓子のキャッチボール」だと降りるまで眺めていた。

最初に中国の人かと思ったのは何故かと言うと主人と思しき男の人の言葉が小声で口ごもっていて分からなかったからだ。奥さんにはきっとどんなに小声でも目と目を見合すだけで通じるのだろう。幸せな夫婦だなと思った。

最近は主人を切り刻んで捨てるような殺人事件があったばかりだ。残酷な事件が多くて、夫婦とは、家族とは何だろうと思う此の頃である。
先日テレビで「孤独死」というのを見た。たしか昭和35年に最初に出来たマンモス団地の事である。離婚して子供とも離れ、たった一人でコンクリートの部屋に囲まれて誰にも見守られる事なく孤独に死んで行った。近所の人が気がついて三ヶ月も経ってから戸が開けられた。
息子というのが「こんなに早く死ぬとは連絡してあげれば良かった」と言っていたが後の祭りだ。親兄弟の温かい絆が失われて此れが現実の社会現象だと思う。僕の近くの団地でも同じような50歳代の男の孤独死があった。
この松戸の団地では孤独死があまり多いのでボランテアで相談室を設けて活動している様子が紹介されていた。50歳から60歳代の人が多いという。人生まだこれからだと言うのに生きる気力を失ってしまい外に出ないので隣近所の付き合いも無いのだろう。
誰にも引き取られずに無縁仏となって市役所の車に遺骨が運ばれていくのを見てなんともいえない寂しいテレビの映像であった。
「家族とは良いものだな」と登山電車に乗り若夫婦の様子を見ながら、家族連れの笑い声を聞きながら、孤独死のテレビの映像を思い出していた。

姫の湯の温泉に11時半についたので隣の小さな公園で弁当を食べる事にした。
コンビニで買ってきたシュウマイ弁当を広げていると、頭上の桜の枝に六羽ほど小鳥が飛んできた。まだ硬い枝先の芽をついばんでいた。
よく見ると「うそ」と言う面白い名前の小鳥である。自然の中では初めて見た。鶯より少し大きい小鳥である。一月の硬い桜の小枝の芽をついばむ小鳥の家族を微笑ましくしばらく眺めていた。家族や友人の有り難さが小鳥の声を聞きながら身に沁みる思いであった。
少し寒い風に当たっていたのでゆっくり温泉で心も体も癒して来た。





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  1. 2007/01/15(月) 09:45:43|
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江ノ島の寒椿

成人の日があまりの晴天なので、妻が「江ノ島に富士山を見に行来たいが午前中でないと雲が出るから」と言うので朝8時ごろ急いで家を出た。
大船からモノレールに乗って「ゴトン・・ゴトン」と独特のゴムの車輪の音に身を任せた。

木々に包まれた鎌倉の家並みを上から見おろして、その屋根の上の遠くに真っ白な富士山が見えた。反対側を望むと相模湾の水平線が青い空に線を引くように銀色に輝いていた。

モノレールの駅を降りて15分も歩くと鎌倉名物の江ノ電の踏切を渡った。古い家が建ち並ぶ中を見下すように新しいマンションが競い建っていた。

海岸に出て江ノ島の橋を歩いていると海風が強く吹いていて屋台のテントをなびかせていた。帽子が飛ばないように手で押さえながら橋を渡った。
朝、まだ早いのか人出は少なく外人さんが路上で絵画を並べる支度くをしていた。
誰かがパンくずを投げると輪を描いていた鳶が目の前を急降下してパンくずを銜えて飛び去った。その早業、羽根を翻した目の当たりの鳶の姿が衝撃的に心に残っている。

江ノ島は何年か前に来た時と同じように売店が並び静かに控えめな客寄せの声がしていた。
どこの観光地とも同じような品物が並んでいるかと思うと、やはり江ノ島はサザエやハマグリのような海産物が主役である。
家伝の海苔羊羹に目を奪われていると妻が袖を引くので立ち止まることなく石段を登った。

以前来た時には無かったエスカレーターが島の頂上まで石段を登って歩くこともなく体を運んでくれた。
まだ新設されたばかりの展望台が目立ってそびえていて登ってみる事にした。

見晴らしが素晴らしく良く遠くに富士山が少し雲が巻きつけるように見えた。小田原から綺麗な弧を描いた海岸線が見えた。ヨットの集団が白波を切つていた。双眼鏡に100円入れて覗くと横浜のランドマークタワーが小さな蝋燭のように見えた。僕の住む洋光台の近くの円海山を探したがどの山だか分からなかった。

お昼の蕎麦を食べてから、海岸に下りて与謝野晶子の歌碑があるという岩屋の洞窟を見てきた。
此れも欄干付きの木道が新設されていて岩を打つ波を見ながら洞窟に入った。何万年か年月を重ねて波に侵食され出来たと言う洞窟である。だが観光用に電飾を取り付けていて自然のままにして欲しいと思った。

江ノ島で一番気になった事は「野良猫がいない」と言う事だつた。あれだけ捨て猫の島と言われたほど多くのの野良猫は一匹もいなかった。
藤沢市で駆除したのだろうか「猫一匹もいない」というのは寂しいものだ。
どこかで子猫の声がするなと思ったら土産物屋さんのぬいぐるみの猫だった。

「見晴らしが良いですよ、一休みして食事は如何ですか」と言う呼び声を尻目に、帰り道は妻が「裏道がある」と言うので裏道を通った。売り子のおばさんに呼び止められることもなく静かに椿の枝をくぐって坂を下った。
その枝に痩せた椿の花が一輪咲いていた。崖の下を覗くと岩に白波が立っていた。「椿の花も潮騒を聞いているのだろうな」とふと思った。
白波も椿の花も妻には見えるけれど葉の陰でさえずるメジロの声も潮騒も聞こえない。妻には雑音の無い世界なのである。

* 潮騒に聞き耳立てて寒椿    つとむ

久しぶりに一句手帳にメモして俳句の吟行のような気持になった江ノ島めぐりであった。




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  1. 2007/01/10(水) 23:59:20|
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