『でんちゃんの・・心の引き出し』
僕は鯉なのだ いのうえ つとむ
せっせ せっせ せっせ せっせ
雨が降ろうが 嵐になろうが
メール便と夕刊配達
こんな雨の日は 大変だね
と声を掛けられ
けれど僕は 楽しくて 楽しくて
楽しくてしょうがない
どしゃ降りの雨の中を突っ走る
どしゃ降りの雨の中を突っ走る
僕は鯉なのだ 鯉なのだ
人生 雨天ばかりではありません
人生 晴天ばかりではありません
少年,七十歳となりました。
欅の大木を眺めると
吹雪に耐え抜いて 耐え抜いて
真夏の日照りにも耐え抜いて
樹齢百年とも二百年とも
大空に枝を伸ばしていて
力強く生きている
人生 雨天ばかりではありません
人生 晴天ばかりではありません
少年,七十歳となりました。*古い年賀状を見ていたら2005年に出した年賀状の残りが混じっていた。
『僕は鯉なのだ』と詩を書きプリントごっこで印刷して年賀状を知人や友人に出した。
懐かしく眺めながら今もちっとも変わらない『僕は鯉なのだ』。
最近は兄を亡くしてから詩心がとまっているので
過去の詩から心に響くのをまとめて見たいと思う。
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- 2009/12/25(金) 22:54:59|
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『 使ってね と心のこもった 古いシャツ 』
でんどう三輪車 (絵夢ちゃんのしりとり川柳より)・・親愛なる友が使いなじんだフードつきの白いシャツをくれた・・真心が何より嬉しい。
・・30歳は若返ったかな???。 (2009・5・27)
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- 2009/05/28(木) 01:47:06|
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若鮎が跳ねる いのうえ つとむ
なんと綺麗な川だろう
なんと軽やかな瀬音だろう
新緑の山々に囲まれて
清流に足を入れて
竿先をじっと見つめる
五色の目印をじっと見つめる
釣れても
釣れなくても
川風に身を包み
この一時を楽しむ
時々
川面に鮎が跳ねる
・・若鮎が跳ねる
ああ・・時間が消えてしまった
(2009・5・21 興津川にて)*コバルトブルー
5月21日静岡県の興津川に鮎釣に出かけた。
前日の夜中に次男が車で有山さんの家に送ってくれ有山さんの家に泊めていただいた。
午前2時半に中村さんと歯医者の竹川さんが迎に来てくれ竹川さんの車で興津川に向かった。
初めての興津川は想像していた以上に綺麗な川だった。
水は透明で濁り無く深みはコバルトブルーだ。
山の木々と竹やんぶの緑が主張し合うかのように彩っていた。
木陰では鶯が鳴き競っていた。
釣果は15でした。
*無いウエイダーが無い。
5月24日朝4時に狩野川に有山さん中村さん竹川さんと竹川さんの車で出かけた。
津田囮釣り具店にに到着して・・いざウエイダーをはこうと思い預けておいた物置を見たが買ったばかりのウエイダーが無い・・囮やの津田さんに言って探してもらったが何処にも無い。
常ずね「うちは誰も盗っていくようなお客さんはいないよ」と言っていたが「こんな事は初めてだよねー」と言いながら囮やさんが心配して以前使っていたウエイダーを出し貸してくれた。
無くなったのは真新しいウエイダーで名前を書いてあるので間違ったとも思えない。
釣り人にも良い人もいれば、そうでない人もいるという事だ。
雨の降る中の釣はちなみに4匹の成果でした。
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- 2009/05/26(火) 19:07:01|
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/////思い出のエッセー////////////////////////////////////////////
黒いチューリップ いのうえ つとむ
四月半ば,春といっても寒い日が続くこのごろ、今日も寒冷前線が空を覆っていて自転車のハンドルを握る手が冷たい。
メール便の配達コースで庭に花が咲き競う住宅地がある。今流行のガーデニングというのだろう、三色すみれの鉢が並び枝垂れ桜も咲いている。四季を通じてそれぞれの花の競演で見飽きることは無い。
その住宅の通りに「いちご堂」という小さな看板がある。鍼灸院の看板で毎日のように配達する家である。
中年の婦人がチューリップを鋏で切っておられた。鍼灸院の先生である。
「今日は、綺麗なチューリップですね」と挨拶して、メール便の封筒を手渡すと
「郵便やさんですか、お花をを持っているのでポストに入れて」
「メール便です、じゃあ、ポストに入れときますね」
「そうして下さい」
「大きなチューリップですね」
「でも、すぐ散ってしまうの」
「この黄色の花は芯のところが黒いのですね」
「そうなの?・・私は見えないのよ、だけれど紫の濃いのと違う?」
「そういえば紫かもしれませんね」
前にも挨拶をしたことが一度あったが初めて目が不事由だと知った。
普通の眼鏡をかけておられて外見では分からなかった。
「こちらの赤いチューリップのほうが濃い黒い色に見えますね」
「どれですか、これ?」
「よく見ると紫の濃い色ですね」
「オランダはチューリップの国でしょ、黒いチューリップで戦争したと言うからね」
「黒いチューリップ・・そんな謂われがあるのですか?」
「私は事故で見えなくなったの、最初は黄色い色や赤い色から見えなくなったのよ、色盲ってあるでしょう、ああゆう感じからね」
「大変ですね」
「私は見えないけれどね、お客さんが喜ぶと思ってね、ガーデニングの専門の方にお願いしているのよ。ところで貴方のお名前は?」
「井上と言います」
「どちらにお住まいなの。洋光台?」
「はい、五街区に住んでいます。うちの妻がローアなのですが、途中で失明されると大変ですね」
「いいえ、そうでもないわ。貴方手話されるの?」
「僕はしません、口話です」
「口を見て話すのね。私もね、点字しないのよ。小説もテープがあって聞けますからね」
「ああ!僕の同級生の仲の良い友達が、かれこれ20年ほどボランテアで小説など本の朗読をテープに入れていますよ・・夜中の2時ごろまで起きているとか」
「そう!有難いわね。人のためになることは良いことだわね。良い人生ね」
「なかなか出来ない事ですよね」
「お宅の近くに、・・・大嶋さんというローアの方がいるでしょう」
「妻の友達です」
「一度来られたのよ。災難にあったときに連絡できる会を作って市と話を進めているのだけれど中々はかどらなくてね」
「そうなんですか」
「でも最近は良くなったわね。ここのところ市のほうも良くなったわ。皆が変わってきたわ・・先日も二人の方が道案内をしてくれたの。以前は石をぶつけられたからね」
「今ははテレビでも手話をやるし社会の目が変わってきましたね」
「私たちは杖があるから外見で分かるから良いけれど、ローアの人は見た目では分からないから大変ね、以前の事だけれど張り倒されたことがあったと言うからね」
「以前はオシだのツンボなのと言われていたからね」
「私ね一度懲りたことがあるの。手話通訳が良くなくて誤解されてね。障害者同士でも意思の通じないことがあってね」
「手話も難しいからね」
「私パソコンをやっているのよ!文字が音声に変わるの!」
「そう!凄いね!僕もブログで詩やエッセーを書いているのです」
「何人の人が読んでくれているの」
「一日150人ぐらいかなあー」
「凄いはねー度読みたいわ。今度機会があったら読ませてもらうわ」
「ぜひ読んでくださいね」
「私ね、目が見えなくなってからお声で人柄が分かるのよ。今のほうが前より人生が充実しているのよ。見えるときは見逃していたことが見えるのよ」
「目が見えると表面だけしか見ていませんからね」
「外見で判断するのではないのよ。心の奥が見えるのね。怖いわよ!フフフ」
「・・・・・」
「貴方いい人だわね」
赤いチューリップも黄色いチューリップも芯の周りが濃い紫色の黒い色であることを、このとき・・しみじみと見ることができた。
いつもは通り一遍の見方でただ「綺麗だだなー」と見ていた花である。
(2006・4・16)
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心で見る・心で聞く いのうえ つとむ
今年は暖冬、暖かい日が続いて桜の開花も早いようだ。
気象庁も予報を間違えるほど暖かな日がしばらく続き、冬眠していた虫たちも早々と土から出て来たようだ。
しかしこの数日はまた寒さが寄りを戻して小寒い日が続いている。
桜の蕾も開花を目前にして足踏みしている。「寒いナー」といって首をすくめているようだ。
配達先の庭の「黒いチューリップ」も蕾を膨らせて開花の日をじっと待っている。
毎日、毎日慌ただしく生活していると、桜の蕾を見ても素通りしてしまう。
樹や花や虫たちの足音を心を澄まして「心で見て、心で聞く」ゆとりが今こそ欲しいと思う。・・春の暖かい風を頬に感じながら。
(2007・3・16)最近この鍼灸院の先生が盲導犬に導かれて歩いておられるのをしばしば見かける・・盲導犬の落ち着いた品のある姿を見ると何故か心が和む。
( 2009・5・11)
(ぶくちゃん探すのが大変なので再びアップしました)
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- 2009/05/11(月) 23:48:00|
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