風よ 私の頬を障子の隙間から
そっとなぜてくれた 風
もう一度 ベットにもね
ベットは私を寝かしてくれるんだ
{昭和24年・中学一年}
小学校5年生の時、当時死の病と言われた結核になった。父をはじめ叔父も叔母も次々と病に倒れて、家族は「肺病がうつる」と言われて嫌われた。極度に病気の伝染を恐れた担任の先生の態度に人間不信になった。小さな胸を痛めて・生きるとゆうこと?なぜ病気になったのか?人はなぜ死ぬのか?ため息をつきながら考えた。あまりため息ばかりついているので父が心配した。 1年休学して落第した。少年の僕にとってつらい出来事だった。今までの同級生が先に卒業していくとき一人泣いた。
中学になっても、1学期2学期と休学した。担任の先生が見舞いにこられて「このままだと進級できないので遊びに来るつもりで良いから学校に来るように」と進められて、医者に相談して3学期から出席した。そのとき学校新聞に掲載された詩である。
病室 いのうえ つとむ
僕には 幸福な部屋があった
それは狭い粗末な部屋のように
人間どもは言うが
僕にはそうは見えない
にぎやかで楽しく親切な部屋であった
どうしてと言うと
ベットは古い林檎箱が二つと
雨戸で作ったもので
しっかりと抱いてくれたし
それにとっても温かい
母の作ってくれた木綿の布団もある
隅のほうでは本箱や机が
いつも話しかけてくれたよ
朝ともなれば 小鳥や木の葉がやってきて
見舞いに来てくれたよ
だが人間どもはこの病室を見ると
病気がうつると言って
跳んで逃げて行ったよ
でもこの部屋は 僕にはやさしい部屋だ。
{昭和25年・中学2年・国語の時間で作詩}
僕はこの頃、『健全なる身体に健全なる精神が宿る』という言葉が一番嫌いであった。体の不自由な者や病身の者には『健全なる精神』は宿らないのかと心の中で一人・反発した。長い間・床についていると体温で畳が体の形に腐ってくる。また畳の上に布団を敷いて寝ると埃を吸う。だから父と二人・雨戸のベットを作ってもらい、枕を並べて絶対安静の日々が続いた。まだストレッフトマイシンのような特効薬が無かった。「生卵を胸の上に乗せていると思って安静するんだ」と・・父の口癖だった。安静しか治療する方法は無かった。
☆最近ブログを読んでくれる方達から・・「どうして詩を書くようになったの」と聞かれて・・「僕は学校にも行けなくてね」とお話しをしていますが、この二つの詩が始まりです。
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- 2015/02/02(月) 20:58:43|
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