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走れ!でんどう三輪車
齢70にしてブログなるものに挑戦!人生まだまだこれからですよね(^^)//。俳句や詩歌を趣味として又釣り人として、 、、、、、はたまた「でんどう三輪車」として、日々の出来事を綴ります。

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14年鮎解禁

5月20日、静岡の興津川で鮎が解禁された。次男が仕事で忙しいので、19日の日に電車で有山宅に出かけた。、さがみ野の駅まで有山さんがいつものように迎えに来てくれた。お土産に中島さんの分もシュウマイを買い夕食のシュウマイ弁当も買った。有山さんの奥さんが夕食を用意してくれて、鮎のひもの・焼き肉を美味しくいただいた。有山さんはやはり熟睡できないようだ。早朝3時半に起きて中島さんの家に向かった。早く着きすぎるので途中で牛丼を食べた。厚木の中島さんの家に着いたが、まだ朝刊の配達から帰っていなかった。東名高速道路から富士山がよく見えた。興津川の本流に入ったが一向に釣れなく鮎が見えない、他の釣り人も釣っている人は見当たらなく、釣り場を変えて、支流の上流に入った。有山さんが「釣れた!」と叫んで間もなく自分も釣れた。ほどなく2匹目がかかり・・「今日は坊主でなくよかった」と思った。川が狭いので対岸のヨシに針掛かりして竿を折ってしまった。予備の竿を用意したが風が出てきて病み上がりの体を考えて午後からは見学することにした。鶯の声を聴きながら清流に見とれていた。有山さんが10匹、中島さんが7匹釣った。帰りに相模屋に立ち寄って折れた竿の4番を注文した。次男が9時ごろ迎えに来てくれた。  



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  1. 2014/05/24(土) 14:13:55|
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興津川鮎解禁

5月20日・興津川が鮎解禁となった。前日の夜・座間の有山さんの家に泊めてもらい朝早く3時半に起きて厚木の中島さんの家に寄り中島さんの車で新東名を初めて通り静岡の興津川に行った。中島さんは朝刊新聞を配達してから我々の来るのを待っていてくれた。中島さんは息子さんと奥さんを相次いで亡くして一人暮らしであると聞いた。温厚な人柄で八ヶ岳の山奥の田舎が出身地と聞く・日産自動車を定年まで勤めて車は日産の新車であった。釣り人で満員であったが幸い川に入れた・・対岸のどぶつりの人は入れ掛かり模様で100匹は釣っただろう・・友釣りには魚が若く苔を食まないので追いが少なかった。それでも3人とも10匹前後の釣り結果であった。お昼からはまったく追いがなくなった。おとり代2ひきで1000円・日釣券600円・ガソリン代2000円で安い費用であった・・これも釣友のおかげである。










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  1. 2013/05/26(日) 04:00:48|
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楽しくね

 『 楽しくね やってきました 鮎の釣り 』                                     でんどう三輪車(絵夢ちゃんのしりとり川柳より)

ほんとに楽しかったよ・・シマノの名人小倉さんが京都から来てくれ教えてくれました・・相模屋の鮎のバスツアーには顔なじみの小倉さんです・・どの道も名人となると奥が深いですね・・でんちゃんは10匹ぐらい釣ったのですが・・名人に倍ぐらい頂きました・・鮎を間に人との絆が出来それが亦『楽しい』のです。






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  1. 2011/08/04(木) 22:53:02|
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鮎釣り

『 疲れるわ けれど鮎釣り 楽しいよ 』 
      (でんどう三輪車・絵夢ちゃんのしりとり川柳より)

今年はさっぱり鮎が釣れません・・釣れない理由は・・釣り易いところで石に腰を下ろして・・川の中を歩かないからね・・それでもいいのです・・釣れても釣れなくても・・自然を楽しむ・・でんちゃんの釣り哲学・・ナンチャって・・明日の夜出発(1日・2日・3日・・バスで釣り具店の釣り旅行です)・・福井の九頭竜川に行ってきます・・無理はしないこと・・ですね。






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  1. 2011/07/31(日) 23:28:33|
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鮎つり

7月21・22日鮎つり。
20仕事を終り次男が座間の有山宅に車で送ってくれた。
夜11時半に厚木の河井さん宅に・・3人で出発。
目的地は新潟の魚野川。
関越高速道路を快適に走り・・長い長いとてつもなく長いトンネルを出るともう新潟!だ。
東の空は明けて上天気・・田んぼの緑が美しい・・周りの山が美しい。
魚野川についたが・・がまかつの釣大会があるとかで・・他のポイントに移動。
田んぼの中を上流に向かい車で走る・・流石に車は便利だ。
囮やさんを見つけて5時前だけれど聞いてみる。
「今年は水が冷たく鮎が小さくて・・囮に使えないから無理・・一週間後が良いと思うよ」親切に教えてくれた・・橋本囮店のご主人・・有り難う。
別の川を目指して逆戻り・・利根川の上流・・何処も駄目・・病気が出て「鮎の放流無し」。
川は実に良い川なのだが残念。
長野の佐久川で竿を出す・・ここも鮎が薄い・・いないの。
掛かったがタモに入れる寸前で糸切れ!。
続いて掛けたが途中で掛かりが浅くばれた。
そしてやっと一匹ゲット。
とそんな時河井さんが釣れたのだがタモを流してしまい・・僕のタモを使う・・釣った魚を僕のタモに入れて岸に置き・・河合さんは流れていくタモを拾いに『夢中』・・下流に何処までも走る。
腰にタモがないと釣にならないので・・あまり遅いので(しばらくしてから)岸に置いてある鮎を囮船に入れた・・河井さんが戻ってきたがタモは拾えなかった・・いずれにせよこれではは釣にならない・・3人で早上がりして甲府に移動。
(ちなみに有山さんが5匹・・河井さんが5匹・・ぼくは1匹でした)

一泊した宿は『ホテル昭和』・・ビジネスホテルだが温泉が最高・・受付の美人も最高に感じよし・・一人はホテルの奥さんとか。
朝食つき食で5000そこそこ(和食を注文・・パンコーヒー付き)・・夕食にホテルの外に出た・・のれんをくぐったのは『居食やしゃれ』この店のママさんが気さくで楽く・・そして御代が安かった。

あくる日は桂川で鮎つり・・この川も鮎がいない・・それでもやっと1匹・・坊主にならくてまずは一安心。



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  1. 2010/07/26(月) 04:22:05|
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鮎の解禁

 いよいよ鮎の季節になり・・楽しい季節になりました。5月20日は静岡の興津川の解禁でした・・有山さん中村さん竹川さんと連れ立って興津川に釣に行きました。前日の夜中に出かけたのですが・・釣り人が多くて良い場所はすでに場所取りされていて・・残念でした・・真上に電話線が邪魔になり釣になりませんでした・・おまけに囮船の蓋が破損して・・鮎釣はトラブルは何よりいけません・・竹川さんが28匹有山さんが24匹中村さんが15匹・・でんちゃんはそれでも7匹の結果でした。

明後日6日は山梨の桂川の解禁です・・今度は何とか思う存分釣りたいものです。釣れる釣れないは別にして自然の緑豊かな山の香りに包まれて思いっきり美味しい空気を胸いっぱいに吸ってきますよ。







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  1. 2010/06/04(金) 20:34:07|
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大鮎

9月13日は相模屋の鮎釣大会・・12日の夜に雨の中を座間の有山さんの家へ次男が送ってくれて一晩お世話になった。

朝四時起きなので早めに寝ようと床に就いたが・・話は尽きなかった・・それでもいつに無く熟睡して有山さんに「4時ですよ」と起こされた。

6時に相模川の高田橋の河原に集合!・・それにしても広い河原。
テントの前に集まり注意事項と挨拶の後・・くじで番号を決められた。
番号順に囮の鮎をもらい鮎釣大会のスタートだ・・早い人が良い釣り場に行けるから早い者勝ち。
ちなみに僕は5番・・いい番号だった・・約100人ほどの釣り人。
有山さんは第二グループの良い位置につけた。
せっかく早い番号を当てたが目的地まで20分は掛かる釣のポイント・・病み上がりの僕は30分はかかる・・ドンドン後から追い越されて・・気はあせるが・・『まあいいや』とマイペースで歩いた。
自分の釣りたいポイントは鮎竿が立ち並び断念して下流の瀬で釣ることにした。
見ると有山さんは少し上流で竿を出していた・・有山さんの好きなポイントだ。

一度だけグググと大きな引きがあったが針りがかりしていなかった。
残念ながら囮が弱って釣にならなくなった。
歯医者さんの竹ちゃんと鮎タモの河井さんが応援に来てくれた。
12時に終了なので・・11時に竿をたたんで終りにした。
何せ病み上がり・・30分は歩かねばならないから。
有山さんは6匹ほど大きなのを釣っていた・・もしや入賞と期待をしたが・・入賞できなかった。
釣った鮎の中から2匹大きいのを選んで検量するので大きさが勝負だ。
優勝は確か26センチだったかな?
鮎竿や良い品が賞品として渡されていた。
参加賞の僕でも雨用のジャンバーやバスタオル・帽子・靴下などを頂いた。

かれこれ3時ごろ全部終了して・・有山さんと相模川の上大島の釣ポイントに車で移動した。
ここは僕が鮎釣を教えてもらい初めて鮎釣を始めた15年ぶりの懐かしい釣のポイントだ。
どの場所も良いポイントは満員御礼!・・鮎竿が立ち並んで入るところが無い。
其処は昔遊んだ川・・下流へ車を移動してやっと2人が入れる場所を見つけた。

有山さんは瀬に入り・・(ここは最高のポイント)。
僕は流れの緩やかな瀬の上に入った。
まもなく有山さんが釣れて川を下って大きな鮎を釣り上げた。
あまりの大きな鮎に興奮して「手が震えた」と言っていた。
有山さんは次々と大鮎を吊り上げて5時に竿をしまった。
僕は今度はアタリも無く一匹も釣れなかった。(有山さんは帰りに相模屋で測ってもらったが30センチの鮎が2匹・・それに26センチとみな大きな鮎でした)
釣れなかったけれどそれでも楽しんだ・・『釣れても釣れなくても・・楽しい』・・『鮎釣を通して人との交流』これが僕の鮎釣の信条だから。

すぐ傍の小さな流れに・・クレソンを見つけた。
綺麗な水が本流に流れ込んでいて昔芹を採った場所だ。
15年前に戻った気分でクレソンを摘んだ。
(2009・9・14)



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  1. 2009/09/14(月) 06:05:06|
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若鮎が跳ねる

 若鮎が跳ねる  いのうえ つとむ

なんと綺麗な川だろう
なんと軽やかな瀬音だろう
新緑の山々に囲まれて
清流に足を入れて
竿先をじっと見つめる
五色の目印をじっと見つめる
釣れても
釣れなくても
川風に身を包み
この一時を楽しむ
時々
川面に鮎が跳ねる
・・若鮎が跳ねる
ああ・・時間が消えてしまった
  (2009・5・21 興津川にて)



*コバルトブルー

5月21日静岡県の興津川に鮎釣に出かけた。
前日の夜中に次男が車で有山さんの家に送ってくれ有山さんの家に泊めていただいた。
午前2時半に中村さんと歯医者の竹川さんが迎に来てくれ竹川さんの車で興津川に向かった。
初めての興津川は想像していた以上に綺麗な川だった。
水は透明で濁り無く深みはコバルトブルーだ。
山の木々と竹やんぶの緑が主張し合うかのように彩っていた。
木陰では鶯が鳴き競っていた。
釣果は15でした。


*無いウエイダーが無い。

5月24日朝4時に狩野川に有山さん中村さん竹川さんと竹川さんの車で出かけた。
津田囮釣り具店にに到着して・・いざウエイダーをはこうと思い預けておいた物置を見たが買ったばかりのウエイダーが無い・・囮やの津田さんに言って探してもらったが何処にも無い。
常ずね「うちは誰も盗っていくようなお客さんはいないよ」と言っていたが「こんな事は初めてだよねー」と言いながら囮やさんが心配して以前使っていたウエイダーを出し貸してくれた。
無くなったのは真新しいウエイダーで名前を書いてあるので間違ったとも思えない。
釣り人にも良い人もいれば、そうでない人もいるという事だ。
雨の降る中の釣はちなみに4匹の成果でした。




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  1. 2009/05/26(火) 19:07:01|
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 鮎釣の下見に

「今日河合さんと山梨の桂川に鮎の年券を買いに行きますが川を見に行きませんか、来れるようなら9時までに相鉄の『さがみ野駅』に来てください、迎えに行きますから」と昨日の朝6時ごろ有山さんから電話が入った。

夜に電話をくれたのだが出られなかったので取り急ぎ朝になって電話を掛けてくれた。
洋光台駅の近くに来ると急に雨が激しく降ってきた。
横浜の駅で相鉄に乗り換えて急行に乗った。
電車の中で熱のあるような顔をした女子高校生がいたので、新型インフルエンザかも知れないと思い用心して隣の車両に移った。
病気上がりで体力が無いので風邪を引かないようにと思った。
関西の高校生が何人もこの新型の豚風邪にやられているとニューウスで報じられて『関東も時間の問題だ』と思いながら座席に寄りかかっていた。

さがみ野駅に到着して早速有山さんに電話をして迎に来ていただいた。
「このまま厚木の河合さんのところに行きましょう。チョつと早いかもしれないけれど」
横浜は雨がずいぶん降っていたが座間も厚木も道路は濡れておらずあまり雨は降らなかったようだ。

行く先の山梨の山々は黒い雨雲に覆われていた。
山道に入っていくと案外道路は乾いていて雨も降る様子は無かった。
緑の山・山・山の曲がりくねった道を登っていった。
囮やさんに行く前に途中の鶴川を下見に車から降りた。
橋の上から川を見ると鮎が群れをなして泳いでいた。

囮やさんで筍の煮つけとそうめんを頂いた話の好きなおばあさんだ。
俳句が好きで賞を頂いたと嬉しそうに話していた。
昭和5年生まれだそうだ。
元気で話し好きのおばあさんだ。
外ではメジロや朝鮮鶯がさえずっていた。

帰りにも鮎の川を三箇所ほど立ち寄って下見した。
山間の川の瀬音は快い自然の音楽だと思った。
「ここに今度テントを張って三日ぐらい野宿をしようかね」と河合さんが話してきた。
願っても無い事で出来る事ならそうしたいと早くも鮎釣の思いに胸がときめいた。

河合さんの家に寄って新しく作った鮎だモを見せていただいた。
良い『たも網』で・・贅沢を言えば欲しいなとも思った。
骨董やさんなので長野の倉から出た古い品物を数々見せていただいた。

帰りの途中に有山さんと「古釣具店」に立ち寄って鮎の釣り針や小物を買った、700円の物が50円ほどでメッポウ安かった。
お腹がすいてきたので大船の駅の中の『築地千』という立ち食いの寿司を食べた。
安くて美味しかった。
やっと寿司がいただけるように胃が快復した。
何でも『美味しく食べられる事』・・幸せがお腹を満たした。(5月18日記す)




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  1. 2009/05/18(月) 23:17:11|
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鮎、そして出会い

 鮎、そして出会い   いのうえ つとむ

緑の山々に囲まれて相模湖を過ぎたころ河井さんが運転しながら「こんな事を聞いてもいいですか」といつものように前置きしながら話をされた。

「前世はあるのでしょうか」
「どう思います」
「死んだ跡はどうなるでしょうかねー」
「僕は戒名などはいらないからと何時も妻に言っているのです」・・と
立て続けに話される事が生命論で運転しながらの話としては重すぎて返事を考えていると河井さんの話はどんどん進んでいった。

僕は話が一区切りしてから「日本は仏教国だから輪廻の思想が根底に有り・・三世の生命観を心の中に置いていますよね・・東洋の仏教国とキリスト教の西洋とは根底から違うと言いますからね・・ブログでスイスの「みんつ」さんが書いていますが、ストレスから開放されるのに10年は掛かるそうです・・日本人と気質がずいぶん違うようですね『スイスは観光に来るところで住むところではない』とも言われていますよ」

「ところで戒名なんか要らないですよね」
「坊主の金儲けの手段ですよね」
「院をつけるだけで何10万も時には何100万も取られますから」

河井さんも「戒名がなければ成仏しないなんておかしいよ・・じゃーキリスト教徒は成仏しないのか?・・と言う事になるよね」と話を続けられて、
「坊主の金儲けだよね・・一度死んで生き返った人が戒名で呼ぶのか・・呼ばないでしょう・・普通の名前だよね・・だから僕は戒名は付けないよ」

創価学会の葬式は『友人葬』といって宗門の寺と決別してからは・・僧侶のお経も無く、創価学会の幹部の導師で友人が集い法華経の勤行と題目を上げて爽やかなお葬式だった・・勿論戒名は付ける必要は無く「俗名」であった。
此の『友人葬』が本来の葬式だと創価学会の人は言っていた。

戒名一つとっても河井さんは苦労人だけあって社会を正眼していて、流石だと思った

僕も「俗名・井上 勤 之霊」と書いてくれればそれが一番良いのだ・・と考えをめぐらしていると・・河井さんは話を続けられた。

「妻は『幼くして死んだ子は早くあの世に逝って幸せに暮らしている・・だから可哀想ではない』と何時も言うのだがねー」

日本人の多くは阿弥陀経の西方浄土の念仏思想が根ずいていて・・美しい夕日の彼方に死後の平安を求めているのだなと思った・・お釈迦様はどうしてこの璽前権教を捨てて法華経が真実だと言うのだろうか・・西方浄土の死後に美しく安らかな仏を求めた教えから・・法華経の成仏は生前の個々の命の中に仏界と言う最高の命が存在していると説いたのか・・宇宙全体が生命の根源で縁に触れて・・人間に生まれたり犬猫・虫に至る動物に生まれてくると言う・・人間に生まれてきた事がどんなに素晴らしいかと説いている・・一説には衆生の気根が幼くて高度な法の法華経を説いても幼稚園の子供に大学の学問を教えるようなもので聞く耳を持たなかったからだとも言われている・・阿弥陀経と法華経はまるきり相反して逆転した話なので・・誰もが困惑してしまう・・そんな事を考えていると・・河井さんは出会いの不思議さに話を進められた。

「こうして井上さんと話をしているのも不思議だね」
「相模屋さんの鮎釣ツアーで河井さんの釣っている川下に来て・・『ここで釣らして下さい』と声を掛けたことが二人の縁ですね・・『井上さんの笑顔が気に入った・・お付き合いしましょう』と河井さんに言われて今日があるのですね・・こうしてお世話になるのは本当に夢のようです」

「生まれてくるのも不思議だよね・・人間に生まれるのか・・犬や猫に生まれるのか」

「人間に生まれても戦乱の中で生まれるのも可哀想だね・・不思議だよね」

「貧富の差もあるし奴隷になった人もある・・本当に不思議だね」

「・・井上さん聞いてくださいよ・・警察学校を卒業して初めて赴任したのが新宿の交番でしたよ・・そのとき若い娘さんが『家の前に何時も駐車されて困っています・・何とかして下さい』と言ってきたのが今の妻です・・綺麗だなー・・可愛いいなー・・と思いましたよ・・もし新宿の交番に赴任しなければ・・もし駐車違反がなければ・・今の生活は有りませんね・・子供たちの生活も有りませんね・・出会いとは不思議だよね」
「そういえば・・僕ら夫婦が・・一緒にならなければ子供も生まれてこないし・・今の子供たちの生活もない事ですね」と河井さんは感慨深そうに話された。

河井さんご夫婦の出会いを聞いていて自分の出会いを話そうかと思っていると桂川に着いてしまった・・自分の出会いはまたのお楽しみにして・・鮎釣に心がときめいてきた。

それにしても囮鮎に体当たりをして・・鋭い針に掛けられて釣られてしまう鮎・・此れも鮎の悲しい出会いなのだろう・・そんな事を思いながら清流に抱かれるように鮎釣に没頭した。

(2006・9・7)

 
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  1. 2006/09/07(木) 07:22:54|
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emさんの慈悲へのコメント

「最悪から最善まで} emさんの詩は奥が深いですね。感心!

人の心には10の命があると言われます。
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏・とあり、すべての一人一人に、洩れなく内在していると言われます。

そして相手の心の状態により、怒っていれば、こちらも修羅界の命が現れて不愉快になり腹立たしくなります。

縁にふれて自分の10界のそれぞれの命が出るというのです。この仏教・法華経の生命論の基礎を知ったとき、大変驚きましたました。

僕は「生命を語る」(聖教新聞社)の本で知ったのですが、宮沢賢治の
詩の深さはこの法華経が基底にあるからですね。

田舎で一軒、泥棒夫婦がいました。似たもの夫婦というけれど、その人の境涯に相応した命が寄り添うのでしょか。だから境涯を高めなければね。
心の!
82005・10・4)




  1. 2005/10/04(火) 13:22:11|
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鮎の川が来い来いというので!

8月11日木曜日・河井さんと桂川に行ってきました。
河井さん10匹、でんどう三輪車5匹とウグイ1匹。この川は水が綺麗なので、ウグイも美味しいよ。全体に釣れていない日でした。
グッググ!ガンと強烈なアタリアタリ。凄いスピードで川中を走り回る!「尺鮎か!」思ったが大きすぎる!跳ね上がった姿はヤマメらしい。寄せられるか?と思った瞬間。プツリ。

深みにヤマメがが相当いるようだ。今度は糸を太くして対策を!
すっかり河井さんにお世話になりました。有り難うございました。



  1. 2005/08/11(木) 22:43:38|
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鮎との出会い、人との出会い

  鮎、よもやま話  いのうえ つとむ

(1) 出会い

僕の人生にも、多くの出会いがあったが、河井さんとの出会は、運命的なものを感じる。
事の発端は、僕が相模屋釣り具店さんの鮎のバスツアーに参加したことである。

僕が、電車を乗り継いで2時間以上も掛け、相模屋さんに行くのは、以前、相模原に長男の家があり相模川で鮎釣りを覚えた。そのとき、「良い釣具屋さんだ」と釣り人から聞いて、長男の家から遠いけれど相模屋釣り具店で鮎の釣具一式を購入した。そこで植田名人の講習会や、バスツアーにも参加した。新潟の魚の川に行ったときも、宮城の白石川に行ったときも、バスで帰ってきて相模屋さんに到着したのは、早朝4時ごろであった。ほとんどの方が解散後は自家用車で帰宅するのだが、僕はリックを背負い電車とバスで帰らなければならない。それを知った相模屋の社長さんが長男の家まで二度まで送って下さったのである。そのご恩があるので横浜からでも電車を乗り継いで時間を掛けても行くのである。

昨年と同様、鮎のバスツアーに参加したのが河井さんや有本さんや
若い近藤さんを知るきっかけとなり、釣り友達になれたのである。しかし、いつもなら話をしてもその日限りで終わってしまうのであるが、それには理由がある。それぞれ「お仲間」が有りお仲間に新規参入の余地が無いからなのだ。ましてリックを背負っての釣り人は足手間といである。だから行きのバスの中で話をしていても前と同じようにその日限りの出会いだと思っていた。

どこでもそうだが、僕はスローペースなので皆さんが釣りを始めてから、のこのこと川に入るのである。この日も皆さんが釣竿を構えているところへ遅まきながら川に入った。広い川だとはいえ、よさそうな所は先着がいる。ちょうど河井さんの釣られている川下が少し開いていたので礼儀なので「ここで釣らしてもらいますが良いですか」と声を掛けた。「ああ、良いよ」と返事が返ってきた。これが河井さんとの運命の出会いなのである。
帰りのバスの中で、河井さんから「ここで釣らしてくださいと声を掛けてきた井上さんの笑顔が良かった、気に入った。これからお付き合いしてくれませんか。」と言われて僕も「喜んで」と電話番号の交換をしたのである。有本さんは河井さんの元々の友人で、そこに未来の名人近藤君と僕が加わったのである。

(2) タモ網作りの名人

バスの棚に「良い手作りのタモ網があるな」と気づいていた。河井さんの作品だとも聞いていた。こうして手に持って見るのは河井さんのご自宅にお伺いしてからである。手作りのタモ網はその枠を萱の木で作るのだが、良い萱の木を見つけるのが大変なのである。両方に同じ太さで枝が伸びていて柄になる樹が程よい太さであるう事がタモになる条件である。その枝を丸い形にし、つなぎ合わせるのだが、今まで見た物はこのつなぎ目がはっきり見えるのである。だが河井さんのタモはいくら見てもつなぎ目が分からない。今も文章を書きながら見ているのだが分からない。釣り具店で売られているのよりも、丁寧に作られていて何処か気品がある。僕などこのような美術品ともいえるタモ網を使うのには10年早いのだが、10年も待てる年齢では無いので譲っていただいた。冬の長野の山奥で育った萱の木で作られた手製のタモを感慨にふけりながら眺めている。断崖に登り萱の樹を切り取っている河井さんの姿を目に浮かべながら眺めている。

(3) タモの網との再会

河井さんの今年作られたタモ網は何本あっただろう。どれもこれも素晴らしい出来栄えなので見とれていて、何本在ったか数え無かったので分からない。およそ完成品が15本ぐらい在ったか、木枠だけのがやはり15本ぐらい在っただろうか、趣味で始めたそうだが見事な工芸品である。試行錯誤してここまでになったようだ。苦労されたようだ。ほとんどが知り合いとインターネットのオークションで片付いてしまうという。井上さんにはこれがいいよと奥から出してくれたのは、柄に反りが少なく僕のような初心者用には反りの無いのがいい。最高の出来栄えで気に入った。

「井上さん聞いて下さい」と長野の山奥、立山の方面まで萱の樹を求めていった話の後に話された事は、親しくしていた釣り友達が「譲って欲しい」と何べんも言うので無料で譲ったそうだ。ところが、ある日、鮎釣りをしていて隣で釣りをしている人の鮎タモが気になって見せてもらった。やはり思っていたとおり、友人に譲ったものだった。がっくりしたそうである。そ知らぬ顔で「これはどこで手に入れられたのですか」と尋ねると「知り合いから4万円で買った」と言っていたから、怒り心頭である。自分の誠意を裏切られたことに言いようの無い怒りがこみ上げてきたそうだ。その場はこらえてきたが、思い出したくない事を話してくれた。「自分の作った鮎タモを喜んで使かってくれるのが嬉しいのであって、このような鮎タモとの再会は嫌だね」と話された。すかさず「僕だったら絶交だね」と言うと、それ以来彼とは一切付き合っていないと話されていた。

(4) 保証人

「恥ずかしいことですが」と自分の恥のように話された。それは河井さんがまだ若かりし頃、警視庁に勤めていた時代のこと、義理の妹さん夫婦が商売をしていて保証人になってくれるよう頼まれた。身近な身内のことなので印鑑を押して保証人になった。これがとんでもない事になってしまった。義理の妹夫婦は蒸発して今もどこにいるのか分からない。保証人になった為に、全額が河井さんの肩に架かってきた。何とかボーナスごとに趣味で集めた日本刀があったので肩代わりが出来たけれど日本刀が無かったら大変なことになっていたと思うと話された。二人の子供さんにも「兄弟でも保証人にはなるな」と教えているそうだ。今河合さんは警視庁を退職して好きな骨董屋を仕事としている。だからあの日本刀があればと時々思うそうである。

保証人になってはいけないと誰もが分かっていても、いざとなり、情がからんでくると情に負けることがある。心を鬼にして断るべき時は断らなければ自分の一生を台無しにしてしまう。僕の長男もそれで苦労をしている。また先日会社の同僚と何十年ぶりに会う機会があり、いろんな話の中で入社当時の事、お酒を飲みに行った時だと思うが、お店の女性に同情して二人が同じように保証人になった。300万円と400万円の借金をかぶってしまったと話していた。今頃になってやっと返すことが出来たと話してくれたが、当時では家が買える金額である。同じようなことが次々と起こり、この世の中は保証人になったがために苦労をしている人が後を絶たないようだ。

(5) 有り難うが言えない

前にも書いたことがあるが、僕が囮の引き舟を流してしまい、地元の人がナスのように小さく見えるほど遠くまで行って拾ってきて下さって、「馬鹿野郎これ位の瀬ぐらい渡って来い」「恥をかかせやがって」と怒鳴られた。荒瀬の中を一歩誤れば死ぬかと思うほどの川を渡った。お礼をしたいので名前を聞いたが教えてくれなかった。「人は見かけによらないね」と話すと、河井さんはその反対のことがあったと話してくれた。自分の目の前を囮の引船が流れてきた。流した人が困るだろうと何とか拾い上げて岸につないでおいた。案の定、引船を流したと言って川を下って人が来た。「そこに繋いでおいたよ」と言うと「あ、そおう」と言ってお礼も言わないでその人は持ち去っていったと言うのだ。何と寂しい心の持ち主だろう。話を聞きこのような人間もいるのだと思った。

(6) 天然鮎

僕は今だに、お人様におすそ分けするような釣りをしていないので、
こんな経験はしていないが、河井さんがご近所の方に釣ってきた天然鮎を差し上げたが後になって「傷があるので気持ちが悪いので全部捨ててしまった」と事もなげに言われたので「がっかりした」と言うのである。「奥さん、スーパーのパックに入っている養殖の鮎とは違うのです。針の傷があるのが釣ってきた天然鮎なんです」と声を大にして河井さんの代わりに言ってあげたいと思う。今度、僕も沢山釣れて人にあげる時は必ず天然鮎の釣り傷のことを説明することを忘れないようにしよう。
ご近所におすそ分けできるほど「沢山釣れるといいなー」と思いながら筆をおこう。

(2005・8・6)

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  1. 2005/08/06(土) 03:38:51|
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鮎を釣りに行ってきました

 鮎釣り

昨日仕事を終えてから、厚木の河合さんのところに泊めていただき今朝、(8月4日)山梨の桂川に行ってきました。

先週、台風の前に、近藤さんは(シマノジャパンカップ決勝20位)65匹釣ったというので、相模屋のバスツアーで仲良し「木曜」新グループのメンバーが声を掛け合い、はせ参じたわけです。今日は追いが悪く午後になってから釣れる様になりました。まだ良い釣り条件ではなく、釣れない人が多い日でした。河合さんに細かなアドバイスをしてもらい。名人級の若い「氷川きよし」そっくりの近藤さんの釣りを2時間ほど見せてもらいました。(65匹釣ったときは水深20センチの砂場で、1時間に10匹釣ったと河合さんが驚いていた青年です。)

この時も皆が見向きもしないような石畳のところです。丁寧な竿さばきで、見る見るうちに入れ食い模様で8匹ほど釣れるではありませんか。僕も、彼が「囮に使かって」と3匹、僕の囮舟に鮎を入れ替えるとき、彼の竿を持たせてもらったところ、ビリビリゴツン・・・・(ああ、眠たくて、ご免。マウス右手にダウン、おねんねです。朝5時目が覚めたので、昨夜の続を書きます。)
この感触!1年ぶり。
囮の鮎をいかに自然の鮎に見せるかです。野鮎が警戒しないで攻撃して来て掛け針に架かるのです。近藤さんの竿さばき、勉強になりました。

僕のようにへたくそは、石があって白い泡が立っている所、そこは野鮎が割合警戒しない「セオリー道理」のところで釣るのですが、そこは先客があっり、場所荒れしているのです。誰でも連れるときは釣れるのですが、釣れない日にどう釣るかが問題です。
「はい、囮です」と野鮎に見破られてしまい警戒して近寄らないのです。実に友釣りは高度な技術が必要です。

さて釣り成果はというと、「今日は釣れなかった」と言う近藤さんが僕に囮用にくれたのを入れて30匹、河合さんが20匹(近藤さんが午前中子供たちと川遊びをしていたので今日は近藤さんに勝てると思ったそうですが)、有山さんの友人の、大家さんがやはり約20匹、有山さんは今日はよくなかったようで元気がありませんでした。さて僕ですが何匹でしょう?ボウズで無いことは確かです。

クラーBOXを空けてみたら21匹も入っていました。レベルの高い良い鮎の釣り友達が出来ました。
人柄が良い人ばかりでそれが何より嬉しいのです。木曜は僕も仕事を休みます。鮎が呼んでいるから、良い友達が出来たから。
 
(2005・8・4・5) でんどう三輪車

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  1. 2005/08/04(木) 23:25:32|
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鮎の釣り友

  鮎の釣り友  いのうえ つとむ

この前の付知川(つけちがわ)の鮎釣のとき、バスの中で気の会う釣り友が出来た。7月28日(木曜)に、山梨の桂川がよく釣れるということで桂川に決定して、でんどう三輪車も一緒に連れて行ってもらう予定であった。それが台風の雨で川が増水して中止になった。僕は車の運転をしないので、一人で鮎釣りに行くときは、釣り道具一式をリュックに背負って電車で出かける。それがなかなか重く、駅の近くである事が必定条件で行動範囲が狭く、車で同行させて頂く事は願ってもない事である。

僕に鮎つりを教えてくれた青年は行方不明。鮎つりを始めた当時知り合った大山さんは、僕より5歳ぐらい年上の方で人柄の良い苦労人である。今は体調が悪く病院の入退院を繰り返していて釣りどころではないようだ。この方は在日韓国人で本当に苦労をされた方でした。韓国人というだけで仕事が無く、最初は奥さんとリヤカーを引いて、小田原の町を鉄屑などを集めて歩いたと運転しながら話してくれた。一番辛かったのは酒匂川の砂利運搬だッたようだ。山に入って炭焼きもしたそうだ。親戚から話があり、土木の仕事に就いた。少しずつ蓄えてきた資金で、土木を請け負うようになり会社を起こした。その苦労は日本人の僕には想像を絶するものだ。この人種差別は、差別する側の不用意な言動が、受ける側にとって、どんなに辛いものであったか大山さんの話を聞いて思い知った。大山さんは「名は体を現す」がごとく大きな心の方で豊かな人間性の持ち主である。次男の息子さんは富士山の大山といって世界的なカメラマンである。
一昨年、人工透析を受けるような体だけれど、どうしても鮎釣りがしたいと言うので、酒匂川に同行した。好きな鮎釣りに今年は行けるのだろうか、本当に善良な方で僕にとって忘れがたい釣り友である。

酒匂川の上流で意気投合した藤塚さんは、溶接の技術者で海釣りから渓流釣りのベテランで、今、鮎釣の魅力に魅せられている。多忙な中を工面して日曜日に川に行かれる。今年の春ヤマメ釣りに連れて行ってくれた。残念な事に午後になって僕が体調を崩して迷惑をかけてしまった。甲府の病院を探し治療してくれた。点滴を受け入院しなくても良かったが、深夜まで身内でも及ばないほどお世話になった。このような良い釣り友に恵まれて僕は幸せを感じる。

今度、河合さん、有山さんと、若い近藤さんの釣り友が新たに出来た。僕は鮎が釣れる事も願うが、よき釣り友に出会い我が人生に花を飾りたい。その麗しい人間関係があってこそ幸せを感じ、人間として生まれてきて良かったと感謝し、生きていて良かったと思うのである。
鮎の釣り人でもそんな良い人ばかりではない、大勢いる中でやっと会うことの出来た釣り友を大事にしたい。その絆が嬉しいのである。だから鮎釣りは止められない。

 (2005・28)

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  1. 2005/07/28(木) 05:57:27|
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心躍る!鮎の季節

    鮎の友釣り

僕は鮎釣りは まったく経験が無かった。
釣りといえば、子供の頃、小川で二度か三度ウナギ釣りをしたぐらいで、近くに水田用の溜め池があったが、その池の鮒つりも得意ではなかった。

相模川の上流の近くに長男の家があり、定年後、その家に書道教室の看板を出し、暇をもてあましながら川原で芹やクレソンを摘むのが日課であった。どこか心に大きな穴が開いていた頃だ。

美空ひばりの「川の流れのように」の声を耳に残しながら川面を見つめているのが好きだった。川の流れを見ていて過ぎ去った日々を思い出し時間の過ぎるのを忘れた。

そこで鮎の釣り人と親しくなり、「自分も鮎釣りをしてみたい」と一言いったら「教えるからやってみる?」と教わることになった。吉川君といった。車の事故が元で片足を引きずって歩いていた。元レーサーでレース中の事故だと言っていた。

川原でテントを張り彼は車で寝起きしていた。人それぞれいろいろな人生を歩んできていると思った。僕は、よくそのテントで野宿させてもらった。瀬音を聞きながら、星を見ながら眠った。

埼玉だか群馬に仕事に行くといって川を去ってから、二度ばかり電話があったが、今、この青年がどうしているのかわらない。
僕も相模原を引き払ったので連絡が途切れた。

六月になるとほとんどの川が鮎の解禁になる。だが解禁日には今だに釣りに行ったことが無い。釣り人で込むから避けている。都会の忌まわしい人間 関係をそのまま持ち込むから嫌いだ。

川にゴミを捨てる者、釣れていると見たら他人が釣っていようがその場所に、竿を入れてくる者、マナーの無さは数え切れない。10数万もする竿を盗られた人も何人もいる。おまけに車場荒らしもある。

だがそんな嫌な人ばかりではない。人さまざまだ。良い人に出会えるから鮎つりは止められない。どれほどお世話になったか計り知れない。体調を悪くして病院へ運んで貰った事もある。

何年か前、狩野川で鮎を入れる舟を流した。腰バンドに繋いでいたのだが、ふとした弾みで外れてしまい流してしまった。
川の流れは速くあっと言う間の一瞬のことだった。

流れの早い瀬があり足場が悪くて危ないので、あきらめて流れていく舟を見送った。下流で釣りをしている人たちに声をかけてみたが、竿の先を流れる舟を見送る人ばかりだった。

すっかり諦めているとき、対岸の人が自分の竿を置いて どんどん どんどん 川を下っていくのが見えた。茄子ぐらい小さく見えるほど下流に行ってから、舟を拾って持ち帰ってくれた。服装から地元の人のように見えた。

「馬鹿野郎!恥をかかせがやあって!ここまで取りに来い」対岸から怒鳴られた。「こんな瀬ぐらいなんでもない。渡って来い」又怒鳴られた。体力がが無いので必死な思いで瀬を渡った。

知らぬ顔をすれば済むものを、拾ってくれた感謝の気持ちで、転んだら終わりだ。そう思いながら必死で強い流れの瀬を渡った。
慎重に竿を杖にして渡った。正直恐ろしかった。

地元の人で口が悪かったが、良い人にめぐり合った。舟が帰ってきたこと以上に良い人にめぐり合ったことが何より嬉しかった。
派手な流行の釣り姿の人たちは、冷ややかに見送るばかりなのに拾いに行ってくれた。嬉しかったので、名前を聞いたが教えてくれなかった。

人は見かけによらないとつくずく思い知らされた。鮎のシーズンになると思い出す思い出の玉手箱である。



(2005・6・11)でんどう三輪車

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  1. 2005/06/11(土) 01:37:31|
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