横浜駅の西口から7時にバスに乗ったが段取りは全て妻任せのツアーの旅である。
相模湖の標識を通過して山梨の山々を眺めると新緑で溢れるばかりの自然の美しさに先ず心を奪われてしまった。
* 新緑やみな阿波踊りの山の木々 つとむ
芽吹いて間もない緑の山の木々が個性豊かに一斉に踊つているように見えたのでこの俳句が思わず生まれた。
それほど山は生命力豊かで若緑に溢れて見えた。
未だ枯れ木のような、一面の葡萄畑の甲府盆地を見渡すと遥か彼方に南アルプスの山々が白い雲の間に見えてきた。
幼稚園児と思われる男の子供が「富士山」「富士山」とバスの中で騒いでいた。
「あれは富士山ではないよ」と父親が教えていたが、それでも「富士山だ」と其の子供は叫んでいた。
「中央高速が東名高速より空いているという情報ですので、中央高速道路を選んでバスは走っています」と添乗員さんが説明してくれた。
経費節減だと思うが美人のバスガイドさんは同行しなかったので、殆んど歌も説明も聞くことなく上高地に到着した。
絵葉書や写真で見慣れた風景の中を、バスを降りて最初に上高地を散策した。大正池から天狗橋までの清流の川沿いを、山を見て、木を見て2時間半ほど写真を撮りまくりながら歩いた。
萱の木がいたるところに茂っていて・・河井さんが見たら此れもあれもと、みんな『鮎だも』を作りたいと思うほど萱の木が生えていた。
国立公園の上高地を心行くまで散策してからバスは奥飛騨の温泉郷に着いた。
岐阜県高山市の『奥飛騨薬師のゆ本陣』というホテルに一泊した。
小さな本館と増築して継ぎ足したような西館と別館があり、僕たち夫婦は古い小さな本館の部屋に割り当てられて泊まることになった。
食事は西館の2階で大浴場と露天風呂は別館の1階であった。
西館と別館は高層の真新しいビルであった。
食事はそれほどでもないが露天風呂の泉質が良いのに温泉好きの僕は嬉しかった。
露天風呂は新しく湧き出た温泉という事で大浴場の泉質とは少し違っていた。
「医王泉」と名ずけられてアルカリ弱塩泉の少し癖のある飲用の出来る温泉であった。
低血糖にならないようにチョコレートとブドウ糖を口に含んで用心して、夕食前と寝る前と明け方4時半ごろの3回も入浴して温泉を楽しんだ。
このバスツアーは富山から長野に抜ける黒部ダムのコースである。
立山駅からロープウエーに乗り、美女平からバスに乗り換えて雪の大谷を雪の壁を見ながら通り、室堂までバスに揺られた。道中、幹周り10メートルもあるという立山杉を見ながら、また残雪の壁を見ながら、雪の大パノラマの山々を見ながら窓越しにひたすらシッターを切り、風景をカメラに収めてバスに揺られた。
立山の室堂に着くと。僕のように定年を過ぎた人が多かったが、若いカップルも多くいて中にはスキーを楽しんでいる若者もいた。
若者のカップルの後ろから、見渡す限りの残雪を寒さにマフラーを巻いて黄色の帽子をかぶり、若者と同じように妻と手をつないで歩いた。
思いっきり楽しんだ後、今度は室堂の駅から電気のトローリーバスに乗り長いトンネルを抜けると大観峰の駅に着いた。雪の山々の展望にまたまた眼を奪われて黒部ダムを見下ろしながら、ロープウエーに揺られ黒部ダムに到着した。
黒部ダムは6月にならないと水を放出しないという事で、
あの大迫力は見られなかったが、それでも自然と人間の力の技の織り成す素晴らしい風景を満喫した。
妻は最近新しく出来たという大展望台を元気良く登ったが、僕は低血糖になる心配があるので途中で休む事にして上の大展望台までは登らなかった。
妻が展望台の上から嬉しそうに手を振っているのが印象的であった。
かれこれ六回ほどバスやロープウエーに乗り換えての旅は黒部ダムを後にした。最後に安曇野のスイス村に立ちより渋滞にはまるとトイレが出来ないというので皆トイレを済ませた。
案の定、東名は渋滞していたが、次男が横浜まで迎に来てくれるという携帯電話の声に思わず笑みがこぼれた。
(2007・5・5)
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