(撮影 月草さん)

/////心に響く詩//////////////////////////////////////////////////////////////////////
水枯れの花から花をわたりつつ判捺すように蝶がくちづけ
今日は夏至で 満月です。
水枯れしそうな花,
蝶が慰めるように飛び交っています 月草さんの詩
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夏至(げし)は二十四節気の1つ。6月21日ごろ。およびこの日から小暑までの期間。
今年も早くも半年が過ぎようとしています。一日一日をおろそかに出来ませんね。
昆虫の世界も温暖化と自然破壊の開発で在来のトンボや蝶が撃滅しているという。
身近な小さなな生き物が人間に警告を発していると思う。
(2007・6・26)
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- 2007/06/27(水) 00:16:07|
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/////心に響く詩//////////////////////////////////////////////////////
心の積み木 レニ
手が滑っちゃったかな
慎重に 慎重に
乗せてきたけど
隅っこが欠けてたかな
何度も 何度も
壊れてきたから
言葉という
温もりという
心の積み木
崩れても
ばらけても
残る積み木
まだ時間はあるかな
そっと そっと
新しい形を作るために
( レニさんは・・リンクの中の『夢色言葉』の詩人です・・格調の高い詩人です )
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(撮影 かぜくさ さん)
心の積み木 いのうえ つとむ
ガラガラと音を立てるように
心の中で何かが崩れていく
心の中に大きな穴が開いたように
・・崩れていく
・・そして心が痛い
恋とは悲しい心の積み木
恋とは狂おしい心の積み木
ガラガラと音を立てるように
心の中で崩れていく
其の音は聞こえないけれど
・・不饗和音で崩れていく
・・体から力が抜けていくように
恋は はかない
心の積み木(2007・6・10)
(レニさんの詩とかぜくささんの写真に寄せて)
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- 2007/06/10(日) 02:35:56|
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/////思い出のエッセー////////////////////////////////////////////
黒いチューリップ いのうえ つとむ
四月半ば,春といっても寒い日が続くこのごろ、今日も寒冷前線が空を覆っていて自転車のハンドルを握る手が冷たい。
メール便の配達コースで庭に花が咲き競う住宅地がある。今流行のガーデニングというのだろう、三色すみれの鉢が並び枝垂れ桜も咲いている。四季を通じてそれぞれの花の競演で見飽きることは無い。
その住宅の通りに「いちご堂」という小さな看板がある。鍼灸院の看板で毎日のように配達する家である。
中年の婦人がチューリップを鋏で切っておられた。鍼灸院の先生である。「今日は、綺麗ななチューリップですね」と挨拶すして、メール便の封筒を手渡すと
「郵便やさんですか、お花をを持っているのでポストに入れて」
「メール便です、じゃあ、ポストに入れときますね」
「そうして下さい」
「大きなチューリップですね」
「でも、すぐ散ってしまうの」
「この黄色の花は芯のところが黒いのですね」
「そうなの?・・私は見えないのよ、だけれど紫の濃いのと違う?」
「そういえば紫かもしれませんね」
前にも挨拶をしたことが一度あったが初めて目が不事由だと知った。
普通の眼鏡をかけておられて外見では分からなかった。
「こちらの赤いチューリップのほうが濃い黒い色に見えますね」
「どれですか、これ?」
「よく見ると紫の濃い色ですね」
「オランダはチューリップの国でしょ、黒いチューリップで戦争したと言うからね」
「黒いチューリップ・・そんな謂われがあるのですか?」
「私は事故で見えなくなったの、最初は黄色い色や赤い色から見えなくなったのよ、色盲ってあるでしょう、ああゆう感じからね」
「大変ですね」
「私は見えないけれどね、お客さんが喜ぶと思ってね、ガーデニングの専門の方にお願いしているのよ。ところで貴方のお名前は?」
「井上と言います」
「どちらにお住まいなの。洋光台?」
「はい、五街区に住んでいます。うちの妻がローアなのですが、途中で失明されると大変ですね」
「いいえ、そうでもないわ。貴方手話されるの?」
「僕はしません、口話です」
「口を見て話すのね。私もね、点字しないのよ。小説もテープがあって聞けますからね」
「ああ!僕の同級生の仲の良い友達が、かれこれ20年ほどボランテアで小説など本の朗読をテープに入れていますよ・・夜中の2時ごろまで起きているとか」
「そう!有難いわね。人のためになることは良いことだわね。良い人生ね」
「なかなか出来ない事ですよね」
「お宅の近くに、・・・大嶋さんというローアの方がいるでしょう」
「妻の友達です」
「一度来られたのよ。災難にあったときに連絡できる会を作って市と話を進めているのだけれど中々はかどらなくてね」
「そうなんですか」
「でも最近は好くなったわね。ここのところ市のほうも好くなったわ。皆が変わってきたわ・・先日も二人の方が道案内をしてくれたの。以前は石をぶつけられたからね」
「今ははテレビでも手話をやるし社会の目が変わってきましたね」
「私たちは杖があるから外見で分かるから良いけれど、ローアの人は見た目で分からないから大変ね、張り倒されたことがあったと言うからね」
「以前はオシだのツンボなのと言われていたからね」
「私ね一度懲りたことがあるの。手話通訳が良くなくて誤解されてね。障害者同士でも意思の通じないことがあってね」
「手話も難しいからね」
「私パソコンをやっているのよ!文字が音声に変わるの!」
「そう!凄いね!僕もブログで詩やエッセーを書いているのです」
「何人の人が読んでくれているの」
「一日150人ぐらいかなあー」
「凄いはねー読みたいわ。今度機会があったら読ませてもらうわ」
「ぜひ読んでくださいね」
「私ね、目が見えなくなってからお声で人柄が分かるのよ。今のほうが前より人生が充実しているのよ。見えるときは見逃していたことが見えるのよ」
「目が見えると表面だけしか見ていませんからね」
「外見で判断するのではないのよ。心の奥が見えるのね。怖いわよ!フフフ」
「・・・・・」
「貴方いい人だわね」
赤いチューリップも黄色いチューリップも芯の周りが濃い紫色の黒い色であることを、このとき・・しみじみと見ることができた。
いつもは通り一遍の見方でただ「綺麗だだなー」と見ていた花である。
(2006・4・16)
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心で見る・心で聞く いのうえ つとむ
今年は暖冬、暖かい日が続いて桜の開花も早いようだ。
気象庁も予報を間違えるほど暖かな日がしばらく続き、冬眠していた虫たちも早々と土から出て来たようだ。
しかしこの数日はまた寒さが寄りを戻して小寒い日が続いている。
桜の蕾も開花を目前にして足踏みしている。「寒いナー」といって首をすくめているようだ。
配達先の庭の「黒いチューリップ」も蕾を膨らせて開花の日をじっと待っている。
毎日、毎日慌ただしく生活していると、桜の蕾を見ても素通りしてしまう。
樹や花や虫たちの足音を心を澄まして「心で見て、心で聞く」ゆとりが今こそ欲しいと思う。・・春の暖かい風を頬に感じながら。
(2007・3・16)
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- 2007/03/16(金) 08:15:52|
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/////心に響く言葉////////////////////////////////////////////////
心の生計を立てるある女性作家がメールマガジンにこんなことを
書いていた。「書くという作業」を生計を
立てるためと言うと少し、違和感が生じる、と。
長い間、もう40年以上そのことに
ついて自分なりの納得のいく
答が見つからなかった、と。
そしてこうも書いていた。
以下、抜粋
「ユーゴスラビアで素朴画を描いている
イワン・ラポジンという人を知った。
彼は画家として儲かる絵の描き方を
もちろん知っている。それなのに彼は
素朴画を描いている。そこには誰も
踏み込めない彼自身の世界があるようだ。
その彼が素朴画を描き続ける理由を
「心の生計を立てるために描く」
*:.。.:*・゜・*:.。.:*・゜・*:.。.:*・゜
彼女はこれでハタ!と膝を打った。
そうだ、そうだったんだ、と。
で。
ここで、私ゴトキがついでに書くのは
実におこがましいのは、ジュウジュウ承知の上で。
15年続けてきたインドの障害児への教育支援を
今月、一応、終わった。例会日にある団体で借りていた
ロッカーを整理、書き損じはがきを依頼していた各
交流館にもお礼の挨拶文を持参して訳を話し……。
これはもう3年前に話し合って決めていたこと。
何事も(仲間たちとやるということについて)
ず〜っとは続かないし、不可能だ。
同じ力を持続することも不可能。それに、同じ
支援を続けることでの相手方が相手方の依存度を
高めるとこになったということがないとも限らない。
会を終えて、来月の例会日にはこれまで関わって
くれた人たちにも呼びかけて「打ち上げ」をしようと
いうことになった。
ボランティアなので、自分から持ち出すことは
あっても、交通費から、時間から何一つ支給された
ことは、ない。
(このボランティア詳しくHPに以前)
それが誇りでもあり、自負でもあり。
今、ふっと思う。
ああ、このボランティアは意思を同じくする
仲間との出会いにも恵まれてきたし。
ある意味では「心の生計を立てるため」って
いう意味も、少しはあったかな、と。
(ランタナさんの『徒然なるままに』から・・原文のままです)
/////////////////////////////////////////////////////////////////
心の生計を立てるこの言葉に・僕もハッタと膝を叩いた。
ブログで詩を書いていて、時々「お金になるの?」と聞かれる。
「お金にはならないけれど」と答えるが後の言葉が続かない。
漠然としていた霧の中のような気持が 『心の生計を立てる』 の一言
で、夕立の後の青空のようにすっきりした心持である。
野球などのスポーツ選手や芸能人が何千万、それどころか何十億の金銭
を手中に入れてマスコミを連日にぎわせている時代である。
ともすると経済価値だけが人間の価値のように思われがちだけれど、こ
の世の中にはボランテア活動のように無償で汗を流している人も少なく
は無い。
無償ではなくても少ない報酬で己の生きがいに誇りを持って働き生きて
いる人がいるいると思う。
人間の価値観を経済的価値だけで選別すると言う事は何故か寂しい。
確かに経済的安定は幸福な人生を送るのに欠かせないことであるけれ
ど、戦後の貧乏生活の六畳一間の生活の中に幸せな家庭の温もりがあっ
たはずだ。
今はお金さえあれば何でも欲しい物が手に入る。子供の自殺、親子兄弟
そして夫婦間での殺人、目を覆うばかりの心の貧しい時代であるある。
もう一度、貧乏生活の中の心の豊かさを見直したい。
(快くご承諾していただいたランタナさんに感謝して) でんどう三輪車
(20027・2・28)
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- 2007/02/28(水) 02:01:00|
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///心に響く詩////////////////////////////////////////////////////
They will have dinner
They will enjoy sausages
House with yellow light
Poem;Dorothy・
English translation;Toto & Dorothy
ごはんだよ
ソーセージだよ
あの灯火(あかり)
詩 ドロシー ・ トト&ドロシー英訳
ドロシーさんはシドニーで長年生活をされて写真と英語俳句を楽しんで居られます。
* 御飯だよ秋刀魚だよあの灯火(あかり)
と日本では「秋刀魚」とするところですが・・「ソーセージ」がユニークで豪州での生活観がよく表現されていて・・ほのぼのとした気持になり何時までも僕の心に灯火のように消えることなく燃え続けていました。
当時の感動した日本語の詩・俳句を列記してみました(英語詩は略して)・・異国で暮らす方の心境を窺えるかと・・ドロシーさんの詩をご観賞ください。
* しそひと葉 お茶に浮かべてみる故郷
* あの猫もブログしてる 背の孤独
* 知っているよ 君なんだってこの風は
* きのうでもあしたでもない 今のわたし
* 思いっきり非難せし後の にがわらい
* 吠えないでね わたしはお前のとなりびと
* 鳥は巣へ 父さん呼んでるケンケンバ (小鳥の名前)
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(2007・2・9)
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- 2007/02/09(金) 13:24:14|
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1月14日、新年も明けてもう月半ば、日の経つのは早い事、早い事。
疲れがひどく、左の膝も痛むので、たまらず箱根の姫の湯の温泉に足を運んだ。日曜だと満員だが割合に登山電車も空いて合席で座らしてもらい座る場所があった。
前の座席の若夫婦は最初中国人かと思ったが小声で奥さんが話し出して関西の人だなと思った。
リュックから土産のお菓子を出して頬張っていて、餡が一杯入った美味しそうなお菓子だった。三分の一ほど口をつけ残りを旦那さんの口に運んだ。「美味しいね」と言いながら旦那のほうも一口食べてまた奥さんに返していた。「ほんとに美味しいね・・甘さがひつこくないやろ」と言って奥さんは美味しそうに最後の一口を食べていた。一杯餡の入った夫婦愛の入った[お菓子のキャッチボール」だと降りるまで眺めていた。
最初に中国の人かと思ったのは何故かと言うと主人と思しき男の人の言葉が小声で口ごもっていて分からなかったからだ。奥さんにはきっとどんなに小声でも目と目を見合すだけで通じるのだろう。幸せな夫婦だなと思った。
最近は主人を切り刻んで捨てるような殺人事件があったばかりだ。残酷な事件が多くて、夫婦とは、家族とは何だろうと思う此の頃である。
先日テレビで「孤独死」というのを見た。たしか昭和35年に最初に出来たマンモス団地の事である。離婚して子供とも離れ、たった一人でコンクリートの部屋に囲まれて誰にも見守られる事なく孤独に死んで行った。近所の人が気がついて三ヶ月も経ってから戸が開けられた。
息子というのが「こんなに早く死ぬとは連絡してあげれば良かった」と言っていたが後の祭りだ。親兄弟の温かい絆が失われて此れが現実の社会現象だと思う。僕の近くの団地でも同じような50歳代の男の孤独死があった。
この松戸の団地では孤独死があまり多いのでボランテアで相談室を設けて活動している様子が紹介されていた。50歳から60歳代の人が多いという。人生まだこれからだと言うのに生きる気力を失ってしまい外に出ないので隣近所の付き合いも無いのだろう。
誰にも引き取られずに無縁仏となって市役所の車に遺骨が運ばれていくのを見てなんともいえない寂しいテレビの映像であった。
「家族とは良いものだな」と登山電車に乗り若夫婦の様子を見ながら、家族連れの笑い声を聞きながら、孤独死のテレビの映像を思い出していた。
姫の湯の温泉に11時半についたので隣の小さな公園で弁当を食べる事にした。
コンビニで買ってきたシュウマイ弁当を広げていると、頭上の桜の枝に六羽ほど小鳥が飛んできた。まだ硬い枝先の芽をついばんでいた。
よく見ると「うそ」と言う面白い名前の小鳥である。自然の中では初めて見た。鶯より少し大きい小鳥である。一月の硬い桜の小枝の芽をついばむ小鳥の家族を微笑ましくしばらく眺めていた。家族や友人の有り難さが小鳥の声を聞きながら身に沁みる思いであった。
少し寒い風に当たっていたのでゆっくり温泉で心も体も癒して来た。
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- 2007/01/15(月) 09:45:43|
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成人の日があまりの晴天なので、妻が「江ノ島に富士山を見に行来たいが午前中でないと雲が出るから」と言うので朝8時ごろ急いで家を出た。
大船からモノレールに乗って「ゴトン・・ゴトン」と独特のゴムの車輪の音に身を任せた。
木々に包まれた鎌倉の家並みを上から見おろして、その屋根の上の遠くに真っ白な富士山が見えた。反対側を望むと相模湾の水平線が青い空に線を引くように銀色に輝いていた。
モノレールの駅を降りて15分も歩くと鎌倉名物の江ノ電の踏切を渡った。古い家が建ち並ぶ中を見下すように新しいマンションが競い建っていた。
海岸に出て江ノ島の橋を歩いていると海風が強く吹いていて屋台のテントをなびかせていた。帽子が飛ばないように手で押さえながら橋を渡った。
朝、まだ早いのか人出は少なく外人さんが路上で絵画を並べる支度くをしていた。
誰かがパンくずを投げると輪を描いていた鳶が目の前を急降下してパンくずを銜えて飛び去った。その早業、羽根を翻した目の当たりの鳶の姿が衝撃的に心に残っている。
江ノ島は何年か前に来た時と同じように売店が並び静かに控えめな客寄せの声がしていた。
どこの観光地とも同じような品物が並んでいるかと思うと、やはり江ノ島はサザエやハマグリのような海産物が主役である。
家伝の海苔羊羹に目を奪われていると妻が袖を引くので立ち止まることなく石段を登った。
以前来た時には無かったエスカレーターが島の頂上まで石段を登って歩くこともなく体を運んでくれた。
まだ新設されたばかりの展望台が目立ってそびえていて登ってみる事にした。
見晴らしが素晴らしく良く遠くに富士山が少し雲が巻きつけるように見えた。小田原から綺麗な弧を描いた海岸線が見えた。ヨットの集団が白波を切つていた。双眼鏡に100円入れて覗くと横浜のランドマークタワーが小さな蝋燭のように見えた。僕の住む洋光台の近くの円海山を探したがどの山だか分からなかった。
お昼の蕎麦を食べてから、海岸に下りて与謝野晶子の歌碑があるという岩屋の洞窟を見てきた。
此れも欄干付きの木道が新設されていて岩を打つ波を見ながら洞窟に入った。何万年か年月を重ねて波に侵食され出来たと言う洞窟である。だが観光用に電飾を取り付けていて自然のままにして欲しいと思った。
江ノ島で一番気になった事は「野良猫がいない」と言う事だつた。あれだけ捨て猫の島と言われたほど多くのの野良猫は一匹もいなかった。
藤沢市で駆除したのだろうか「猫一匹もいない」というのは寂しいものだ。
どこかで子猫の声がするなと思ったら土産物屋さんのぬいぐるみの猫だった。
「見晴らしが良いですよ、一休みして食事は如何ですか」と言う呼び声を尻目に、帰り道は妻が「裏道がある」と言うので裏道を通った。売り子のおばさんに呼び止められることもなく静かに椿の枝をくぐって坂を下った。
その枝に痩せた椿の花が一輪咲いていた。崖の下を覗くと岩に白波が立っていた。「椿の花も潮騒を聞いているのだろうな」とふと思った。
白波も椿の花も妻には見えるけれど葉の陰でさえずるメジロの声も潮騒も聞こえない。妻には雑音の無い世界なのである。
* 潮騒に聞き耳立てて寒椿 つとむ
久しぶりに一句手帳にメモして俳句の吟行のような気持になった江ノ島めぐりであった。
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- 2007/01/10(水) 23:59:20|
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キャベツとダイエット いのうえ つとむ
先日テレビでダイエットの話をしていた。腹の出た超肥満の男性の写真と、スマートな同じ人の写真が並べられた。人気番組だからご覧になった人は多いと思う。その人はお医者さんでダイエットに無理なく成功したのである。それがキャベツを食事の前に生で食べて成功したと言うので、ハタ!と見当たる事があった。
それは厚木のタモ名人、鮎釣の師匠の河井さんである。昨年お会いした時、一見して糖尿ではないかと思い「糖尿は恐ろしいよ、僕の友人で失明して、透析をやり・・そして今は息をしているだけ」・・「もし友人の事がなければ、自分も後1年も手を打たずにいれば、失明は間逃れなかった」とくどいほど話した。
「失明は突然襲ってくる、朝まで何も無かったのが顔を洗ってタオルで拭いたところ真っ暗で何も見えなくなったと聞いている」と真剣に話をした。
タモ名人河井さんはその時74キロの体重で食前の血糖値が245であった。以前警察官であったころは確か80キロと聞き覚えている。血統測定器が2個あったのでお渡した。
後日鮎釣の時に車の運転をしながら「眼が見えなくなったらオレは自殺するよ・・と言うと・・うちの奥さんが凄く怒るんだよ・・眼が見えなくなったら好きな鮎釣に行けなくなるからなー」と話をされていた。
聞いていて心配でたまらなかったので病院に行くように話をした。
それから年が明けて鮎の季節が来てまたお世話になった。
本厚木の駅前まで迎に来てくれた師匠の河井さんを見て驚いた。人違いではないかと言うほど痩せている・・もしや糖尿病が原因で痩せたのではないかと尋ねたほどだ。
重度の糖尿病になると体重が激減すると聞いていたから。
そのような僕の心配をよそに、ニコニコしている河井さんは「食事で減量したんだよ」と言われたのでひとまず安心した。
「74キロの体重が今54キロ・・ここまで痩せると体力が無いので川の流れの強いところには入れないよね・・危なくて」と言われていた。
夕食の時「此れが僕の夕食だよ」と見せてくれたのは大皿に山盛りにしたキャベツの千切りに、ちょこんと乗せた魚のカンズメ。
お酒大好き・・甘いお菓子大好き・・間食は常・・此れが今までの食事だそうで・・今はお酒は控えて間食は無し・・その努力に感服した。
ダイエットは簡単ではない、急にするとリバウンドして元の木阿弥と言う人が多い。
河井さんの信念の強さに尊敬の念を抱いた。中々出来ない、苦労しているのが多くの人だ。
早速テレビの話しを電話して河合さんに現状を確認した。
「本当?・・キャベツがそんなにいいの・・じゃあ・・キャベツが良かったんだね・・今は61キロだよ・・54キロでは辛いからね・・血糖値は110〜120だよ・・ああ・・それから・・かぼちゃも主食だったね・・毎食かぼちゃ1個の6分の1・・ぐらいかなー」
こともなげに話してくれる鮎釣の師匠の河井さんである。
「18日にうちのが(奥さん)おはぎを作るから来ない?」
「へー甘いものだねー・・18日は用事があるのだけれど」
・・考えた見ると用事は午前中だ、午後なら行ける、「甘いおはぎ」をご馳走になろうと思っている。
(2006・9・12)
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- 2006/09/12(火) 21:17:39|
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鮎、そして出会い いのうえ つとむ
緑の山々に囲まれて相模湖を過ぎたころ河井さんが運転しながら「こんな事を聞いてもいいですか」といつものように前置きしながら話をされた。
「前世はあるのでしょうか」
「どう思います」
「死んだ跡はどうなるでしょうかねー」
「僕は戒名などはいらないからと何時も妻に言っているのです」・・と
立て続けに話される事が生命論で運転しながらの話としては重すぎて返事を考えていると河井さんの話はどんどん進んでいった。
僕は話が一区切りしてから「日本は仏教国だから輪廻の思想が根底に有り・・三世の生命観を心の中に置いていますよね・・東洋の仏教国とキリスト教の西洋とは根底から違うと言いますからね・・ブログでスイスの「みんつ」さんが書いていますが、ストレスから開放されるのに10年は掛かるそうです・・日本人と気質がずいぶん違うようですね『スイスは観光に来るところで住むところではない』とも言われていますよ」
「ところで戒名なんか要らないですよね」
「坊主の金儲けの手段ですよね」
「院をつけるだけで何10万も時には何100万も取られますから」
河井さんも「戒名がなければ成仏しないなんておかしいよ・・じゃーキリスト教徒は成仏しないのか?・・と言う事になるよね」と話を続けられて、
「坊主の金儲けだよね・・一度死んで生き返った人が戒名で呼ぶのか・・呼ばないでしょう・・普通の名前だよね・・だから僕は戒名は付けないよ」
創価学会の葬式は『友人葬』といって宗門の寺と決別してからは・・僧侶のお経も無く、創価学会の幹部の導師で友人が集い法華経の勤行と題目を上げて爽やかなお葬式だった・・勿論戒名は付ける必要は無く「俗名」であった。
此の『友人葬』が本来の葬式だと創価学会の人は言っていた。
戒名一つとっても河井さんは苦労人だけあって社会を正眼していて、流石だと思った
僕も「俗名・井上 勤 之霊」と書いてくれればそれが一番良いのだ・・と考えをめぐらしていると・・河井さんは話を続けられた。
「妻は『幼くして死んだ子は早くあの世に逝って幸せに暮らしている・・だから可哀想ではない』と何時も言うのだがねー」
日本人の多くは阿弥陀経の西方浄土の念仏思想が根ずいていて・・美しい夕日の彼方に死後の平安を求めているのだなと思った・・お釈迦様はどうしてこの璽前権教を捨てて法華経が真実だと言うのだろうか・・西方浄土の死後に美しく安らかな仏を求めた教えから・・法華経の成仏は生前の個々の命の中に仏界と言う最高の命が存在していると説いたのか・・宇宙全体が生命の根源で縁に触れて・・人間に生まれたり犬猫・虫に至る動物に生まれてくると言う・・人間に生まれてきた事がどんなに素晴らしいかと説いている・・一説には衆生の気根が幼くて高度な法の法華経を説いても幼稚園の子供に大学の学問を教えるようなもので聞く耳を持たなかったからだとも言われている・・阿弥陀経と法華経はまるきり相反して逆転した話なので・・誰もが困惑してしまう・・そんな事を考えていると・・河井さんは出会いの不思議さに話を進められた。
「こうして井上さんと話をしているのも不思議だね」
「相模屋さんの鮎釣ツアーで河井さんの釣っている川下に来て・・『ここで釣らして下さい』と声を掛けたことが二人の縁ですね・・『井上さんの笑顔が気に入った・・お付き合いしましょう』と河井さんに言われて今日があるのですね・・こうしてお世話になるのは本当に夢のようです」
「生まれてくるのも不思議だよね・・人間に生まれるのか・・犬や猫に生まれるのか」
「人間に生まれても戦乱の中で生まれるのも可哀想だね・・不思議だよね」
「貧富の差もあるし奴隷になった人もある・・本当に不思議だね」
「・・井上さん聞いてくださいよ・・警察学校を卒業して初めて赴任したのが新宿の交番でしたよ・・そのとき若い娘さんが『家の前に何時も駐車されて困っています・・何とかして下さい』と言ってきたのが今の妻です・・綺麗だなー・・可愛いいなー・・と思いましたよ・・もし新宿の交番に赴任しなければ・・もし駐車違反がなければ・・今の生活は有りませんね・・子供たちの生活も有りませんね・・出会いとは不思議だよね」
「そういえば・・僕ら夫婦が・・一緒にならなければ子供も生まれてこないし・・今の子供たちの生活もない事ですね」と河井さんは感慨深そうに話された。
河井さんご夫婦の出会いを聞いていて自分の出会いを話そうかと思っていると桂川に着いてしまった・・自分の出会いはまたのお楽しみにして・・鮎釣に心がときめいてきた。
それにしても囮鮎に体当たりをして・・鋭い針に掛けられて釣られてしまう鮎・・此れも鮎の悲しい出会いなのだろう・・そんな事を思いながら清流に抱かれるように鮎釣に没頭した。
(2006・9・7)
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- 2006/09/07(木) 07:22:54|
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今日の出逢い いのうえ つとむ
葉桜が風に揺れていた。孟宗竹の竹林にかこまれた白い家が見えてきた。
「ここだよ」と車から降りると
「おくさーん、大森です」
「はーい」
「今日は芹を採りに来たよ」
「どうぞどうぞ、何でも採っていって下さい。筍も又出ていますよ!」
明るい声がして奥さんが窓を開けられた。見ると品の良い白人の外人さんだった。
「お声だけでは外人さんとは解りませんね。日本語が上手ですね」と大森さんに聞くと
「そうだよ、日本語はぺらぺらだからなー、一年に一度はドイツに帰られると聞いている」と笑いながら話してくれた。
芹を少し採ってから玄関に来て
「これが芹だよ」と大森さんは芹を見せながら,トラックの荷台の中の新鮮な野菜を一箱手渡していた。
「有り難う!」と返事をしながら奥さんが出てきて嬉しそうに野菜の箱を受け取っていた。
大森さんは自分で作った野菜を何時も今日のようにお届けしているのだな?と思った。
「ここにも野蒜があるよ、井上さんこれ採ってもいいよ」と玄関脇の草の中を教えてくれ、大森さんは筍が生えてきたという庭の奥ヘ行った。
しばらく野蒜を採っていると一台の車が玄関前に入ってきた。
車から降りられた方がここのご主人だな?と思ったので
「今日は」と挨拶をすると
「どちらさんでしょうか」といぶかしそうな顔をされていた。
それもそのはず、見知らぬ爺さんが自分の玄関先で草を採っていては、 不審に思うのが当然だ。
「あの・・大森さんと」と言うと、すかさず
「あ!そう」とにこりと笑われた。この返事の一言で、大森さんの人柄の良さが分かった。
大森さんと奥さんが玄関に戻られたので、芹の食べ方や野蒜の食べ方を教えながら「美味しいよ」と話して、採った芹と野蒜を渡そうとすると
「せっかく採ったのだから持って行ってくださいよ、まだいくらでもありますから」と僕に譲ってくれた。 凄く感じの良い方だなーと思った。
「インターネットされていますか」と、なんだかパソコンをしているような感がしたのでそれとなく聞いてみた。
「うん、少しだけれどね」
「ああ!良かった僕もブログ書いているんですよ!」
「へー・・凄いじゃん、見たいナー」
「詩とエッセイだけれど、昨年の五月から始めて300編ぐらいになりました。拙いものですが・・」
「ぜひ読みたい、教えて!」
「ヤフーで、でんどう三輪車で検索して下されば出ると思います」
「おーい、ケンチヤン、メモ持って来て!」
中から小学校の5年生ぐらいの子供さんがメモの紙とボールペンを持ってきてくれた。
でんどう三輪車と自分の住所、氏名、電話番号を書いて渡すと、ご主人も同じようにご自分のを書いて渡してくれた。
「車の中で食べて下さい」と帰り際、奥さんの作られたケーキをポケットに入れてくれた。
今まで大和撫子のカップルは良く見掛けたけれど、今日、素晴らしいご主人に会って、外国の女性に好かれる、魅力のある日本男児の方が居られるんだなーと、ツクヅク思った。日本の男性が魅力に欠けるので、外国の女性にもてないのだという、今までの偏った思いを考え直した。
「ここのご主人は、音楽家なんだよ。俺は演歌だけれど演歌ではないんだ。クラシックを演奏されているんだよ。上智大学を出られているんだ」と運転しながら大森さんが話してくれた。
あの品格と人柄を思うと、なるほどと思った。
しばらく畑の中の道を車が走り、芹が一面に生えている休耕田で芹を摘んだ。
それから大森さんの知り合いの葡萄園の農家に立ち寄った。
明るい話好きの奥さんが、いろいろな庭の花を案内して見せてくださり、ハーブのミントを植えるようにと、一束お土産にくれた。
車の中でもハーブの良い香りが漂っていた。
4月の月初めに、箱根の姫の湯で山に登った帰りに立ち寄ったという大森さんと温泉で知り合った。帰りは電車で茅ヶ崎まで帰られるという事なので帰りを共にして電車の中で話が弾んだ。
「少しばかり畑を作っていて、会社は55歳で退職し、今は朝2時には起きてね、牛乳配達の仕事をしているんだよ」と自己紹介してくれた。自分も今、メール便の配達と夕刊の配達をしていると話した。
「雨が降っても風が吹いても仕事があるからなー」と同じ苦労話が一致した。
「僕は芹が大好きなんだけれど、どこか芹の出ているところは無いかねー」と話をして、自分の名前と連絡先をメモして渡した。
先日、突然・・大森さんから電話が来て、
4月23日、買ったばかりの980円の長靴を履き、茅ヶ崎の駅で待合せて、芹を採りに連れて行ってくれた。
車は街から随分離れて山の中に入って行つた。走っている車の窓の外を見ているとタンポポが咲き、どの農家の屋敷も蕗が生えていて美味しそうに見えた。
それが今日の良い出逢いになった切っ掛けである。
帰りも大森さんに茅ヶ崎の駅まで送っていただき、大森さんと又姫の湯で会うことを約束して別れた。
時間があったので、箱根の姫の湯で疲れを取って、ゆっくり家路に着いた。
今日の一日は、良い出逢いがあり、人生の一ページを飾れたことに感謝の思いで一杯である。
(2006・4・23)
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- 2006/04/24(月) 16:40:48|
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黒いチューリップ いのうえ つとむ
四月半ば,春といっても寒い日が続くこのごろ、今日も寒冷前線が空を覆っていて自転車のハンドルを握る手が冷たい。
メール便の配達コースで庭に花が咲き競う住宅地がある。今流行のガーデニングというのだろう、三色すみれの鉢が並び枝垂れ桜も咲いている。四季を通じてそれぞれの花の競演で見飽きることは無い。
その住宅の通りに「いちご堂」という小さな看板がある。鍼灸院の看板で毎日のように配達する家である。
中年の婦人がチューリップを鋏で切っておられた。鍼灸院の先生である。「今日は、綺麗ななチューリップですね」と挨拶すして、メール便の封筒を手渡すと
「郵便やさんですか、お花をを持っているのでポストに入れて」
「メール便です、じゃあ、ポストに入れときますね」
「そうして下さい」
「大きなチューリップですね」
「でも、すぐ散ってしまうの」
「この黄色の花は芯のところが黒いのですね」
「そうなの?・・私は見えないのよ、だけれど紫の濃いのと違う?」
「そういえば紫かもしれませんね」
前にも挨拶をしたことが一度あったが初めて目が不事由だと知った。
普通の眼鏡をかけておられて外見では分からなかった。
「こちらの赤いチューリップのほうが濃い黒い色に見えますね」
「どれですか、これ?」
「よく見ると紫の濃い色ですね」
「オランダはチューリップの国でしょ、黒いチューリップで戦争したと言うからね」
「黒いチューリップ・・そんな謂われがあるのですか?」
「私は事故で見えなくなったの、最初は黄色い色や赤い色から見えなくなったのよ、色盲ってあるでしょう、ああゆう感じからね」
「大変ですね」
「私は見えないけれどね、お客さんが喜ぶと思ってね、ガーデニングの専門の方にお願いしているのよ。ところで貴方のお名前は?」
「井上と言います」
「どちらにお住まいなの。洋光台?」
「はい、五街区に住んでいます。うちの妻がローアなのですが、途中で失明されると大変ですね」
「いいえ、そうでもないわ。貴方手話されるの?」
「僕はしません、口話です」
「口を見て話すのね。私もね、点字しないのよ。小説もテープがあって聞けますからね」
「ああ!僕の同級生の仲の良い友達が、かれこれ20年ほどボランテアで小説など本の朗読をテープに入れていますよ・・夜中の2時ごろまで起きているとか」
「そう!有難いわね。人のためになることは良いことだわね。良い人生ね」
「なかなか出来ない事ですよね」
「お宅の近くに、・・・大嶋さんというローアの方がいるでしょう」
「妻の友達です」
「一度来られたのよ。災難にあったときに連絡できる会を作って市と話を進めているのだけれど中々はかどらなくてね」
「そうなんですか」
「でも最近は好くなったわね。ここのところ市のほうも好くなったわ。皆が変わってきたわ・・先日も二人の方が道案内をしてくれたの。以前は石をぶつけられたからね」
「今ははテレビでも手話をやるし社会の目が変わってきましたね」
「私たちは杖があるから外見で分かるから良いけれど、ローアの人は見た目で分からないから大変ね、張り倒されたことがあったと言うからね」
「以前はオシだのツンボなのと言われていたからね」
「私ね一度懲りたことがあるの。手話通訳が良くなくて誤解されてね。障害者同士でも意思の通じないことがあってね」
「手話も難しいからね」
「私パソコンをやっているのよ!文字が音声に変わるの!」
「そう!凄いね!僕もブログで詩やエッセーを書いているのです」
「何人の人が読んでくれているの」
「一日150人ぐらいかなあー」
「凄いはねー読みたいわ。今度機会があったら読ませてもらうわ」
「ぜひ読んでくださいね」
「私ね、目が見えなくなってからお声で人柄が分かるのよ。今のほうが前より人生が充実しているのよ。見えるときは見逃していたことが見えるのよ」
「目が見えると表面だけしか見ていませんからね」
「外見で判断するのではないのよ。心の奥が見えるのね。怖いわよ!フフフ」
「・・・・・」
「貴方いい人だわね」
赤いチューリップも黄色いチューリップも芯の周りが濃い紫色の黒い色であることを、このとき・・しみじみと見ることができた。
いつもは通り一遍の見方でたで「綺麗だだなー」と見ていた花である。
(2006・16)
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- 2006/04/16(日) 02:59:57|
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花冷え いのうえ つとむ
桜の花の蕾にも冷たい雨!
蕾が開かんとする時にも冷たい雨!
満開の桜にも冷たい雨!
散り行く桜の花にも追い討ちをかけるように
又冷たい雨が降り注いでいる。
桜にとって今年は試練の年のようである。
久しぶりに暖かい春の日差しを受けた枝垂桜を、先日妻と妻の友達と三人で見てきた。
其処は酒匂川の支流の中津川に沿った集落で「寄」と言う字の一文字で「やどりき」と読ませる珍しい地名である。
小田急の新松田の駅を降りてバスに乗ったのだが10時55分発ということで40分ほど駅前で暇をつぶした。
バスの案内所を訪ねたとき「寄に行くのには何処で乗るのですか」と聞いた。「3番のバス停です。今度は10時55分です」と教えてくれたので、バス停を確認していた。「桜を見に行くのですか、寄と聞かれたので」と親切にも案内所の受付の婦人が地図を持ってきてくれて道順を教えてくれた。
バスは時間どうり出発して新松田駅の街路を離れて、よく整備されたアスファルトの舗装道路の山道を登っていった。
山の道路が蛇行していて桜の花が思い出したように所々咲いていた。谷底は予想していたより深く「こんなに山奥だったのか」と思いながら窓の外の景色を眺めていた。
しばらくして山の谷間の少し開けたところに家が五・六軒見えたきた。
やがて家並みが揃い松田町「寄」の集落となって終点、寄のバス停に到着した。
バスの運転手さんに聞いたように、右に曲がり、左に曲がり、山のお茶畑を歩いて行った。お茶畑の向こう側に目当ての枝垂れ桜があるのか桜の木が見えないので、どれだけ登ると良いのか見当が付かない。下ってくる人に聞くと、「まだまだ先が長いよ」と言われてゆっくり坂道を歩いた。ゆっくり歩いたというよりも息が切れて足が進まないのだ。若い夫婦たちだろう。後から来て軽く追い越されると「年だなー」とつくづく思い知らされた。
畑の土手や道の畦を見るとタンポポが咲き、所々に野蒜が生えていて、「帰りに採って行こう」などと策をめぐらしながら急な上り坂を歩いた。
やがて眼下に一本の枝垂桜が農家の庭先に咲いているのが見えてきた。
急ごしらえの階段が畑の中に作られていて降りて行くと数人の人が桜の古木を囲んで記念写真を撮っていた。
農家の主人の話によると松田町の観光課が「土佐原の枝垂れ桜」と宣伝して桜を見に来る人が増えたという。樹齢150年と謳ってているのだが。切ることは出来ないので年輪を数えてみたのでは無く、本当のところは分からないと言っていた。あくまで推定だと話していた。農家の個人の好意で見せていただくもので、観光化されてい無い。自然のままだからこそ心の和む思いがした。
「茶畑で生計を立てているのですか」と聞くと「みんな兼業農家で横浜あたりまで勤めに行っていますよ」と主人の返事だった。この山村からの通勤では大変だなあと思った。農業だけでは生計が立てられないのだろう。
時計を見ると12時になっていた。スーパーで買ってきた弁当を広げて枝垂れ桜と山の見晴らしをご馳走にして昼食を食べた。
足元に生えていた3本ほどの野蒜を採ってその場で生で食べたがこれほど野趣に満ちた昼飯は外ではない。
また帰り際に野蒜とタンポポを採ってお土産にした。
箱根の近くまで、せっかく来たのだからと「姫の湯」の温泉に疲れを取りに立ち寄った。
温泉は空いていてゆっくり湯船に浸かりくつろげた。しばらくしてよく数えたのではないが15人から20人ほどの70歳の僕と同じ年恰好の人たちが狭い浴槽に代わる代わる入って満員になってきた。急に賑やかになったが礼儀正しく品の良い人たちだった。よく見ると目が不自由な人がほとんどで手を引いてもらいながら入ってきた。付き添いの人がこまめに世話をしていて楽しそうに温泉に浸かっていた。
熱めなお湯なのでそれが話題になり「この熱いのが良い」という人と「熱いのが苦手だ」という人がいて久しぶりの温泉のようで嬉しそうに温泉のお湯を堪能していた。
この団体さんが先に浴槽から出た後、しばらくしてから僕も出てソフアーに腰をかけて休んでいると、二階の休憩室の賑やかな談笑の声が聞こえてきた。
「さっきの目の不自由な方たちですか、賑やかで楽しそうですね」と管理人さんに聞くと「そうなんです、昨日連絡があり少しばかり割り引いて差し上げたんですよ。それがねえ・・何処も受け入れてくれなくて、困っていて、うちに来られたのですよ・・」それを聞いて「エエ!そうなんですか、あのハンセン病の人たちの差別と同じではないですか」とつい口に出した。
ニュースで聞いた元ハンセン病患者さんの差別の件もひどいもので、他のホテルでは自分のホテルでなくて好かったと密かに胸をなでおろしただろうと思った。
まだまだ体の不自由な人たちにとって日本という国は「花冷えの桜のように世間は冷たい」と思い知らされた。
(2006・4・12)
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- 2006/04/12(水) 01:16:23|
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袖刷りあうも・合席の人 いのうえ つとむ
小寒い風を頬に受けながら大船駅のホームで下田行きの特急・踊り子号のスマートな電車を見送った。空は薄曇りであったが3月12日午後1時ごろ家を出て、いつものように洋光台の駅から根岸線に乗って来た。
しばらく待っていると東海道線の熱海行き普通電車が到着した。
乗車すると横並びの長い座席ではなく、珍しく4人掛けの合い席であった。
ほとんどの座席は空いているようには見えなかったが、よく見渡すと空席が一つあり其処に腰を落ち着かせた。
3人座っていて窓側の男性は二人とも知り合らしく会社の同僚のうわさ話をしていた。
前の座席の眼鏡をかけた男性は関係ないと見えて黙って俯いていた。
花粉症なのだろう憂鬱そうに時折り鼻の上に手をやりマスクを直して又元のように眼を瞑って俯いてしまった。
横の座席に4人組がいて中国人なのか何にやら中国語で話していた。
男女向き合い座って話していたが、大声で喋り捲る男が居り、言葉が解らないので煩くて仕方が無かった。
藤沢の駅に着くと後ろの座席が空いたので、これ幸いとばかり座席を移動した。
この座席は窓側に二十歳代の若い男女が向き合って座っていた。
話の様子ではどうも恋人らしく次のデイトの相談なのか、青年が女の子にどうしようかと聞いていた。
「ホテルが良いか、旅館が良いか」
「それとも民宿が安くて良いかなー」
男は選択を彼女に託すように聞いていた。
「民宿が安いから、民宿が良いわ」
小柄な若い女が頷きながら答えていた。
女は特別美人というのではなく、ごく普通のOLふうに見えた。
男のほうは最近流行の坊主頭であごひげを伸ばしていた。
「いつが良い」
「・・・・・」
「時間は、何時にしようか」
「・・・・・」
面白いカップルだなーと聞き耳を立てていたが、
眼と眼を合わせることで通じるのか、女の返事が小声なので聞き取れなかった。
二人は楽しそうに話しながらシュウマイ弁当を開けて食べ始めた。
「弁当のご飯・・うまいなー」と言いながら
男が蓋に付着したご飯を笑いながら舐めると
「よしてよ、みっともないよ」
女は上目使いでなじるように小声で言った。
「何処でも買えるけれど・・やはり横浜だね」
「この魚も美味しいよ」
二人はシュウマイ独特の匂いをただよわせ美味しそうに食べていた。
生唾を飲みながら弁当を横目で・ちらっと覗いて窓の外を見ると、梅の花が咲いて次々と後ろに消えていった。
小田原の梅の名産地「曽我の郷」だ、梅の花が白く家を囲むように咲いていた。
相変わらず空は曇っていて富士山は残念ながら顔を出さず見えなかった。
やがて電車が小田原駅に停車したので僕は二人の恋人達ちの話し声を耳に残しながら電車を降りた。
二人の恋人を乗せて電車は熱海に向かって発車して行った。
小田急の電車はすでにホームに来ていて急いで飛び乗った。
早川が流れにそって箱根に向かって電車は走った。菜の花と夏みかんの黄色い色がのどかな家並みの風景を暖く感じさせた。
しばらくして湯元の駅で二両編成の登山電車に乗り換えた。
少し並んだお陰で満員であったが幸い座ることが出来た。
隣に座った僕と同じぐらいの老人はワンカップのお酒をあをって
「一人で温泉かね。良いなー・・彼女が向こうで待っているんだろうなー」小指を立て一杯機嫌で話しかけてきた。
「いませんよ、そんなの」と答えると
「何、いない・・それは寂しい、貸してあげるよ」
「アハハ」と前の座席のご婦人を指差して愉快そうに笑っていた。
お酒というものは、こんなにも朗らかにするものかと思った。
絹のような細い雨が降って来て登山電車の窓を少し濡らしていた。
大平台の駅に着いたときは、いつか雨も止んで何とか温泉に濡れずに駆け込んだ。
日曜日なので姫の湯は平日より込んでいた。
例のように3時から6時まで長時間を温泉でくつろいだ。
小雨が落ちてきそうな空模様だけれど、窓から梅の花がちらほらと咲いて見えて、これ以上は無い贅沢な入浴だとつくずく思った。
箱根の山からの帰りの人達だろうか、若い人が多かった。
一時き降った小雨は幸い止んで帰りの電車にも雨に濡れずに乗れた。
登山電車から湯元の駅で小田急に乗り換へる時、大騒ぎをしている人達がいたので、それを避けて別の車両の座席に移った。
前の車両まで来て見ると数人の乗客で静かだった。
窓の外に眼を移すと、早川の清流が窓枠に動く風景画のように見えた。
「この川も鮎の川だな」と川の流に気を取られていた。
眺めているうちに瞬く間に小田原駅に到着した。
小田原でJRに乗り変えたが、東京行きの普通電車は満席だった。
コンビニで買った230円の弁当を食べながら隣の人の話が嫌でも耳に入ってきた。
「私はね、20年前のことだけれど、庭に生えているハコベを野菜代わりに食べてねえ」
60代の婦人が昔を思い浮かべるように言うと
「ハコベは食べられるのよね」
と向かいの座席の30代の婦人が合図地を打つように小声で返事をしていた。
「その浮いた分を貯金して2年で100万円ためたわよ」
年配の婦人はやや得意げな顔で話し続けた。
「ハコベは野草だから体に良いのよ」
「凄い!・・私は特売で何か買い、その浮いた分・・儲けた!と思って ケーキか何か買って食べてしまうわ」
若い方の婦人が苦笑いをしながら答えていた。
「それでは・・ほら!今テレビの大河ドラマの・・山内一豊の妻にはなれないわよ、駄目よ!そんなんじゃ」
年配の婦人が、主婦はこうあるべし、と諭すように言った。
母と子の年齢差ではあるが二人の話の様子だと実の親子ではなさそうだ。
どこかまだ少し遠慮がちな話し振りから思った。
国府津の駅に付くと反対側のホームに、新宿直通の快速電車が来て、この方が早く大船に着くので急いで乗り換えた。
東京行きの人はこの新宿直通の電車では行けないので東京行きの普通電車に残っていた。
乗り換えた車両には誰も乗って無く、新しいのでグリーン車に乗った良い気分だった。
大磯の駅で50代そこそこの婦人が両手に荷物を抱えて前の座席に座った。あまり汗をかいているので
「暑いですか」と聞くと
「今、お風呂に入ってきたばかりなの」
「この電車に間に合わないと・・と思って急いで走ってきたのよ」
「週末はこの大磯に来るの」
「家は恵比寿なんだけれどねー」と立て続けに話してきた。
「良いご身分ですねー」と言うと
「そうではないのよ、母がボケてきて心配だから来るの、普通の日は介護の人が見てくれるけれど、土日ぐらいは自分で見てあげないとねー」
「痴呆で一番心配なのは、火事が一番怖いのよ!火の不始末だよねー、ボケているから怖いのよ」
「私の本が無いので聞くと・シラン・・と答えるだけで、押入れに隠してあるのよ」と笑いながら言っていた。
よくしゃべる人だが嫌みは無く 感じの良い人だった。
親を見捨てる人が多いこの時代なのにと、この婦人の苦労話を聞きながら、まもなく大船駅に着いた。
「さよなら・・お元気でね」
「うん、又お会いできたら良いね、バイバイ」
又いつでも逢えそうな雰囲気のお別れだった。
外出すると人と出会う、ほんの一時だけれど、電車に乗って知らない人と座席が合席に成る。
感じの良い人だと人生を豊かにしてくれるような良い気分になるものだ。
狭い食堂に入った時
「お客さん合席でよろしいですか」と店員に聞かれ、
「はい」と答えて、何処の誰だか知らない人と合席でカレーライスを食べることもある。
(2006・3・19)
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- 2006/03/19(日) 10:01:22|
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牛の涙 いのうえ つとむ
戦争が終わって何年経っただろうか。のどかな三河地方とはいえ終戦後の生活は誰もが厳しかった。物不足だった。とりわけ食料難で誰もが食べ物に餓えていた。
爆撃の傷後がそのままに残った場所がところどころあった。豊川海軍工廠の爆撃の時に僕の家の田んぼにも爆弾が落ちた。幸い家屋敷には被害はなかった。その爆撃で擂鉢状の大きな穴が掘られた。その田んぼでの出来事である。
昼ごはんを食べていた。中学校の同級生にはラジオドラマの「鐘の鳴る丘」と同じような「海の家」という孤児院があって戦災孤児も同級生に何人かいた。でも彼らより貧しい人がいた。
隣の席の小林君の弁当の中身がいつものように米粒がほとんど入っていなかった。南瓜と人参と薩摩芋の弁当である。僕は農家なので麦飯だけれどお米のご飯だった。彼は父が戦死してお母さんと妹さんと三人で親戚を頼りに疎開してきた人だった。あまり気の毒なので「半分ずつにしまいか」と話しかけた。小林君は「僕はこれでいいよ」と遠慮していた。弁当を机に置かず膝の上で隠すように食べていた。その時に「井上君、田んぼの方へ帰るように、家からお電話ですよ・・牛が倒れたんだって!」と女の先生の声がした。
早引きして急いで蓮華の花を踏みながら田んぼに帰って行くと、田んぼの真ん中に牛が倒れていて、父や叔父さんや近所の人が集まっていた。僕が世話をして育てた牛なので知らせてくれた。「これが最後かもしれないから会わせたかったのだ、お前に合わせずに連れて行ってはなー」と父が言ってくれた。
農業といえば牛の働きに頼っていた。牛の糞は堆肥にして貴重な肥料となり、牛がいなければ農業は成り立たなかった。
牛はほとんどが和牛で田畑の耕作に、運搬にと欠かせない大事な家畜であった。たまに乳牛のホルスタインを飼育している農家もあったが何軒も無かった。
戦時中に朝鮮牛といって赤毛のおとなしい牛が日本に入ってきて、この赤牛を和牛と同じように農耕に使い飼育する人もいたが珍しかった。
どの牛にしろ牛の働きが便りであった。
まだ耕運機も無かった。自動車は消防車と病院にあったぐらいで見かける事はまず無かった。オート三輪車が牛車に変わりつつあったが農家では誰も持つ人は無かった。お医者さんも自転車かスクーターで往診する先生が多かった。そういう時代なので牛は大切な家畜であった。
その大切な牛が倒れたのだ。
「今まで牛が倒れたことは一度も聞いたことが無かったなあー」
「朝から元気がなったからのう」
「仕事がきつかったかのん」
「鋤で土を耕すのが重荷だったかのう」
「すぐに疲れたのか、ハッハアー息をしていたのでのう」
「どうしたら良いかのん」
「チョットやソットでは動かんでのん」
そんな話をしている時に獣医さんが来て、診察をしてから
「もう治りそうも無いよ」と小声で言った。
「足は折れているかのん」と父が聞いた。
「折れてはいないと思うが、内臓から来ていると思うが」
獣医さんは足は折れていないと診断していた。
「熱も高いようだし、諦めたほうが良いかのん」
父は諦め切れないようだった
「肉にしても・・これじゃあ・・安くなるでのう」
「しかたがないかのう」
祖父も叔父さんも近所の人も同じようなことを口々にしていた。
「それでも、もう一度立たしてみまいか」
「立ってくれれば良いけれど、やってみようか・・」
「それ!」
「よいしょう!」
「ボウ・・ボウウ・・シッ・・シッ」
「ボウ・・ボウウ・・シッ・・シッ」
どんなに手綱を引いても一向に立ち上がろうとはしなかった。
「やっぱり駄目かのう」
「ソリを作って他の牛で道まで引いて出してみるかん」
「そうするしか無いで」
「ほう・・あんたんとこの赤牛を借してくれまいか」
「ああ・・良いよ・使っておくれんよ」
急ごしらえに板と丸太でソリを作った。ソリといっても簡単なものであった。牛をソリに乗せるのがまた一苦労であった。
僕は牛の頬や首をさすってやった。牛の目は熱に浮かされているようで、苦しそうな息使いだった。
綱を牛にかけてその綱を担い棒にくくりつけて4人の大人が担いで牛をソリに乗せた。
おとなしい赤毛の朝鮮牛を連れて来てソリを引かせた。代掻きの前なので田んぼには水を張っていなかった。水が少ないので滑べりが悪く農道まで出すのに手間がかかった。黒牛はソリに横むきのまま乗せられ、よだれをたらして苦しそうに喘いでいた。赤牛は振り返り、振り返り、何度も倒れた牛を見ながら急ごしらえのソリを引いていた。
やっとの思いで農道に出した。しばらくしてオート三輪車が到着した。
屠殺場の人が来ると、どの牛も敏感に察知して、畜生の感が働くのか、その時はほとんどの牛が少し暴れて抵抗したものだ。
この赤牛もやはり屠殺場の人を察知したのか、目に涙を流していた。
振り返り、振り返り、田んぼの中でソリを引いていた時も泣いていたであろう。
牛も人間と同じように悲しい時は涙を流すものだと思った。
やがて牛を乗せた三輪トラックは、タンポポや蓮華の花が咲く夕暮れの農道を去って行った。
萌える若緑の木立の中に三輪トラックが見えなくなるまで、みんなで見送った。母や居合わせた女の人達は涙を拭いていた。
僕はこの時の光景を忘れることは出来ない。
夜になって牛小屋の前にたたずみ、いなくなった牛のことを思い返していた。この牛は僕が世話をしてきた。朝早く刈ってきた草と稲藁の飼葉に少々の小麦や雑穀と糠を程よく混ぜて食べさせた。今日はまだ少し食べ残しがあった。新しい敷き藁と牛乳そのままの牛の匂いが漂っていた。
どの農家も子牛を買ってきて成牛に育て上げ農耕に使った。頃合を見て売り払い現金収入にして来た。だが今までの牛と違って、この牛は太ってはいたが何処と無く丈夫では無いように常々感じていた。おとなしい雌牛で僕になついていた。
牛は人をよく見る。人を見て言う事を聞くのである。こちらの目を見て服従するか、しないかの判断をするのだ。
牛は自分より強いと思えば服従し、弱いと思うと従はない。それどころか、頭を下げて角をサクり上げて攻撃して来る。それを人を間違えてやると「なめたまねをシャーがって」と鞭や棒で打たれるのだが、そういう時に僕は逃げてしまう。僕は気の強い牛は苦手だった。角を出してくるので、気の強い牛を僕は避けていた。
その僕の弱気を今迄のほとんどの牛はよく見徹していて、僕を甘くなめ切っていた。だから今まで牛には近寄らなかった。兄は農家の後継ぎの自覚があるのか平気で牛を使いこなした。しかしこの牛だけはおとなしく僕によくなついた。だから僕が世話をしたのだ。可愛がって育てた。いろいろ思いめぐらして何時間も時間を忘れ牛小屋の前で過ごした。
「牛は処分されて牛肉となっただろうか。牛の命は何処に行ったのだろうか」・・と思いながら夜空を見上げていると、スーと流れ星が一つ東の空から西の空に消えていった。
牛の命と関係は無いだろうが、何故か気になって仕方が無かった。
(2006・2・15)
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- 2006/02/19(日) 23:41:16|
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牛の涙 いのうえ つとむ
「牛の涙」は修正して、発表いたしました。お読み頂き、またコメントを頂き有り難うございました。きちんとまとめましたので、またご一読くださいね。
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- 2006/02/15(水) 10:58:38|
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空は晴れて いのうえ つとむ
電車が大磯の駅の近くに来て、窓の外を眺めると、いつもは青い海が松の梢越しに見えるのだが、あれ!と思うほど海は鉛を流したように暗く灰色に見えた。
空を見上げると空もまた灰色というか薄黒い雲に覆われていた。朝、家を出るときは快晴で昨日に続き暖かな日だと思っていたのに小田原で乗り換え箱根の湯元の駅に着いたときには雨が降ってきた。傘を用意してこなかったので、これは「しまった」と思った。
登山電車が登って行くにしたがい箱根の山は雪になっていた。少しだけ雪をかむった樹も女の人の薄化粧のように良いものだと山や樹に見とれていた。
駅で傘を借りて出てみると霙に近い重い雪が斜めに降っていて、ふわふわと雪の舞うのは見られなかった。肩に舞い降る「雪舞」ではなかった。
昨夜、夜中に足がつりコムラ返しになって痛いお思いを久しぶりにした。前々から疲れがひどいので11日か12日の休みには、日帰りの温泉に行くことに決めていたのだが、これでは仕事が出来ないので何としても今日は温泉に行きたかった。
12時15分ごろ行き付けの姫の湯について3時頃まで約3時間ほどゆっくりと体をほぐした。
温泉の窓からは、石崖と囲いで外の風景は見られないが僅かに空を覗くことが出来た。「少しでも青い空が見えると良いねえ」と地元の顔なじみのお年寄りと話していると、やがて雪も止んで空が明るくなった。
この温泉は体に合うのかすっかり疲れも取れ痛みも取れた。
大平台の小さな駅について傘を帰し、ベンチに座るとすでに20代後半か30歳そこそこの女性が一人座っていた。
「雪が上がってよかったね」と声をかけると「よかったわねえ」と返事を返してくれた。「帰りに干物の工場に寄って徳安の干物を買う予定だったので、晴れてよかった」と独り言のように話すと彼女も親しげに話してきた。
「私は座間から来たのですが時々ストレスがたまると安い旅館があっていつもその旅館に日帰りで温泉に入りに来るのよ」とその旅館を教えてくれた。
「奥さんとこられると良いわね、家族風呂で貸切だからね、小さくて綺麗な旅館ではないけれど日帰りで500円で入れますよ」
「何・・混浴なの?」
「そうよ、ほとんどお客さんは来ないからね、今日も私一人だった」
「そんな温泉があるの」
「細かいお金がなくてね1万円札を出したら、そこのおじさんが「今度で良いから」ってただで入って来たの」と笑っていた。
保育士をしいて25人ほど面倒を見ているのだが、結構大変だと話してくれた。
湯元の駅に着き新宿行きの小田急に乗り換える時
「私も干物工場に付いていって良いかしら」
「ああ、良いよ、ビックリするほど安いよ、市販されない・はみ出し物だけれど・・ほんとに安いよ」
「この切符は湯元なら途中下車が出来るのだけれど箱根板橋の駅で出来るかしら」
「ああ、駅員さんに聞いてみたら、小田急だから良いと思うよ」
「改札で思い切って話してみようかな」
そんな話をしているとまもなく駅に到着した。
「座間まで帰りたいのだけれど・・ここで一度降りても良いかしら」
「ああ、いいですよ、どうぞ」
駅員さんの気持ち好い返事が帰ってきた。
鯵とホッケの干物を干物工場から田舎に送ってもらい、自宅で食べる分を買った。
彼女はホッケの干物と特製の塩を買っていた。
僕は小田原の駅でJRに乗り換えた。
親戚か娘のように親しく話をしてきたが、別れるときも名前も聞かなかった。
「またいつか会えるかもね・・さようなら」
「そうですね、今日は有り難うございました。またお会いすることがあ るかもね、さようなら・・」
一期一会かも知れない、また再会することがあるかもしれない、それは解らない、名前も電話も聞けば教えてくれたと思うが、敢えてしなかった。
縁があればまた逢うだろうし・・老人にはその必要はなかった。
(2006・12)
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- 2006/02/13(月) 01:55:43|
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バクチノ木
賭博で負けが入り,モロハダ脱ぎで…?
そりゃ,よく見ますよ,股引とかステテコ姿で。,なぜか腹巻はしてるヒトが
おととい,来やがれ〜ポーーンて追い出される図はね。
でも,「木」がかわいそーじゃござんせんか!
そう,思いませんか?
この寒空に葉も落とさず,。 (雨ちゃんの詩文より)
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1月29日新年会に呼んで頂いた。有山さんと大家さんが海老名の駅まで来て車で立ち寄って下さった。約束の6時15分を15分ほど遅れた僕を拾ってくれた。
テレビで「良い仕事をしていますねー」と多くの人の関心を寄せるようになった「なんでも鑑定団」の先生たちと、同じような仕事をされている古物商の河井さんのお宅にお伺いした。するとすでに僕の子供同然の年代の一番若い鮎釣のプロのライセンスを取った近藤君がすでに良い顔色になって座っていた。
みんなで今年も仲良くやりましょうと乾杯して奥さんの作られた御料理に「美味しい」「美味しい」と舌づつみをしながら話が弾んだ。
大家さんはまったくお酒は駄目で口にせずニコニコ相槌を打っていた。
僕もお酒は駄目だが口当たりは好きだ。これは美味しいというのでお猪口一杯ほどの清酒を頂き唇を濡らしてみた。
鮎釣りの仲間なので鮎竿やタモや仕掛けの話が弾んで、「何処の場所が良かったか」とか「何処に行きたいか」とかの話は夜が更けることも忘れて話は尽きなかった。
話の中でスロットとパチンコの話になった。7万円つぎ込んで一つも出なければ詐欺罪が成立するという話が出た。
有山さんは「学生時代はのめりこんでいたが、知り合いにパチンコ屋さんがいてその実態を知ってからは一切パチンコには手を出さなくなった」と話していた。
無我夢中にになるとブレーキが利かなくなり貯金通帳を片手に銀行へ足を運びながらお金を何万とつぎ込んでしまう。「麻薬みたいだ」と異口同音に話していた。
家庭崩壊の人を知っているので僕はギャンブルはまったくやらない。だから皆さんの話の聞き役になっていた。「目的を持って学んだり仕事をする者は、勝負事は禁物だ」と友人と話していた20代の頃をふと思い出した。木の皮がはがれて丸裸になった木を「博徒の木」と名付けられたのにはあまりに人間臭さく何故か木に失礼なような気がして木が可哀想だと思った。
有山さんと大家さんは午前1時過ぎになってお酒を飲まない大家さんの運転で帰宅された。近藤君と僕は残って泊まることになった。
寝しなに少し話をしたが二人ともすぐ眠りに就いた。朝起きてみると河井さんは熟睡されていたので奥さんに見送られて車に乗った。河井さんのご夫妻にすっかりお世話になった。帰りは八王子まで帰る近藤君が橋本の駅まで送ってくれた。良い釣り友達が出来て今年の鮎つりは楽しみである。
(2006・1・30)
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- 2006/01/30(月) 12:49:29|
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これは本物 いのうえ つとむ
3時の約束が15分ほど遅れてしまった。昨日は雪でメール便は休み、その付けが今日来ていつもの倍以上の配達だ・・途中で事情を携帯電話で話しておいたが、あまり遅くなるといけないと思いながらサンデサンに入った。ブログで知り合った人と逢うのは初めて、僕は写真で彼の顔は知っているので一番奥で本を読んでいるのを見てすぐ解った。
親子ほど・・いや孫かもしれないほどの年齢差は何処へやら、話が弾んだ。彼は新人の野木太郎という役者さんなので以前読売のコラムに書いた夏木マリさんの話の概略を話した。そうしたら彼が帽子を取った。
ア!坊主頭だ!これは本物!と思った。少し前に坊さんの役をしたというのだ。夏木マリさんの事を書いたコラムのエッセイは次のとおりである。
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一線を越した者と越せない者 いのうえ つとむ
夜中の1時ごろか2時ごろ・・・ふと目が覚めてテレビを見ると京都の街を歩いている黒い靴を履いた黒い服の尼さんが映っていた。よく見ると女優の夏木マリさんだった。どう見てもカツラではなかった。そうすると舞台の役柄で髪を剃ったと解説された。美人は髪があっても無くても美しい。しっとりと京都の町に溶け込んでいて、なぜか秘められた色気さえ感じた。しかしたいした度胸だと思う。芸人の中の芸人だと思う。役とはいえ髪は女の命。そう簡単に落とせるものではない。
僕がいつも思うのは長髪に戦闘帽をかむった軍人の俳優だ。子供の時見た兵隊は将校もすべてイガグリ頭だった。その長髪を見ただけで興ざめしてしまう。それに反して夏木マリさんの芸に対する打ち込みには感心した。昔・「楢山節考」という映画があって、田中絹代が主演した。山に捨てられていく老婆を演じた。老婆を演じるのに前歯を全部抜いてしまった。それを聞いて一流の芸人の執念に驚いた。恐れ入った。だからこの映画は鮮明に記憶している。ある一線を越したものと越せないものこの差はここにあるように思う。
僕は器用にこなせるが、何をしてもこの一線を越せないのはこの執念の無さだと思う。僕が始めて映画を見たのは、村祭りの神社の星空の下の野外上映だった。
お祭りと言えば毎年・田舎芝居だったが、村の青年たちがこの年は映画にした。題名は忘れたが新人俳優・三船敏郎だけは覚えている。地べたに筵を敷いて海苔巻きの寿司を食べながら見た。それからほど経ってから街に行き、「羅生門」と「無法松の一生」と「楢山節考」を見た記憶がある。近所の友達が名作だから見たほうがいいと教えてくれたので、それぞれ見に行った。今思うと見ておいてよかったと思う。街まで出るのが面倒なので他に映画を見た記憶は無い。
最近はテレビをつければ簡単にドラマも映画も見られる。だが良い映画が無いのかすぐに忘れてしまう。いや・年のせいかもしれない。
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彼は初めてブログで知り合った人がどんな人か半ば恐ろしい気がしたと言っていたが正直なところだと思う。まったく見ず知らずのお爺さんと逢うのである。人の出会いとは不思議なものだ。増してインターネットという電波を通じて知り合った新しい出会いである。年齢の差は大きいけれどこの出会いは大事にしたい。新しい友人・野木太郎君の大成を祈りつつ筆を置く。
(2006・1・22)
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- 2006/01/22(日) 20:40:47|
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軍靴 いのうえ つとむ
日本は戦争に負けてすべてが一変した。
小学校で講堂に飾られ神として拝んでいた天皇陛下の写真がまず無くなり、教科書は軍国的な箇所は墨で黒く塗りつぶす事になった。小学校に駐屯していた兵隊はそれぞれ帰って行った。我が家の隣の家が昔、村長をしていた家で客用の別室があった。その離れの部屋に将校が間借りして綺麗な奥さんと住んでいた。やがて終戦と同時に帰っていった。将校は妻帯が許されていて子供心に「不公平だなあー」と思った。小学校の講堂や教室で寝起きしている兵隊と大きな差があるように思った。その軍隊がいなくなった教室や講堂に入ると蚤だけが残されていて、ぴよんぴょん這い上がってきた。
確か教室にはマッカーサー元帥の写真が飾られた。アメリカ一辺倒になった。あまりの変わりように誰もが戸惑った。
やがて父も復員してきた。父の一回目の召集は僕がまだ2、3歳ごろで支那事変の中国の戦地に行った。幼少の頃なので復員してきた事は何も覚えていない。二度目の召集は御前崎に駐屯した。父の話によるとアメリカ兵が国土に上陸してきた時に備えて兵隊を集めたようだ。父のように年齢のいった者や甲種合格にならなかった背の低い人もいたようである。
笑い事では済まされないかもしれないが武器らしいものは無く小銃すら不足していたようだ。食べるものが無く兵隊さんは手分けして農家に米やサツマイモや野菜を買出しに行ったそうだ。農家の長男で農業をしていた父がリュックを背負って買い出しに行ったと言うから皮肉な話だ。ひどい戦争である。まだ父は内地なので笑い事で済まされるが叔父さんのようにビルマで戦った兵隊は戦死した友軍の食べ物を食べ、蛇を食べ、トカゲを食べ、口に入るものは何でも食べて命をつないだようだ。
父が持ち帰った物で軍靴があった。軍靴は大事にしていた。それも牛革では無く豚皮の靴であった。毛穴が3ッ三角に並んでいて豚皮と一目で分かった。シナ事変の時も軍靴は最も大切なな備品であったと父は言っていた。歩兵は名前のごとく歩く兵隊である。厳しい環境の中で歩けなくなれば死を招く。今僕は何気無く自由に歩いているけれど歩けることは幸せなことだと思う。
人は足から弱るというが最近疲れると足先が痺れてくる。配達という仕事柄この足は大事だ。そして靴も大事だ。大げさに言えば兵隊さんの軍靴のように大事だと思う。履き慣れているので3度も修理をした。100円ショップで踵の底の修理用のゴムを買ってきて貼れば簡単に直せる。所々ほころびもあって妻は新しい靴を買うように言うが、もう少し履いてみようと思う。自分にとって父の軍靴のように愛着があるから手放せない。
(2006・19)
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- 2006/01/19(木) 09:10:38|
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雪に想う いのうえ つとむ
今年初めて雪を手にしたのは、1月8日、日曜日に田舎へ法事で帰る途中で立ち寄った箱根登山鉄道の小さな駅のホームに降りた時だ。大平台の駅のホームに植えて在る花壇の上に積もっている雪をつまんでみた。三,四日前に降った雪で表面は凍って滑らかになっていたが中は新雪のままだ。柔らかなさわり心地に思わず口に入れたい衝動に駆られた。見上げると崖の上から氷柱が7,8本垂れ下がっていて水晶のように輝いていた。2日ほど晴天が続き日のあたるところは雪も解けて日陰に残雪が山をまだら模様にしていた。
僕の育った三河の温暖な気候は年に2、3度雪が降り、10センチほど積もった。朝起きてみると銀世界で舞い上って外に跳び出た。新設を踏むと自分の足跡が残り気持ちの良いものであった。雪合戦をして遊び、雪だるまを作った。あたり一面の雪が解けても雪だるまだけは残って座っていた。かまくらの雪の小さな部屋がうらやましかった。
雪というと「雪の降る街を・・思い出だけが・・」という歌のように、肩に降りかかる雪を払いながら歩く、そういうイメージが強かった。
この冬は雪国が記録的な大雪で、吹雪が電車を転覆させた。又家が積雪で押しつぶされた。そして多くの犠牲者が出た。これほど雪の恐ろしさを思い知らされたことはなかった。
3メートル、4メートルもの雪が積もるとは、テレビの画面を見て驚くばかりだ。雪国の人たちの苦労を知るに付け、今まで描いていたのどかな温泉の野天風呂の雪景色と現実の厳しさとが心の中で葛藤している。
それでも2月までに又この横浜でも雪が降るだろう。
そのとき今までのように新雪を踏む心地よさを味わえるだろうか、どうだろう。
(2006・1・15)
(雪国の皆さんのご苦労を偲びながら)
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- 2006/01/15(日) 02:30:34|
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レモン一つ いのうえ つとむ
朝から日本晴れだ。雪国では大雪で大変だと聞く、横浜は温暖な気候でめったに雪は降らない。いつもメール便を配達する家に蜜柑や夏みかんや珍しい柑橘類を植えられた庭が在る。
「ああ!今年も立派なのが沢山実りましたねー」
「オレンジ?いやレモンだったよねー」
「そうレモンよ!レモンよ!よろしかったら一つ持っていくかね」
そう言いながら庭の草取りをしていたお婆ちゃんは鋏で大きいのを一つ切ってくれた。
「これが良いね、葉っぱをつけておくからね・・一週間ぐらい飾っておいて熟してきたら種を取ってジャムにすると良いよ」
「有り難う・・うれしいなー」
「奥さんにあげなさい」
笑っている顔は母を思い出すほどの年齢に見える。
頂いて手にしてみると、このレモンは夏みかんより遥かに大きい、洋ナシのような形をしている。
昨年の今頃だったと思う。
「この蜜柑見たことがないけれど何の蜜柑ですか」と聞いた。
「これレモンよ。ここへ越して来た時に植えたの・・苗を頂いて植えたのよ!こんなに立派な木になったの」その時も庭の草取りをしておられた。
毎日のようにレモンの木の家の前を通るのだが、時の経つのは早いものだ。レモンが今年も冬の日を浴びて黄色くたわわに実っている。もうお正月も目前だ。
庭で花の手入れをしている人、掃除をしている人、また赤ちゃんを乳母車に乗せて買い物に行く人、子供の手を引いている人、遇う人にその度事に僕は挨拶をして配達をしている。
挨拶を返してくれる人、知らん顔の人、それぞれだが、出会う人が何故か只すれ違っただけのような気がしないのだ。
出会いのこの一瞬が深い縁が在るような気がしてならないのは年のせいかもしれない。
レモンのお婆ちゃんもやはり声を掛けずにはおられなかった。
月日を重ねて一年経って「一つ持って行くかね」と言われるようになったのだ。まさか頂けるとは思って無かったので、今日はそれが非常にに嬉しいのである。
また新しい人間関係が出来た。人との関わりがこんなに温かいとは何故か嬉しい。いや友達が出来たのかもしれない。
(2005・12・22)
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- 2005/12/22(木) 23:03:52|
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いのうえ つとむ
土曜の夜、話のついでに「疲れて足がしびれるので箱根の温泉に行って来る、疲れが取れるから・・行くかい?」とメールを送った。
すかさず、「行く!仕事が片付いたいたので明日は1日あいている」と返事が来た。10時に洋光台駅で待ち合わせと決めた。彼女は忙しい人なので土曜も日曜もまず空いていない。「行く!」という返事が来るとは思っていなかった。財布を見たら3千円だけしか入っていない。どこかに1万円札がないか探したが無い。待てよ?日曜日は郵便局も銀行も休み、カードが使えるだろうか?。妻は風邪で行けないと言うし、あいにく千円しか無いとも言う。「9時からならカードで引き出せる」と聞いて一安心した。待ち合わせを10時にして良かった。
日曜の朝になって9時半に妻と銀行に行きカードで軍資金が出来た。まだ早く寒いので駅前の喫茶店で待つことにした。
隣の席の青年がタバコをふかし煙をよけながら窓の外の駅に来る人たちを見ていた。ゆっくり来る人もいるが大方急ぎ足だ。日曜だというのに走って来る人もいる。
会社に勤めているときは朝の出勤は忙しかった。1分2分が勝負だった。よく走ったものだと思いながら窓の外を見ながら待った。
「私も毎朝戦争よ、これだけは学習できないのだなー。走るんだー」
と言う彼女と笑いながら駅に向かった。改札を入ってから「みかちゃんは常に切符を使わないから落とさないようにね、僕はこの前出る時に切符が見当たらなくて困ったよ」「そうね落とさないようにね」と話しながら階段を下りた。
大船で乗り換える時切符を念のため調べた。
「あれ!無い。切符が無い!確かに入れたはずなのに無い」みかちゃんはポケットもかばんも見ても何処を探しても無い「みかちゃんお財布と切符を入れたのを見たよ」「仕方が無い、きっと後になってから出てくるんだよね」そう話しながら熱海行きの電車に乗った。
電車は空いていて二人とも並んで座ることが出来て話が弾んだ。「うちの奥さんはね、猜疑心というのが無いよ、嫉妬もしないよ、普通いくらおじいさんとはいえ若い娘さんと日帰りの温泉に行くと成れば焼きもちで大変だよ」「そうだよねー・奥さんは心が綺麗なんだなー」それから、もっぱらブログの話が話題だった。話に夢中になって乗り越してしまい終点の熱海駅についてしまった「終点が熱海でよかったね、沼津だったら何処まで行ったかね」それほど話が弾んで又小田原まで逆戻りした。
「本間寄木美術館に寄りたいけれど、体験教室があって作りたいんだー」彼女はインターネットで調べてきたのだ。
小田原から湯元の間の入生田駅から10分ほど歩いて少し大通りの中に入った目立たない所にあった。
教室の予約時間前に美術館で説明を聞きながら江戸時代からの精巧に出来た寄席木細工の大小様々の工芸品に見とれていた。その美しさに感心するばかりだった。
教室ではオリジナルの模様のムクコースター作りを体験した。菱形の柄の違った寄木が12枚セットになっていて、思いのままのデザインで組み合わせる楽しい工作だ、子供心に帰って作った。話し好きの先生の話を聞きながら楽しい思い出になった。
「温泉は熱めだけれど大丈夫?」「うん大丈夫」「出る時間だけ決めよう、5時45分」2時間の長風呂、彼女は僕のペースに合わせてくれたけれど、ほんとに大丈夫かな?と思いながら、いつものように痺れる足をマッサージしながら、ゆっくりお湯に入ったり掛け湯をしてなじみのお客さんと話しながら疲れをとつた。
45分の時間前にタオルを巻いて休憩の椅子を見たら、彼女がすでにソファーに座って「あ!見たよー」と笑いながら声を掛けて来た。それから急いで洋服を着た。椅子に座りながら「待たせた」「ううん、今出たところ」
「これ呑むと美味しいよ」温泉をコップに汲んできて呑んだ、ほんのり塩分を感じるほどの無臭の温泉。「あ!美味しい・スゴーイ、美味しい」本当に美味しそうだった。
「これを毎日三度温泉に来て呑んで胃癌がよくなったというお爺さんがいるよ」「へー温泉て良いんだねー」と話していると隣に座って休んでいた70歳を越したかと思われるお爺さんが若いみかちゃんに話しかけてきた。
「温泉は良いなー温泉が一番良い、ところで世の中が悪くなつた、終戦後は人を見たら泥棒と思えと言っていたよ、人は信用したら駄目だよ、まず自分を守ることだよ、今もそうだ、株が上がったと喜んでいる人もいるが、とんでもない、日本はいつ破産するか分からないよ」戦時中のことからこと細かく数字を挙げて話していた。「へー」「へー」とお得意の相槌を打ってみかちゃんは返事をしていた。「人は悪い人ばかりではないと思うよ・・そう思わなければ寂しいよ、良い人と悪い人とをよく見分けなければね」と自分の意見を述べながら少々反論もしながら話を聞いていた。
温泉から大平台の駅まで約5分で着いた。
帰りの電車に乗ると「これ大船の駅に付くまでに詩を書いて、宿題よ!私も書くからね」そう言ってみかちゃんに下書き用のノートと寄木の貼って在る葉書を渡された。
「参ったなー・・こんな策略があったんだ、でも凄いね、とっさに考え付くんだね。企画力が在るんだなー」「うん、今を最高に楽しくしたいよね、と思うんだ」
二人は電車に揺られながら旅の詩人にになってボールペンを握った。
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湯上り みか
ジュースじゃなくて
コーヒーじゃなくて
ビールでもカクテルでもなくて
差し出してくれたのは
なみなみ注がれた人肌の温泉
目じりをたれ下げきって
たれ下げ合って
ブタとペンギンのコップで乾杯
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
登山電車 いのうえ つとむ
ゆっくり ゆっくり
紅葉は散り始め
ゆっくり ゆっくり
枯葉が揺れて
ゆっくり ゆっくり
旅は二人ずれ
ゆっくり ゆっくり
登山電車は走る
ゆっくり ゆっくり
今日の一日
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大船駅に下りて、「てんや」で夕食、安くて美味しいからと大船で食べる事にした。
出るとき食事代を渡したら「駄目よ、じゃぁ、このぶん奥さんにお土産
ね」といってケーキを買ってくれた。
「これからも自分のものは自分で持つ、割りかんよ」そう言って決して
おごらせようとしない娘さんである。金銭感覚が綺麗な娘さんである。
葉書に書いた詩を何度も読みながら「凄い宝だ、嬉しい、嬉しい」と喜んでくれた小さな旅であった。楽しい旅であった。
(2005・12・11)
(このエツせーと詩は心の友・みかちゃんに贈る)
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- 2005/12/12(月) 06:22:35|
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いのうえ つとむ
12月にもなるとさすがに朝は寒い、桜の落ち葉は意外と赤いものだとか、銀杏の葉は中々腰が強いとか思いながら、メール便の配達で街路樹の落ち葉を踏み少し奥まった家の前に来た。珍しく奥さんが白い猫を抱いて玄関に出てこられた。「真っ白ですね、可愛いですね」といつものように挨拶をしてから声をかけた。あまりに綺麗で品の良い猫なので「外国の猫ですか」と思わず口にした。「いいえ、日本の猫よ、それも野良ちゃん・・赤ちゃんの時、カラスに突付かれて後ろ足が動かなかったのよ」。よく見ると、なるほど後ろ足を引きずっている。「リハビリしてね、少しよくなって歩けるようになったのよ」。もし男なら貴公子、女ならお姫様、そう思われるほど気品の在る真っ白な猫である。僕が初めて見た交じり毛の無い白い猫だ。外に出たがるので玄関の柱に紐でつないでおくという。前に書いたエッセーの「三毛猫ミー」の鎖につながれた姿を思い出した。「放してしまうと他の猫の病気を移されるからね」「猫にもエイズが在るそうですね」「そうなのよ、猫にもエイズが在るのよ、怖いわねー」と話しながら真っ白な毛並みをなぜてみた。手入れの良い柔らかな毛だ。前の飼い主に捨てられカラスに襲われていたのを、幸運にも今の飼い主に拾われ、恵まれたごくまれな猫だと思う。
夕刊を配達している団地のゴミ置き場でいつも茶色の混じった黒い猫に合う。二ャーと鳴きながら僕の顔を見ると野生の性か垣根に隠れる。一度隠れてから、またでてきて挨拶をする.薄汚い猫だけれど可愛いものだ。言うなれば「猫のホームレス」だ。行動の鈍さを思うと年寄りのように見える。時々中学生の少女が背中をなぜているのを見かけた。在るとき二羽のカラスがこの猫を攻撃していた。僕が近くに寄って脅すとカラスは何くはぬ顔をして少しはなれたところでこちらを見ていた。年老いた黒猫は防戦一方で、もう少し遅ければ大怪我をしていたと思う。カラスの嘴は特に厚く丈夫だから、かなわないだろう。
それにしても最近は「黒猫ホームレス」の姿を見ない。どうしたのだろうか、心配である。元気ならば良いが、これから一層寒くなるのに。
(2005・12・9)
(このエッセーは愛猫家・水島美也子先生に贈る)
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*「三毛猫ミー」は下の(read more)をクリックしてくださいね。
このエッセーが読めます。
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- 2005/12/09(金) 20:04:59|
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朧月夜・四季 いのうえ つとむ
朧月夜はやはり春が一番よく似合う。満開の桜、桜吹雪の中の朧月夜、想像しただけでも得がたい趣を感じる。
そこへいくと夏は蚊に刺され、蒸し暑く明日の雨を予感してしまう。
秋は何故か寂しい、吹く風も襟元に寒さを感じ秋の夜は寂しい。
冬は寂しさを通り越して悲しみを覚える。
十代の頃父が読んだのか文学青年の叔父が読んだのか吉田絃二郎という詩人の書いた随筆が家にあって読んだ。悲しみを帯びた美しい文章であった。冬の朧月夜はこの詩人の筆になっても悲しいと言ったと思う。乾いた空気と背筋にジンと来る寒さと柔らかな朧月夜とが不似合いかもしれない。
貴女は「生きる」というより「生かされている」という思いがすると言われていた。考えてみるのに生まれてくること自体が自分の意思ではない。両親の快楽の賜物でこの世に生を受けた。人間として生まれてきたが自分の意思ではない。小さな虫も大きな象も雄と雌の交尾によって生まれる。何に生まれてくるか選択することは出来ない。親を選ぶことも出来ない。人間に生まれてきたことが不幸と感じるか、尊く幸福と捉えるかはその人の生まれてきた境遇によると思う。
太陽系そのものが宇宙全体から見ると小さな存在だと天文学は明かしている。巨大なエネルギーの宇宙がどうして在るのか不思議だ。少年の頃大空を見て自分が虫けらのように感じて友達に手紙を書いたことがあった。もしこの自分の生命が宇宙と隔絶したものであるならば虫けらと同じように虚しい。自分の生命が大宇宙と一体であると説かれ生命の本質を明快に解いている仏法哲学の深遠さに驚嘆する。生きることの喜びを感じる。生かされている大きな力(運命)から見れば自分でハンドルを操縦すること事態小さなことかもしれないが・・それでも喜びとして満足する。もう東の空が明るくなってきた。今日も元気によくぺタルを踏もう。
(2005・11・19)
〈雨さんと満月を見てくれた皆さんにおくる)
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- 2005/11/19(土) 05:34:02|
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裸の出会い いのうえ つとむ
箱根の姫の湯で30代後半かと思われる青年と二人で湯に浸かっていた。感じの良い青年だったので声をかけた。笑顔がまた爽やかな青年だった。名刺を頂いて見るとコンピューターのプロだった。家に帰って教えていただいたブログを開いて見ると全国の温泉めぐりをしていて「温泉リラックス」に自分の歩いた記録を書かれていた。まさに裸の出会いだった。
裸の出会いといえば、一人思い出す人がある。それはドリフターズの加藤茶んである。テレビに顔が映るたびに思い出した。
箱根の姫の湯に行く前にテレビを付けたら、加藤・茶んがドリフの特集に出ていて苦労話をしていた。その裏話を聞くと あの笑いの影にずいぶん苦労をしているなと思って見ていた。「ある日、仕事が終わって家に帰ってみると お袋の返事が無い。お袋!お袋!と何度呼んでも倒れていて返事をしなかった。救急車を呼んだがもう駄目だつた。高血圧で前にも具合が悪くなったことがあって、大丈夫だというのでそのままにしたのがいけなかった。あの時、気がついておればこんなことになら無かった。自分が殺したようなものだ、俺も死のうと心に決めた。葬式のときお坊さんが『あんた死ぬ気だね』と言われぎくりとした。誰にも言っていないのに どうして分かるのですかと聞くと『顔に出ている』と言われ、『お母さんはあなたには未練は無いんだよ何にも未練は残すことは無いから逝ったんだ、あなたは自分の使命を果たしなさい』と諭されて本気で仕事に打ち込んだ」と話し終わった。そして彼のお母さんの遺影が映し出された。妻にテレビを見るように床を叩いて合図を送ると懐かしそうに見ていた。もう40年ほど前のことが昨日のことのように思い出された。
彼はまだ若く下済み生活をしていた頃のこと、キャバレーなどでドラムを叩いていると聞いていた。鶴見のアパートの近くに住んでいて僕も30代最後の年だと思うが。彼のお母さんと妹さんはよく遊びに来てくれて、生まれたばかりの長男を抱いたりおんぶして「可愛いね、可愛いね」とあやしてくれた。妹さんが悪気は無いが「お母さんがオシの赤ちゃん」と言っていたのがいつまでも耳朶に残っている。銭湯のおばさんが洗い場の掃除をしている頃、僕がお湯に浸かっていると小柄な青年が入ってきた。「今晩は」と挨拶を交わすだけで一言も話すことも無く「感じは良いが無口な青年だな」と逢うたびに思った。それがやがてブラウン管を一人締めして「ちょっとだけよ」と笑いを振りまいた青年であろうとはその時は思ってもみなかった。
彼はお母さんと妹さんと三人暮らしで楽な生活ではなかったように思う。お母さんも妹さんも良い人で、親思い、子思いの家族だた。・・・僕がアパートを家主から空けて欲しいと言われている時だった。「今度東京に越すので今いるアパートが空くから家主に話しておくね」とお母さんがずいぶん力になってくれたが「子供のいる人には貸せない」と断られてしまった。どのアパートも部屋が汚れるからと子供連れは嫌われ断られて苦労した。
加藤茶ンが急に売れるようになり、一躍有名人になってからお母さんが亡くなられたと知人から聞いたが、彼が後追いして死のうと思ったのがよく理解できる。それほど息子を思う母親であったから。
(2005・10・10)
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- 2005/10/10(月) 06:02:24|
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