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走れ!でんどう三輪車
齢70にしてブログなるものに挑戦!人生まだまだこれからですよね(^^)//。俳句や詩歌を趣味として又釣り人として、 、、、、、はたまた「でんどう三輪車」として、日々の出来事を綴ります。

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禁じられた遊び

  禁じられた遊び   いのうえ つとむ

・・「僕・何処から生まれて来たの」と
幾つの時か記憶にないが、
母さんに聞くと笑いながら
「大川の橋の下から拾ってきたんだ」と教えてくれた
父さんにも聞いたが同じ返事だった
・・でも嘘っぽく思えた

少したって大きくなって
年上の女の子が教えてくれた
畑の隅の隠れた場所でパンツを脱がされた
「こうして子供は出来るのだよ」と教えてくれた
初めて女の子の体の柔らかなことを知った
「ままごと遊び」
動物も人間も同じだと教えてくれた
・・「お医者さんごっこ」は禁じられた遊びだと子供心に感じた
それっきり最初で最後だった


思春期になって性に関する言葉を見つけると
眼を輝かせて辞典を開いた
一つ一つ知っていく・・あの感動は
まだ心の奥に少しは残っているだろうか

性行為で人間の生まれることは知った
そして自分も親になった
だが「命」は
何処から生まれて来るのか
いまだはっきりと定かではない

宇宙が生命の源だと
理解しているつもりだが
あまりにもスケールが大きすぎて
手に取るように実感が今一つ無いのが・本音

この体は精密機械よりも尚精密だけれど
あまりにも自分が小さすぎて

 (2006・2・7)


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  1. 2006/02/07(火) 09:46:35|
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ヤマモモの樹の下で

   ヤマモモの樹の下で

僕の住んでいるこの団地は所々にコンクリートの階段がある。この階段に一人の老人が 日課のように奥さんと腰掛けて休んでいる。ヤマモモの樹の下で休んでいる。散歩の帰りだ。

夕刊の配達を終えて、時々隣に腰掛けて話をする。老人といっても昭和10年生まれの僕と同じ年齢だ。

この団地に入居以来、30年余の仲の良い友人だ。彼が健康な時は車でアサリを採りに行ったり、芹を採りに連れて行ってもらった。

五年ほど前だったと思うが「井上さんの顔が見えないよ!」と言われて驚いた。糖尿病の合併症で失明した。急なことで本当に驚いた。

昨年の秋、銀杏の実っている頃、僕も入院した。糖尿の教育入院で二週間ほど入院した。糖尿病の合併症の恐ろしさを教えられた。

恐ろしいことは本人の自覚が無いまま、急に失明したり壊疽になったりする。自覚があれば誰もが用心すると思う。

朝起きて顔を洗い、タオルで拭き終わり顔を上げて見ると何も見えない。それほど急にくる。そんな話を同室の患者から聞いた。

30才代の青年が同じ病室に入院して来た。彼は片方の目にきた。両目にきたら失明だ。「片方で気がつき良かった」と言っていた。

壊疽も恐ろしい。蛆虫が湧いていても本人は気がつかない、分からない。村田秀雄が足を切った。腿の付け根から切った。

何故もっと早く、膝のところで切断したとき気を付けなかったか?と思うけれど、本人は痛くも痒くもなく分からない。だから恐ろい。

今、頭上でヤマモモが実り、熟して来て今年は豊作だ。子供の頃は美味しかった。食べるものが無い時代だから、特に美味しかった。

大きな実を友達と山に行って探して食べた。楽しかった。
ヤマモモの実は、甘酸っぱく、独特の香りがして美味しい。

家族に食べさせるとそれ程でもないらしい。
僕には子供の頃の郷愁という味が含まれているから、今でも美味しい。

ヤマモモが美味しいと思える、食べ物が不足した時代には、糖尿病は少なかった。バナナなど めったにお目にかかれない時代だ。

粗食のほうが健康的なのだろう。今は食べ物がありすぎる。だから糖尿病のような生活習慣病が増えた。

ヤマモモの樹の下で、熟した実を見上げながら思った。

 (2005・6・23) でんどう三輪車


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  1. 2005/06/23(木) 06:40:55|
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カラスの勝手

    鳩の一生

夕刊の配達中のことであった
植木の根元に鳩の羽根が散っていた

小学生の女の子が「 可哀そう 」といって鳩の羽根を見ていた
「 おじさん可哀そうだね 」と涙ぐみ恐る恐る触っていた

団地はゴミの整理が進んで
カラスの食べ物が少なくなったのだろうか

以前カラスに攻撃されている鳩を見た事があった
駅のホームにも鳩の羽根が散っているのを見た

生まれて来たものは必ず受けなければならない この現実と・・
小学生の女の子は初めて直面した

僕もこの生死の問題を 横目で見過ごすような生き方をしてきた
真正面から見据えることを避けてきた

あと何年 いや あと幾日 生きられるのかと考えたら
遣る瀬無く 切ない そして恐ろしい

真剣に考えたら一日一日を無駄に出来ない
だが人生には無駄が付き物だ

僕の過去は無駄の連続だ
この無駄を惜しむ気持ちは一向に無い

「 一日一日を無駄に出来ない 」
いや「 無駄があってもいいんだ 」と

相反する考えに僕は今もって整理がつかない
まさしくハムレットの心境だ

生ある者 誰人も漏れる事なく行進している
それぞれ己の最後の日に向かって

目に見えないが それは確実
少女と残された鳩の羽根を見つめながら思った

いずれにしても生死を見据えて
日々健康に送りたい



  (2005・6・20) でんどう三輪車

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  1. 2005/06/20(月) 00:28:34|
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くちなしの花

   くちなしの花

高台の家の垣根にくちなしの花が咲いていた
くちなしの花は香りというより匂いの強い花だ

あの強い匂いを嗅ぐと子供の頃を思い出す 
小川の洗濯場の土手にくちなしの花が咲いていた

その小川で洗濯をする洗濯石があった
洗濯をする母の近くでよく遊んだ

蟹や小さな海老を捕らえてよく遊んだ
春から夏の小川の洗濯場は格好の遊び場だった

だが冬の洗濯場は母にとって辛い場所だったようだ
冬は井戸水が少なく涸れるのを恐れてか使えなかった

冬でも井戸水は暖かい だが井戸水では洗えなかった
木枯らしの日も雪の降る日も冷たい小川で洗った

子供のオムツや服を毎日冷たい小川で洗った
農作業の間の洗濯だ

それが母の時代の嫁の生活だったようだ
ちなみに 今は洗濯石はもう無い

気に入らなければ
「出て行け」の一言で終わり

体が弱くても 子供が出来なくても
「この家から出て行け」の一言で終わり

「あの家の娘はでもどり」と 世間のうわさ話が恐ろしいので
嫁入り先から帰りたいと言っても許されなかった

「二度と敷居をまたぐな」「帰ってくるな」と言われ 
どんなに辛くても 世間体を憚り帰れない

母の時代は 嫁ぎ先で辛い事があっても
我慢に我慢を重ねて暮らすしかなかった

母が泣きながら僕の手を引き真夜中に家を出たことがある
それを父になだめられて連れ戻された

「嫁姑の中」と言われるように
この時代は それぞれの家庭にドラマがあったようだ

そう思うと今は時代が変わった
良くも悪くも変わった

若い世代の人には想像もつかない事かも知れないが
それだけ女性の地位が上がったのだろう

結婚しても燃えている時は分からないが
一旦冷めてしまうと 元々所詮は他人

自分の欠点はさておき 相手の欠点ばかり目に付く
それがこじれる原因だ

「 夫婦喧嘩は犬も食わぬ 」とはよく言ったもの
風呂敷包みを担いで我が家に駆け込んだ奥さんが昔いた

定年後 今は仲良く犬の散歩をされている
あの時 別れなくて良かったと思う

しかし離婚したから不幸だとは限らない
離婚して幸せをつかんだ人もいる

その人の生き方 価値観だと思う
歌の文句ではないが「人生いろいろ」

「男もいろいろ」「女もいろいろ」
自分の幸せは自分で築く・・・

家庭を築くのも人生
独身で身を立てるのも人生

いずれにしても人生とは 苦労がつきもの
苦労があるからこそ 幸福が実感できると思う

どんな苦労も どんな不幸も乗り越えて
毎日が 嬉しくて 嬉しくて 楽しくて 楽しくて

そんな生活が送りたい
そんな人生でありたい

  

(2005・6・17)でんどう三輪車

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  1. 2005/06/17(金) 13:54:02|
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一つまみの塩

     一つまみの塩
夏みかんを食べた
田舎から送ってきた黒い斑点のある夏みかん
子供の頃 夏みかんもスイカやトマトと同じように
塩を付けて食べたことを思い出して耳掻き一杯のほどの塩をつけた
海からの贈り物・・・天然塩の奥深い味と溶け合って・その味は子供の頃を思いだす

ぐつくつ ぐつくつ 小豆を煮込み
砂糖を入れる そこに 母は 一つまみの塩を入れていた
「どうして塩を入れるの」
「塩を入れるとな・10倍も甘くなるんだよ」
この塩が無ければ生きていけないんだよ」

終戦後も 食塩は煙草と同じように専売公社独占の貴重な食物
海辺の家庭では暖簾のように荒縄をつるし海水をかけて自家用の塩を作っていた

スイカやトマトにつけた一つまみの塩
甘いお汁粉の中に入れた一つまみの塩

この一つまみの塩加減が 生活にも 作品にも大事だなと思う
「スイカにジャムをつけるなよ」と言いたくなることがある

一つまみの塩
この塩加減を生かしたい



  (2005・6・17)(でんどう三輪車)










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  1. 2005/06/17(金) 06:38:26|
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キュウイフルーツの花は白かった

  白い花の人工交配

雨上がりの朝だった。生まれ育った田舎の家の裏の畑でキュウイの白い花が咲いていた。花も葉も昨夜の雨で濡れていて畑には入れなかった。蜜柑の花のような肉厚な白い6枚の花びらだ。大きさはコスモスの花ぐらいだろう。

10時ごろになってやっと露が乾いてきたので、兄夫婦の仕事のお手伝いだ。キイュウイは梅や桜と違って、銀杏と同じように雄の樹と雌の樹があり、実の成る樹は雌の樹である。交配のため、ところどころに雄の樹を植えてある。雄の樹がないと実が付かないそうだ。
蜜柑や林檎や梨のような果実はほとんどの花が雌しべと雄しべが同一つ花にあると思う。

ミツバチだけで交配させる農家もあるそうだが、果実が小さく市場に出しても高値は付かないので、大きくて美味しキュウイを作るには手間と隙をかけて人工交配をしなければならないという。

脇花というか、余分な花を取り除くこれだけでも大変だ。花粉を採るには、雄の花を摘んでカッターの機械で細かくして、雄しべと花びらや余分な塵を選別して雄しべだけにし、それを乾燥させて花粉だけにして、その花粉に赤い色をつける。これだけでもなんと手間のかかることか。

さあ。これから人工交配だ!「花粉交配機」があって、昔、カメラ屋さんが・ゴムの袋を握ってシャッターを切った・あのようなゴムを握ると細いノズルから赤く染めた花粉が吹き出る。一度かけた花は赤く染まっているので二度かけることは無い。この日は三分咲きぐらいだろうか?一度に咲かないので助かるようだ。

こういう仕事はおしゃべりをしないと持たない。たまたま無農薬の話になった。「蜜柑の農薬で最初1000倍に薄めるよう支持があったので1000倍に薄めたが後になって1500倍だという。報告のときに正直に1000倍と書いて報告したら始末書を書かされた。
1500倍と嘘を書いたものと報告しなかった者はそのまま通った。
正直に書いたものだけが馬鹿を見る時代だよ。」・・・
「無農薬なんて信用しては駄目だよ・・・本当に無農薬なら虫食いだらけだよ。・・・嘘だと思ったら自分で作ればわかるよ・・・減農薬だってどれだけ減農薬か分からん。・・・町の人は無農薬だ!減農薬だ!と言えばすぐ飛びつくからなあー・・・」

今まで、値段ばかり高いの安いのと気にしていたが、農作物がこんなに手間隙のかかるものとわかった。無駄にはできないと思う。八百屋さんに虫食いだらけの野菜があったらいいな・・・せいぜい曲がったキュウリぐらいだもの・・・。

    (2005・5)  でんどう三輪車

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  1. 2005/05/26(木) 22:25:54|
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三輪車のひとりごと 5

   汽車の警笛

「 青木ヶ原の樹海に入って行く人が今年は多い 」 と新聞店のパートのおばさん達が話していた。樹海と言えば風穴洞に一度行った事がある。雪の富士山を背景にした七かまどの赤い実が目に浮かぶ。又このごろは人身事故で電車がよく不通になる。年の暮れは何故か事故が多いと話していた。

 僕が幼少の頃、お爺さんやお母さんは畑仕事を終えて家にいた。父は戦地に行っていなかった。
ある日、僕より幼い子供を連れて婦人が尋ねてきた。我が家の隣の家が親戚なので頼ってきたが疫病神のように追い払われたと言う。「 主人が戦死して生活が出来ない 」 と泣いていた。
「 あいつは冷たいやつだなあ 」 と言いながらお婆さんがお米を袋に入れて渡していた。「 これで子供に白いお米が食べさせられる 」 と礼を言って婦人と子供は帰っていった。「 困ったらいつでも来るように 」 と激励して家族で見送った。日暮れの薄暗い道をとぼとぼと帰っていく母子の後姿が今も忘れられない。 

 その日の夜中になってホーホーホーと汽車の警笛が聞こえてきた。いつもより長いので 「 事故があったな 」と悪い予感がした。
朝になってお爺さんと歩いて駅に行ってみると、案の定・・・母親と子供が心中していた。綺麗に掃除されていたが踏み切りより50メートルるほど名古屋寄りに離れたところの線路に白いお米が散らばっていた。「 あの世に行っても子供にひもじい思いをさせたくないと思ったのだろう 」 とお爺さんはつぶやいていた。悲しくあまりに痛ましい思い出だ。

 これは生きる気力を失った不幸の極限の生命状態で 「 地獄界 」 と言われる。他人事ではなく、誰にでもある生命状態だと言う。誰もが不幸の主人公に成りたくは無いと思う。だが人生、一瞬先は闇。行く先々どんなことがあるか分からない。いずれにしても何かあったとき相談できる人がある人は幸せだ。良い友達を持つことがどんなに大事かと思う。

 調子の良いとき、景気の良いときは人は寄ってくるが、一転して苦境になると冷たいもので離れていく。そのとき初めて人の心は分かる。事があったとき人の心が分かる。

 人生案内に身内との金銭トラブルの相談があった。とかく借金癖のある者は自分の生活のレベルは落とさずに他人の懐を当てにするきらいがある。僕の仕事先の若い店員でパートの人たちにお金を借りまくっていたのがいて、僕にも必ず返すからといって借りにきた。ヘビースモウカーなので「まず煙草を止めたら?」と言うと 「 止められない 」 と言う。パチンコはやるし呑み屋にも出入りしているようだ。ブラックリストに載っているというが、本当に困っているのではない。

 本当に困っていても、きっぱり断ることが本人のためになる。
断らないのなら、とことん地獄の底まで付き合うしかないと思う。その場合どこまで借り方を信用できるかだとも思う。

人生、晴れた日もあれば、雨の日もある。曇りの日も、雪の日も、嵐の日もある。僕はいつも思うのだが1年365日、1日24時間、天文台から発せられる正確な時間は皆平等だ。この天文台の時間と身に感じる時間との相違である。同じ1時間でも病院での待ち時間は長く、デートのときは瞬く間に過ぎる。辛い仕事や嫌な仕事は長い。仕事に打ち込んでいるときは一瞬に過ぎる。どうやら心の豊かさと貧しさに関係がありそうだ。心とは不思議なものだ。お互いに充実した一生を送りたい。

子供の頃に聞いた、あの汽車の警笛が遠く聴こえてくる。  

         (2003)  でんどう三輪車




  1. 2005/05/20(金) 04:51:33|
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三輪車のひとりごと・4

    一線を越した者と越せない者

 夜中の1時ごろか2時ごろ・・・ふと目が覚めてテレビを見ると京都の街を歩いている黒い靴を履いた黒い服の尼さんが映っていた。よく見ると女優の夏木マリさんだった。どう見てもカツラではなかった。そうしたら舞台の役柄で髪を剃ったと解説された。美人は髪があっても無くても美しい。しっとりと京都の町に溶け込んでいて、なぜか秘められた色気さえ感じた。しかしたいした度胸だと思う。芸人の中の芸人だと思う。役とはいえ髪は女の命。そう簡単に落とせるものではない。

 僕がいつも思うのは長髪に戦闘帽をかむった軍人の俳優だ。子供の時見た兵隊は将校もすべてイガグリ頭だった。その長髪を見ただけで興ざめしてしまう。それに反して夏木マリさんの芸に対する打ち込みには感心した。昔・「楢山節考」という映画があって、田中絹代が主演した。山に捨てられていく老婆を演じた。老婆を演じるのに前歯を全部抜いてしまった。それを聞いて一流の芸人の執念に驚いた。恐れ入った。だからこの映画は鮮明に記憶している。ある一線を越したものと越せないものの差はここにあるように思う。

 僕は器用にこなせるが、何をしてもこの一線を越せないのはこの執念の無さだと思う。僕が始めて映画を見たのは、村祭りの神社の星空の下の野外上映だった。
お祭りと言えば毎年・田舎芝居だったが、村の青年たちがこの年は映画にした。題名は忘れたが新人俳優・三船敏郎だけは覚えている。地べたに筵を敷いて海苔巻きの寿司を食べながら見た。それからほど経ってから街に行き、「羅生門」と「無法松の一生」と「楢山節考」を見た記憶がある。近所の友達が名作だから見たほうがいいと教えてくれたので、それぞれ見に行った。 今思うと見ておいてよかったと思う。街まで出るのが面倒なので他に映画を見た記憶は無い。

最近はテレビをつければ簡単にドラマも映画も見られる。だが良い映画が無いのかすぐに忘れてしまう。いや・年のせいかもしれない。

              (2004・1)でんどう三輪車



  1. 2005/05/16(月) 23:55:44|
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三輪車のひとりごと・3

  見上げてごらん夜の星を・・・
    子供は国の宝、人類共通の宝!!

 伊豆の狩野川に鮎を釣りに行き、野宿をした。砂を撒き散らしたような星空を見上げると天の川が緩やかに流れていて、オリオン星座が瞬き、北斗七星が北を指していた。小さなテントの中に入り川の瀬音を聞きながら横になると、草や土の香りがして地球に抱かれている・・・そんな甘い感傷に耽って目を閉じた。

 僕は科学的な知識は何も無い。辞典を紐解くと「地球は40億年前に誕生して、大気に覆われ、水を多量に保ち、人類をはじめ多様な生物が生存する」とある。

 教育テレビの子供の時間で「ネアンデルタール人は絶滅した。ホモサビエンスと交わってもDNAが違うので子供が出来ないからネアンデルタール人は絶滅した」と言っていた。 ホモサビエンスだけが生き延びて現代の人類へと進化したという。黒人も白人も、また黄色人も、色や体形が違うが、環境の違いによるもので元をただせば化石現生人類ホモサビエンスで皆兄弟だという。
 
 猿から類人猿となり、ネアンデルタール人からホモサビエンス、へと進化して現代に至ったと思っていたが違っていた。

 夕刊を配達していると、ちびっ子たちが子供用の自転車で「でんどう三輪車」の後を追ってきて、時には体当たりをしてきたり、競争したりしたが、一家族がこの団地から越してしまうと、残された子がいつも寂しそうにしている。ともかくこの団地も子供が少ない。少子化時代だろうか、子供が少ない。どの子供でも子供は大切な宝だと思う。
 
 集金のとき、ご夫婦とも夜・帰宅が遅く子供さんに新聞代を預けられた方がいて、僕がつり銭を子供に渡すのを忘れてしまった。自分では渡したと思い込んでいたが、留守番の子供の心を傷つけたと思うと土下座してもすまないことだと思った。月末で納金が迫り、階段の上り下りで疲れ切っていたとはいえ申し訳なく思った。ご両親が良い方だったので「子供がどんな思いをしたか、知ってほしい」と軽く言われただけなので尚更申し訳なく思った。

 最近少年犯罪が多い、それも殺人事件が多い。ある大臣が「殺人を犯した少年の親の責任だから親を市中引き回しの上、首をきれ!」とずいぶん乱暴な発言をして問題になった。
子供たちは一歩・軌道を外れてしまうと、自分の子供でも手に負えなくなり悩んでいる人が大勢いる。おそらくこの大臣は何不自由なくエリートコースを歩いてきて庶民の心情を理解できないのだと思う。「子供を失った親にはなりたくないが・それ以上に殺人を犯した子の親にはなりたくない」と言う人が多いと事件後に報道されていた。

 足の小指に菌が入って腫れてしまい10日ほど夕刊の配達が辛かった。そのとき体の不自由な人の辛さをしみじみ感じた。
自分が痛い思いをしないと他人の苦しみは分からないと思った。 
 10年一昔になるが平成2年7月30日に末の娘を交通事故で亡くした。辛かった。昨日のことのように思えて今でも辛い。けれど加害者を憎むことは無かった。人を憎むことは自分の命を害する。それで僕は救われた。憎むという心に縛られなかった。辛いながらも地獄のどん底に落ちなかった。そのとき加害者の親にもなりたくなかったから、憎むことは無かった。憎めなかった。

 大臣は戯言を言っていないで、麻薬の撲滅を考えてほしい。ある国が国家資金源に麻薬を製造し密輸してそれを暴力団が売りさばいているのではないか?とマスコミは伝えている。人の不幸の上に富を築くものは許せない。これは大悪だ。この麻薬を根絶して毒牙から子供たちを守らなければならない。健全な青少年を育てていくのは大人の責任だと思う。政治の責任だと思う。
子供は国の宝、人類共通の宝だから!

 見上げてごらん夜の星を!
夜空一面の星を都会の人は忘れている
オリオン星座を忘れている
北斗七星を忘れている
銀河宇宙の中の自分を忘れている
宇宙の中で生きていることを忘れている
今年は火星が最も大きく見えて
「子供たちは宇宙の宝だ」と瞬き教えてくれている

      2003・10  でんどう三輪車




  1. 2005/05/11(水) 23:44:43|
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三輪車のひとりごと・2

生涯青春・人生70歳から

 新聞の集金に行くと時々年齢を聞かれる。63歳ぐらいなら36歳と反対に言って笑って済まされるが、68歳だと反対に言うわけにもいかず、「10年生まれです」と仕方なしに答える。
たまに「あら私と同じ・じゃない、でも50代に見えるよ」と言われると、そんなに若く見えるのかなーと少々嬉しく思う。
20代とは言わないが、何故か30代の心意気でいる。
・・・・・残念ながらまったく体が付いていかない。

そんなとき・・・「あと僅かで70歳だなー」と しみじみ思う。
・・・集金しているこの団地の人も僕と同じ年頃の方が多い。
「20歳までは正月が来るのが待ちどうしかったけれど、20歳を過ぎると年を食うのは早いね、まるで特急だね」なんて愚痴をこぼしあう。

 そんな折、読売新聞の編集手帳の欄にプロスキーヤーの三浦雄一郎さんの記事が掲載されていて目にとまった。驚いた・・・
またテレビの対談を見て驚嘆したね!・・・
70歳でエベレストに挑み8848メートルの山を登ったという。フランスのモンブラン山郡の氷河をラッカサンぶら下げてスキーで滑降したとんでもない冒険おじさんだが、それにしても驚いたね。・・・
『一時仕事を休んでいたら、体がぶくぶく太りだし小高い丘も登れないほど体力が衰えて、「これはまずい」と思っているとき99歳になる父・敬三さんが現役でスキーを滑っている。これでは笑われると思い父親を「あっ!」と言わせるには何かせねばと考えたのがエベレストを登ること』だったそうだ。
 それから5年間かけて体力を鍛えて資金づくりもしたという。
アナウンサーに言われてテレビ画面に靴を見せていたが
年々錘を重くして振り子のように歩くのだそうだ・交差点で途中で赤になると一番困るとも言っていた。思いついたらきちんと計画を立てて・・・実行する。やっぱり一流人は違うね。

 待て待て、感心して終わりでは困る。一流人も人間、三流、四流の我も人間、自分なりに目標を立ててきちんと計画を実行する。ということで結ばないと?

 「他人と比較するより昨日の自分と、今日の自分はどうか・が大事だ」、と人生の師匠の言葉がある。そして「希望を持つことが若さの秘訣である」とも・・・
さてさて、我輩は何をするべきか?・・・夕刊の配達と集金と契約。一見。団地の5階と8848メートルではそれこそ天地の違い。・・・だが内容が違うと思うよ!配達しながら集金しながら契約を頂きながら、団地の皆さんと語り合い、心の交流がある。生涯青春!共々に幸せでありたいと願う心の交流がある。

それが僕の希望であり生きがいである。

      2003・9  でんどう三輪車



  1. 2005/05/10(火) 08:24:21|
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三輪車のひとりごと・・・その1

君の瞳は10000ボルト・地上に降りた最後の天使・・・
君の瞳は10000ボルト・・・ウレシイー
 
僕が永年働き、定年退職まで勤めた会社は葵ネオンというネオンサインを主体とした広告の会社で、ネオン看板からドアーの文字書きまで制作していた。主に資生堂の仕事をしていて、毎年銀座祭に街を練り歩く花車も制作していた。
20何年も前のこと、バスを改造してネオン管を張り巡らした車は約2000万円の制作費がかかり、連日突貫工事だった。最後の仕上げに音響調整でボリュムを目いっぱい上げてガンガン鳴らした。・・・君の瞳は10000ボルト・・・だけが何故か耳に焼き付いてしまった。花車のモデルさんたちの踊りの練習を見るのが又楽しみだった。

 僕が読売新聞の夕刊配達を始めてまもなく集金もやることになった。これが大変だった。お金を扱うのも初めてで、つり銭に戸惑ったこともあるが、前の集金の方が女性の方だったのでなかなか信用してくれなかった。「嘘をつけ!読売だと言って00新聞だろう!」00新聞の拡張員が読売と嘘をついてドアーを開けさせたというのだ。運悪くそれが僕にそっくりだそうで、行くところ行くところ怒鳴られた。
子供に「ドアーを開けないで」と叫ぶお母さんの声も聞こえてきた。五階までの団地の階段の上り下りの足が重かったこと。

 それが、今は自分の名前を名乗れば「新聞屋さん、ちょっとまっててね」と奥で声がして・まもなくドアーを開けてくれる。ほとんどの方が笑顔で迎えてくれる。その笑顔は宝石よりも美しく
高価で、僕に10000ボルトのエネルギーを充電してくれる。
・・・ウレシイー             
              2003/8 でんどう三輪車
                   



  1. 2005/05/09(月) 15:59:05|
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