走れ!でんどう三輪車
齢70にしてブログなるものに挑戦!人生まだまだこれからですよね(^^)//。俳句や詩歌を趣味として又釣り人として、 、、、、、はたまた「でんどう三輪車」として、日々の出来事を綴ります。

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鮎の川が来い来いというので!

8月11日木曜日・河井さんと桂川に行ってきました。
河井さん10匹、でんどう三輪車5匹とウグイ1匹。この川は水が綺麗なので、ウグイも美味しいよ。全体に釣れていない日でした。
グッググ!ガンと強烈なアタリアタリ。凄いスピードで川中を走り回る!「尺鮎か!」思ったが大きすぎる!跳ね上がった姿はヤマメらしい。寄せられるか?と思った瞬間。プツリ。

深みにヤマメがが相当いるようだ。今度は糸を太くして対策を!
すっかり河井さんにお世話になりました。有り難うございました。



  1. 2005/08/11(木) 22:43:38|
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鮎との出会い、人との出会い

  鮎、よもやま話  いのうえ つとむ

(1) 出会い

僕の人生にも、多くの出会いがあったが、河井さんとの出会は、運命的なものを感じる。
事の発端は、僕が相模屋釣り具店さんの鮎のバスツアーに参加したことである。

僕が、電車を乗り継いで2時間以上も掛け、相模屋さんに行くのは、以前、相模原に長男の家があり相模川で鮎釣りを覚えた。そのとき、「良い釣具屋さんだ」と釣り人から聞いて、長男の家から遠いけれど相模屋釣り具店で鮎の釣具一式を購入した。そこで植田名人の講習会や、バスツアーにも参加した。新潟の魚の川に行ったときも、宮城の白石川に行ったときも、バスで帰ってきて相模屋さんに到着したのは、早朝4時ごろであった。ほとんどの方が解散後は自家用車で帰宅するのだが、僕はリックを背負い電車とバスで帰らなければならない。それを知った相模屋の社長さんが長男の家まで二度まで送って下さったのである。そのご恩があるので横浜からでも電車を乗り継いで時間を掛けても行くのである。

昨年と同様、鮎のバスツアーに参加したのが河井さんや有本さんや
若い近藤さんを知るきっかけとなり、釣り友達になれたのである。しかし、いつもなら話をしてもその日限りで終わってしまうのであるが、それには理由がある。それぞれ「お仲間」が有りお仲間に新規参入の余地が無いからなのだ。ましてリックを背負っての釣り人は足手間といである。だから行きのバスの中で話をしていても前と同じようにその日限りの出会いだと思っていた。

どこでもそうだが、僕はスローペースなので皆さんが釣りを始めてから、のこのこと川に入るのである。この日も皆さんが釣竿を構えているところへ遅まきながら川に入った。広い川だとはいえ、よさそうな所は先着がいる。ちょうど河井さんの釣られている川下が少し開いていたので礼儀なので「ここで釣らしてもらいますが良いですか」と声を掛けた。「ああ、良いよ」と返事が返ってきた。これが河井さんとの運命の出会いなのである。
帰りのバスの中で、河井さんから「ここで釣らしてくださいと声を掛けてきた井上さんの笑顔が良かった、気に入った。これからお付き合いしてくれませんか。」と言われて僕も「喜んで」と電話番号の交換をしたのである。有本さんは河井さんの元々の友人で、そこに未来の名人近藤君と僕が加わったのである。

(2) タモ網作りの名人

バスの棚に「良い手作りのタモ網があるな」と気づいていた。河井さんの作品だとも聞いていた。こうして手に持って見るのは河井さんのご自宅にお伺いしてからである。手作りのタモ網はその枠を萱の木で作るのだが、良い萱の木を見つけるのが大変なのである。両方に同じ太さで枝が伸びていて柄になる樹が程よい太さであるう事がタモになる条件である。その枝を丸い形にし、つなぎ合わせるのだが、今まで見た物はこのつなぎ目がはっきり見えるのである。だが河井さんのタモはいくら見てもつなぎ目が分からない。今も文章を書きながら見ているのだが分からない。釣り具店で売られているのよりも、丁寧に作られていて何処か気品がある。僕などこのような美術品ともいえるタモ網を使うのには10年早いのだが、10年も待てる年齢では無いので譲っていただいた。冬の長野の山奥で育った萱の木で作られた手製のタモを感慨にふけりながら眺めている。断崖に登り萱の樹を切り取っている河井さんの姿を目に浮かべながら眺めている。

(3) タモの網との再会

河井さんの今年作られたタモ網は何本あっただろう。どれもこれも素晴らしい出来栄えなので見とれていて、何本在ったか数え無かったので分からない。およそ完成品が15本ぐらい在ったか、木枠だけのがやはり15本ぐらい在っただろうか、趣味で始めたそうだが見事な工芸品である。試行錯誤してここまでになったようだ。苦労されたようだ。ほとんどが知り合いとインターネットのオークションで片付いてしまうという。井上さんにはこれがいいよと奥から出してくれたのは、柄に反りが少なく僕のような初心者用には反りの無いのがいい。最高の出来栄えで気に入った。

「井上さん聞いて下さい」と長野の山奥、立山の方面まで萱の樹を求めていった話の後に話された事は、親しくしていた釣り友達が「譲って欲しい」と何べんも言うので無料で譲ったそうだ。ところが、ある日、鮎釣りをしていて隣で釣りをしている人の鮎タモが気になって見せてもらった。やはり思っていたとおり、友人に譲ったものだった。がっくりしたそうである。そ知らぬ顔で「これはどこで手に入れられたのですか」と尋ねると「知り合いから4万円で買った」と言っていたから、怒り心頭である。自分の誠意を裏切られたことに言いようの無い怒りがこみ上げてきたそうだ。その場はこらえてきたが、思い出したくない事を話してくれた。「自分の作った鮎タモを喜んで使かってくれるのが嬉しいのであって、このような鮎タモとの再会は嫌だね」と話された。すかさず「僕だったら絶交だね」と言うと、それ以来彼とは一切付き合っていないと話されていた。

(4) 保証人

「恥ずかしいことですが」と自分の恥のように話された。それは河井さんがまだ若かりし頃、警視庁に勤めていた時代のこと、義理の妹さん夫婦が商売をしていて保証人になってくれるよう頼まれた。身近な身内のことなので印鑑を押して保証人になった。これがとんでもない事になってしまった。義理の妹夫婦は蒸発して今もどこにいるのか分からない。保証人になった為に、全額が河井さんの肩に架かってきた。何とかボーナスごとに趣味で集めた日本刀があったので肩代わりが出来たけれど日本刀が無かったら大変なことになっていたと思うと話された。二人の子供さんにも「兄弟でも保証人にはなるな」と教えているそうだ。今河合さんは警視庁を退職して好きな骨董屋を仕事としている。だからあの日本刀があればと時々思うそうである。

保証人になってはいけないと誰もが分かっていても、いざとなり、情がからんでくると情に負けることがある。心を鬼にして断るべき時は断らなければ自分の一生を台無しにしてしまう。僕の長男もそれで苦労をしている。また先日会社の同僚と何十年ぶりに会う機会があり、いろんな話の中で入社当時の事、お酒を飲みに行った時だと思うが、お店の女性に同情して二人が同じように保証人になった。300万円と400万円の借金をかぶってしまったと話していた。今頃になってやっと返すことが出来たと話してくれたが、当時では家が買える金額である。同じようなことが次々と起こり、この世の中は保証人になったがために苦労をしている人が後を絶たないようだ。

(5) 有り難うが言えない

前にも書いたことがあるが、僕が囮の引き舟を流してしまい、地元の人がナスのように小さく見えるほど遠くまで行って拾ってきて下さって、「馬鹿野郎これ位の瀬ぐらい渡って来い」「恥をかかせやがって」と怒鳴られた。荒瀬の中を一歩誤れば死ぬかと思うほどの川を渡った。お礼をしたいので名前を聞いたが教えてくれなかった。「人は見かけによらないね」と話すと、河井さんはその反対のことがあったと話してくれた。自分の目の前を囮の引船が流れてきた。流した人が困るだろうと何とか拾い上げて岸につないでおいた。案の定、引船を流したと言って川を下って人が来た。「そこに繋いでおいたよ」と言うと「あ、そおう」と言ってお礼も言わないでその人は持ち去っていったと言うのだ。何と寂しい心の持ち主だろう。話を聞きこのような人間もいるのだと思った。

(6) 天然鮎

僕は今だに、お人様におすそ分けするような釣りをしていないので、
こんな経験はしていないが、河井さんがご近所の方に釣ってきた天然鮎を差し上げたが後になって「傷があるので気持ちが悪いので全部捨ててしまった」と事もなげに言われたので「がっかりした」と言うのである。「奥さん、スーパーのパックに入っている養殖の鮎とは違うのです。針の傷があるのが釣ってきた天然鮎なんです」と声を大にして河井さんの代わりに言ってあげたいと思う。今度、僕も沢山釣れて人にあげる時は必ず天然鮎の釣り傷のことを説明することを忘れないようにしよう。
ご近所におすそ分けできるほど「沢山釣れるといいなー」と思いながら筆をおこう。

(2005・8・6)

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  1. 2005/08/06(土) 03:38:51|
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鮎を釣りに行ってきました

 鮎釣り

昨日仕事を終えてから、厚木の河合さんのところに泊めていただき今朝、(8月4日)山梨の桂川に行ってきました。

先週、台風の前に、近藤さんは(シマノジャパンカップ決勝20位)65匹釣ったというので、相模屋のバスツアーで仲良し「木曜」新グループのメンバーが声を掛け合い、はせ参じたわけです。今日は追いが悪く午後になってから釣れる様になりました。まだ良い釣り条件ではなく、釣れない人が多い日でした。河合さんに細かなアドバイスをしてもらい。名人級の若い「氷川きよし」そっくりの近藤さんの釣りを2時間ほど見せてもらいました。(65匹釣ったときは水深20センチの砂場で、1時間に10匹釣ったと河合さんが驚いていた青年です。)

この時も皆が見向きもしないような石畳のところです。丁寧な竿さばきで、見る見るうちに入れ食い模様で8匹ほど釣れるではありませんか。僕も、彼が「囮に使かって」と3匹、僕の囮舟に鮎を入れ替えるとき、彼の竿を持たせてもらったところ、ビリビリゴツン・・・・(ああ、眠たくて、ご免。マウス右手にダウン、おねんねです。朝5時目が覚めたので、昨夜の続を書きます。)
この感触!1年ぶり。
囮の鮎をいかに自然の鮎に見せるかです。野鮎が警戒しないで攻撃して来て掛け針に架かるのです。近藤さんの竿さばき、勉強になりました。

僕のようにへたくそは、石があって白い泡が立っている所、そこは野鮎が割合警戒しない「セオリー道理」のところで釣るのですが、そこは先客があっり、場所荒れしているのです。誰でも連れるときは釣れるのですが、釣れない日にどう釣るかが問題です。
「はい、囮です」と野鮎に見破られてしまい警戒して近寄らないのです。実に友釣りは高度な技術が必要です。

さて釣り成果はというと、「今日は釣れなかった」と言う近藤さんが僕に囮用にくれたのを入れて30匹、河合さんが20匹(近藤さんが午前中子供たちと川遊びをしていたので今日は近藤さんに勝てると思ったそうですが)、有山さんの友人の、大家さんがやはり約20匹、有山さんは今日はよくなかったようで元気がありませんでした。さて僕ですが何匹でしょう?ボウズで無いことは確かです。

クラーBOXを空けてみたら21匹も入っていました。レベルの高い良い鮎の釣り友達が出来ました。
人柄が良い人ばかりでそれが何より嬉しいのです。木曜は僕も仕事を休みます。鮎が呼んでいるから、良い友達が出来たから。
 
(2005・8・4・5) でんどう三輪車

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  1. 2005/08/04(木) 23:25:32|
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鮎の釣り友

  鮎の釣り友  いのうえ つとむ

この前の付知川(つけちがわ)の鮎釣のとき、バスの中で気の会う釣り友が出来た。7月28日(木曜)に、山梨の桂川がよく釣れるということで桂川に決定して、でんどう三輪車も一緒に連れて行ってもらう予定であった。それが台風の雨で川が増水して中止になった。僕は車の運転をしないので、一人で鮎釣りに行くときは、釣り道具一式をリュックに背負って電車で出かける。それがなかなか重く、駅の近くである事が必定条件で行動範囲が狭く、車で同行させて頂く事は願ってもない事である。

僕に鮎つりを教えてくれた青年は行方不明。鮎つりを始めた当時知り合った大山さんは、僕より5歳ぐらい年上の方で人柄の良い苦労人である。今は体調が悪く病院の入退院を繰り返していて釣りどころではないようだ。この方は在日韓国人で本当に苦労をされた方でした。韓国人というだけで仕事が無く、最初は奥さんとリヤカーを引いて、小田原の町を鉄屑などを集めて歩いたと運転しながら話してくれた。一番辛かったのは酒匂川の砂利運搬だッたようだ。山に入って炭焼きもしたそうだ。親戚から話があり、土木の仕事に就いた。少しずつ蓄えてきた資金で、土木を請け負うようになり会社を起こした。その苦労は日本人の僕には想像を絶するものだ。この人種差別は、差別する側の不用意な言動が、受ける側にとって、どんなに辛いものであったか大山さんの話を聞いて思い知った。大山さんは「名は体を現す」がごとく大きな心の方で豊かな人間性の持ち主である。次男の息子さんは富士山の大山といって世界的なカメラマンである。
一昨年、人工透析を受けるような体だけれど、どうしても鮎釣りがしたいと言うので、酒匂川に同行した。好きな鮎釣りに今年は行けるのだろうか、本当に善良な方で僕にとって忘れがたい釣り友である。

酒匂川の上流で意気投合した藤塚さんは、溶接の技術者で海釣りから渓流釣りのベテランで、今、鮎釣の魅力に魅せられている。多忙な中を工面して日曜日に川に行かれる。今年の春ヤマメ釣りに連れて行ってくれた。残念な事に午後になって僕が体調を崩して迷惑をかけてしまった。甲府の病院を探し治療してくれた。点滴を受け入院しなくても良かったが、深夜まで身内でも及ばないほどお世話になった。このような良い釣り友に恵まれて僕は幸せを感じる。

今度、河合さん、有山さんと、若い近藤さんの釣り友が新たに出来た。僕は鮎が釣れる事も願うが、よき釣り友に出会い我が人生に花を飾りたい。その麗しい人間関係があってこそ幸せを感じ、人間として生まれてきて良かったと感謝し、生きていて良かったと思うのである。
鮎の釣り人でもそんな良い人ばかりではない、大勢いる中でやっと会うことの出来た釣り友を大事にしたい。その絆が嬉しいのである。だから鮎釣りは止められない。

 (2005・28)

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  1. 2005/07/28(木) 05:57:27|
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心躍る!鮎の季節

    鮎の友釣り

僕は鮎釣りは まったく経験が無かった。
釣りといえば、子供の頃、小川で二度か三度ウナギ釣りをしたぐらいで、近くに水田用の溜め池があったが、その池の鮒つりも得意ではなかった。

相模川の上流の近くに長男の家があり、定年後、その家に書道教室の看板を出し、暇をもてあましながら川原で芹やクレソンを摘むのが日課であった。どこか心に大きな穴が開いていた頃だ。

美空ひばりの「川の流れのように」の声を耳に残しながら川面を見つめているのが好きだった。川の流れを見ていて過ぎ去った日々を思い出し時間の過ぎるのを忘れた。

そこで鮎の釣り人と親しくなり、「自分も鮎釣りをしてみたい」と一言いったら「教えるからやってみる?」と教わることになった。吉川君といった。車の事故が元で片足を引きずって歩いていた。元レーサーでレース中の事故だと言っていた。

川原でテントを張り彼は車で寝起きしていた。人それぞれいろいろな人生を歩んできていると思った。僕は、よくそのテントで野宿させてもらった。瀬音を聞きながら、星を見ながら眠った。

埼玉だか群馬に仕事に行くといって川を去ってから、二度ばかり電話があったが、今、この青年がどうしているのかわらない。
僕も相模原を引き払ったので連絡が途切れた。

六月になるとほとんどの川が鮎の解禁になる。だが解禁日には今だに釣りに行ったことが無い。釣り人で込むから避けている。都会の忌まわしい人間 関係をそのまま持ち込むから嫌いだ。

川にゴミを捨てる者、釣れていると見たら他人が釣っていようがその場所に、竿を入れてくる者、マナーの無さは数え切れない。10数万もする竿を盗られた人も何人もいる。おまけに車場荒らしもある。

だがそんな嫌な人ばかりではない。人さまざまだ。良い人に出会えるから鮎つりは止められない。どれほどお世話になったか計り知れない。体調を悪くして病院へ運んで貰った事もある。

何年か前、狩野川で鮎を入れる舟を流した。腰バンドに繋いでいたのだが、ふとした弾みで外れてしまい流してしまった。
川の流れは速くあっと言う間の一瞬のことだった。

流れの早い瀬があり足場が悪くて危ないので、あきらめて流れていく舟を見送った。下流で釣りをしている人たちに声をかけてみたが、竿の先を流れる舟を見送る人ばかりだった。

すっかり諦めているとき、対岸の人が自分の竿を置いて どんどん どんどん 川を下っていくのが見えた。茄子ぐらい小さく見えるほど下流に行ってから、舟を拾って持ち帰ってくれた。服装から地元の人のように見えた。

「馬鹿野郎!恥をかかせがやあって!ここまで取りに来い」対岸から怒鳴られた。「こんな瀬ぐらいなんでもない。渡って来い」又怒鳴られた。体力がが無いので必死な思いで瀬を渡った。

知らぬ顔をすれば済むものを、拾ってくれた感謝の気持ちで、転んだら終わりだ。そう思いながら必死で強い流れの瀬を渡った。
慎重に竿を杖にして渡った。正直恐ろしかった。

地元の人で口が悪かったが、良い人にめぐり合った。舟が帰ってきたこと以上に良い人にめぐり合ったことが何より嬉しかった。
派手な流行の釣り姿の人たちは、冷ややかに見送るばかりなのに拾いに行ってくれた。嬉しかったので、名前を聞いたが教えてくれなかった。

人は見かけによらないとつくずく思い知らされた。鮎のシーズンになると思い出す思い出の玉手箱である。



(2005・6・11)でんどう三輪車

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  1. 2005/06/11(土) 01:37:31|
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