3時の約束が15分ほど遅れてしまった。昨日は雪でメール便は休み、その付けが今日来ていつもの倍以上の配達だ・・途中で事情を携帯電話で話しておいたが、あまり遅くなるといけないと思いながらサンデサンに入った。ブログで知り合った人と逢うのは初めて、僕は写真で彼の顔は知っているので一番奥で本を読んでいるのを見てすぐ解った。
親子ほど・・いや孫かもしれないほどの年齢差は何処へやら、話が弾んだ。彼は新人の野木太郎という役者さんなので以前読売のコラムに書いた夏木マリさんの話の概略を話した。そうしたら彼が帽子を取った。
ア!坊主頭だ!これは本物!と思った。少し前に坊さんの役をしたというのだ。夏木マリさんの事を書いたコラムのエッセイは次のとおりである。
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一線を越した者と越せない者 いのうえ つとむ
夜中の1時ごろか2時ごろ・・・ふと目が覚めてテレビを見ると京都の街を歩いている黒い靴を履いた黒い服の尼さんが映っていた。よく見ると女優の夏木マリさんだった。どう見てもカツラではなかった。そうすると舞台の役柄で髪を剃ったと解説された。美人は髪があっても無くても美しい。しっとりと京都の町に溶け込んでいて、なぜか秘められた色気さえ感じた。しかしたいした度胸だと思う。芸人の中の芸人だと思う。役とはいえ髪は女の命。そう簡単に落とせるものではない。
僕がいつも思うのは長髪に戦闘帽をかむった軍人の俳優だ。子供の時見た兵隊は将校もすべてイガグリ頭だった。その長髪を見ただけで興ざめしてしまう。それに反して夏木マリさんの芸に対する打ち込みには感心した。昔・「楢山節考」という映画があって、田中絹代が主演した。山に捨てられていく老婆を演じた。老婆を演じるのに前歯を全部抜いてしまった。それを聞いて一流の芸人の執念に驚いた。恐れ入った。だからこの映画は鮮明に記憶している。ある一線を越したものと越せないものこの差はここにあるように思う。
僕は器用にこなせるが、何をしてもこの一線を越せないのはこの執念の無さだと思う。僕が始めて映画を見たのは、村祭りの神社の星空の下の野外上映だった。
お祭りと言えば毎年・田舎芝居だったが、村の青年たちがこの年は映画にした。題名は忘れたが新人俳優・三船敏郎だけは覚えている。地べたに筵を敷いて海苔巻きの寿司を食べながら見た。それからほど経ってから街に行き、「羅生門」と「無法松の一生」と「楢山節考」を見た記憶がある。近所の友達が名作だから見たほうがいいと教えてくれたので、それぞれ見に行った。今思うと見ておいてよかったと思う。街まで出るのが面倒なので他に映画を見た記憶は無い。
最近はテレビをつければ簡単にドラマも映画も見られる。だが良い映画が無いのかすぐに忘れてしまう。いや・年のせいかもしれない。
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彼は初めてブログで知り合った人がどんな人か半ば恐ろしい気がしたと言っていたが正直なところだと思う。まったく見ず知らずのお爺さんと逢うのである。人の出会いとは不思議なものだ。増してインターネットという電波を通じて知り合った新しい出会いである。年齢の差は大きいけれどこの出会いは大事にしたい。新しい友人・野木太郎君の大成を祈りつつ筆を置く。
(2006・1・22)
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- 2006/01/22(日) 20:40:47|
- 小説・エッセイ|
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