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走れ!でんどう三輪車
齢70にしてブログなるものに挑戦!人生まだまだこれからですよね(^^)//。俳句や詩歌を趣味として又釣り人として、 、、、、、はたまた「でんどう三輪車」として、日々の出来事を綴ります。

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八月も終わり

 八月も今日で終わり  いのうえ つとむ


蝉の声が空一面をうめつくし
向日葵もうつむき加減
木陰が恋しかった
八月

台風が来ても
風雨にさらされようが
負けない
八月

暑い暑いと汗を流し
一番体力を消耗した
エネルギシュな
八月

八月は太陽の月
生きて生きて生き抜く
どんな事があろうと
太陽のように明るく

人は何処から来て
何処に去るのか
これは
永遠の課題

幸せになるために
生まれてきたはず
けれど苦労が多い
誰人も

「生老病死」
生まれてくる苦しみ
老いる苦しみ
病気の苦しみ

そして何時か
この世を去る苦しみ
この四苦から
逃れないのか

苦を苦と悟り
楽を楽と悟り
苦楽共に人生を
謳歌することが出来たら

太陽の月
八月も今日で終わり

(2005・8・31)

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  1. 2005/08/31(水) 07:43:18|
  2. 私のうた|
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  4. コメント:1

  

コメント

感謝は幸福の泉

感謝は幸福の泉
僕は小学校の五年生のとき、死の病・肺結核になって、希望の人生からレールを切り替えられた。一年落第、そして中学は一年の三学期と二年の一学期、二学期で、僕が受けた教育は終わり、後は独学、大検を受けたが14科目中半部の7科目は合格したが肝心の英語、数学、物理、化学、体育ぜんぜん歯が立たなかった。中学の基礎教育を受けていなかったことがもろに出た。結核は完治したようだったが気管支喘息に悩まされた。大検は断念した。劣等感に打ちのめされたような青春だった。

僕は親を恨む気はさらさら無かったが、自分の境遇を恨んだ。仲の良かった同級生が特急電車に乗っていくのに僕は普通電車にも乗り遅れて劣等感の鉛のような重苦しい青春時代で親に感謝の気持ちは無かった。僕より厳しく辛い人生を送ってきたローア者の妻と結婚して初めて「感謝」の心が湧いた。親は当然この結婚には猛反対した。会社の同僚がささやかな結婚式を挙げてくれた。上司の不正を正したのを逆恨みされて会社を辞めた。食うために必至になって、レタリングの勉強をした。屋外広告の業界大手の会社に入れてやっと生活のめどが付いた。石井賞タイプフエースコンテストに3位に入賞して資生堂のデザイナーから一目置かれるようになった。自分の努力だと思っていたが、後から考えると多くの陰の応援があったから出来たことだと思う。一言に感謝といってもなかなか出来ることではない。何をしていても、人の嫌がるトイレの掃除でも「嬉しくて嬉しくて仕方が無い」と言っていた会社の先輩の日高さんの心境になれたらと思う。それが本当の幸福だと思う。
  1. 2005/09/01(木) 20:09:53 |
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  3. でんどう三輪車 #-
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